科学はイタズラだっちゃ! 受験も科学!      科学実験教室&家庭教師  宮城県大崎市

2009/07/19(日)15:20

アマチュアリズム

世界がワクワク・ドキドキになる魔法(210)

今日は、古川の小泉子ども会さんの、科学実験講師をしてきました。テーマは、スライムの大研究です。ありとあらゆるスライムに挑戦します。ひとつ、スーパーボールスライムづくりが、私のミスでうまくいかなかったんですが、まあ、全体に喜んでいただけたと思います。 父兄の皆さん、そして、アシスタントをお願いした中学生の純平君、ありがとう。 ところで、講師料のことを聞かれると、私は、「道楽でやっているので、料金表はありません。団体さんの、予算の範囲内でいいですよ。その中で、いっぱいください。」「つまり、カンパと考えてください。」とどこでも言っています。 これは、本気の本気でして、本当に予算の無いところには、完全無料で出前しております。 もちろん、しっかりしたところからは、それ相当をいただいておりますが。 ある意味、どうでもいいような、講師料の決め方ですが、ここには、私の活動の生命線が隠されています。それは、お客様にお金で雇われているわけではない、ということです。 私が、その団体で、講師をしたいから、させていただいているのです。もちろん、団体さんの意向はよくお聞きしますし、喜んでいただけるように全力を尽くします。しかし、絶対に、仕事だから、今ここに私が立っているのではないのです。面白くて仕方がない、こんな面白いことを伝えずにはいられない、だから、何とかして立たせていただいているのです。 こと、プロとアマと区別して考えるなら、私は断然、アマであり続けたいと思うのです。 スポーツの世界をはじめ、何でも、アマよりは、プロの方が偉いと思われています。 しかし、創造性を必要とするところ、好奇心が生命線のところでは、プロになることは、逆に大きなハンデです。 誰かに雇われているということは、自分の職務の範囲を決められていることです。縄張りができてしまいます。それを犯しても、犯されても、反撃してしまいます。 これでは、研究の自由も、好奇心の自由も無くしてしまいます。 その点、道楽仕事だと、割り切っている人は、誰からも支配されることがありませんから、自由に研究できるのです。つまり、自分が自分の主人公であることができるかどうかなのです。 教師という仕事も、私は本来、アマチュアであるべきだと思います。「私はお金のために、君とつきあっているんだ」、って言えますか?言ってほしいですか?そういう人もいても悪くはないでしょう。 しかし、正規の学校の先生こそ、みんなアマチュアであるべきだと、私は素朴に思います。 それでこそ、人に影響を与えられると思うのです。これは、極論かもしれません。でも、たとえ、表面的には、お金をもらっていても、お金で教師が動くことだけは、あってはならないことでしょう? お金で動くことは、反面、お金に縛られることです。その制限のもとでしか、心を動かせなくなるのです。教育こそ、心が大切です。その子をいかに大切に思うか、思ってやるかです。 そこに、お金の論理が、上位にあっては、なりません。 科学研究の場合には、好奇心の視野の広さがとても大切なことが多いです。だから、アマチュア科学者の方が、大企業のプロよりも良い仕事をすることが多いのです。 また、科学研究というのは、あまり細分化すると全体への見通しが悪くなります。かえって、進歩しなくなります。プロは、細分化の道を進みがちですが、アマチュアは、科学研究の楽しさを追求しているのですから、一番おいしい、そういう全体像を見失う心配が少ないのです。 昔、寺子屋の時代には、善意だけで教えている教師も結構いたのです。だから、自分の教えたいことを教えることができました。 ところが、明治になって、国の教師となって、月給をもらい、生活が安定する代わりに束縛されるようになったのです。 どっちの教師に教えてもらいたいでしょう?子ども達の喜ぶ顔が見たい、という気持ちだけで動いているアマチュアではないでしょうか?そういう人たちには、子どもたちを強制したり脅したりする力はありません。だからこそ、授業の中身で引きつけなければならないのです。だから、研究するのです。 だから、私は、この活動以外から、収入を得てアマチュアでい続けられるように、奮闘しております。てか!? 

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