カテゴリ:先生に対して
まだ、時間があるので続けます。 「芸」にも、たしかにピンキリがあります。 教室で、演じたい芸は、やはり頭を使わなければ楽しめない芸ですね。 そこにこそ、学問という芸の魅力があるわけです。 たとえば、話しをするプロ中のプロ 噺家を考えてみましょう。 落語は音ではなく頭を使って楽しみますよね。 脳細胞がずいぶん活動してます。 落語は、ずいぶん制約の多い芸です。 何せ正座で、下半身を動かさずにいなければなりません。 さらに、教材ならぬ、道具も使わいません。黒板もありません。教科書もない。 (といっても扇子と手ぬぐいは使いますけど・・・) それでいて、すべてのシチュエーションを演じているのです。 かえって、その制約のお陰で、普通の演劇やドラマではお話にならないことでも、 落語にすると面白くて笑えるものも多くあるわけです。 例えば愛宕山の話は映画でしても面白くないでしょう。
そして、ここが大切なのですが、 それを聴く客の心の中に、自分の中でもう1人の自分を投影し、 創り出すことができます。 創りだされたもう1人の自分が冷静になって、 冷静さを失っている方の自分に諭すことさえできます。
これも、イメージの共有化のもたらす魔法の一部です。 このように、教室には劇場どころか、全世界、全宇宙を投影することができるのです。 おっと時間です。また。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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>かえって、その制約のお陰で、普通の演劇やドラマではお話にならないことでも、落語にすると面白くて笑えるものも多くあるわけです。
そうなのですよね。 制約があるから出来ないこともあるけど、制約があるからこそ出来ることもあるのですよね。現代人はそれを忘れてしまっていますよね。 (2008.02.19 13:10:55)
芸人的要素,俳優的要素・・・・すごく必要なことだと思います。
観客を知らない、知ろうとしない役者はただの大根。 一体感ある中で、言葉の表面でものを語るのではなく、 言葉の奥,雰囲気でものを語ると、 子どもってけっこういろいろなことを察知してくれるもんなんでよね。 (2008.02.19 17:44:28)
そう言う意味じゃ、昨今のパソコン教育なんてほんとうにくだらないなぁと思います。あんなの大人になってからで十分なのに。大人のエゴで決めてるんでしょうね。
(2008.02.19 22:59:35)
森の声さん
今日の日記のつながりを「つたえる」という話も、すごかったです。 つたえるには、間が必要ですね。 あまりにも、しゃべりすぎかもしれません。 子どもたちは、自分でイメージを膨らます余裕がないのです。 (2008.02.19 23:13:42)
Mr. Hot Cakeさん
>一体感ある中で、言葉の表面でものを語るのではなく、 >言葉の奥,雰囲気でものを語ると、 >子どもってけっこういろいろなことを察知してくれるもんなんでよね。 ----- そう、そうですねえ! 子どもの気持ちをどこまで読み込むかの勝負ですね。 (2008.02.19 23:15:19)
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