カテゴリ:幸せ哲学
経過は、ぶっ飛ばしますが、 大学入試の受験勉強をするに当たって、 私は、エゴイズムの極地、すなわち、 すべては、私のための「遊び」という見方から、行動し、 そのおかげで、奇跡的に合格しました。
しかし、そんな寅さんでも、フト、 「遊びでは済まされない」ことに ぶち当たります。 ある恩師を深く傷つけてしまう事態が発生し、 それで、大きく落ち込みます。 しばらく引きこもりのようになってしまったことがあります。 この寅さんが。
人間の能力を最高に生かすのは、 遊びの精神であることは、間違いないと思っています。 大義をもたない、ある意味、ニヒリズムの方が、 のびのびと活動でき、現世の御利益から言っても、 願望実現がしやすいと、体験的に思います。
「絶対、~~しなければいけない!」 と力むと、かえって、遠のいてしまうものです。
力まずに図々しく、手をだす、というのが、 この世のポイントかもしれません。
でも、でも、人間、力むときが、きっと来ます。
それは、多くの場合、 人の想いとつながっているように私には感じられます。 人と幸せを分かち合いたい、という共感への渇望。
この共感性には、人間、意義を感じてしまうのだと思います。
でも、そのように、共感する人間集団も、 やっぱり、「私」の意識の中の存在であることも 間違いないのです。
だから、共感性を遊べればいいのでしょう。 共感のハーモニーを一歩外から眺めてみて、 全体を手のひらに乗せ、より美しいものを創っていこうとすること。 この創造活動としての遊びが、いい感じじゃないでしょうか。
でも、やっぱり、この美しいものに、意義を置いてしまうのが人間。
どっちが卵か鶏か?
いずれにせよ、本当に大切なことは、 とってもとっても少ないことは、間違いない。 日常、僕たちは、大切でない、どうでもよいことのために、 四苦八苦しているんだ。
そんなものは、遊びのニヒリズムで、ぶっ飛ばすのが、ふさわしい。 無意味だと笑いとばして、いいのです。
本質でないことを、遊びのふるいにかけて、吹き飛ばしていくと 最後に、本質だけが残ってきます。 それこそが、本当のお宝なんでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.01 17:48:27
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