エゴの追放は、絶望なんだろうか?
仏教説話に、「捨身飼虎」という有名な話があります。
インドのある王子が、
七匹の子虎を抱えたガリガリにやせた飢えた母虎に出会います。
で、結局、自分の体を食べさせてやるのです。
そこには、八匹の虎の命を助けてやりたいとういう一念以外何物もないのです。
虎の「ために」してやっているのだ、という恩着せがましい思いも、
「自己犠牲」などという高ぶった心も、
まして、そうすることが仏になるための善根功徳になるなどという打算も
つゆほどもないのです。
困った人を見たとき、
そうせざるをえなかったから、そうしただけのことです。
これから、また、実験教室です。
ただ、子どもたちを喜ばしたいから、行ってきます。
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