株や経済が暴落してから、
「実は、私はわかっていた。前からこういう兆候が出ていた。
こういう原因でこうなったんですよ。」
と、もっともらしく解説する評論家がいますね。
結果が出てから、その理由を後から見つけることは
簡単なことです。
まるで子どもの「後出しジャンケン」みたいなものです。
本当に実力を試されるのは、
結果が出る前、結論が出る前の、
いろんな可能性がある時点で、どう判断するか、
ここにあるわけです。
ケースメソッドが効果的に力を養ってくれるのは、
間違う可能性のあるリスクの中で、判断力を磨くからであって、
結果をもっともらしく解説するためではありません。
ところが、ふりかえって、理科の教科書を見ると、
すべて、結果の解説になっています。
単純な一つの法則にも、
様々な試行錯誤が隠されています。
今からみると、笑い話でも、
当時の科学者にとっては、真剣な判断の連続だったのです。
たとえば、「重さ」と軽く言いますが、
人間の常識から言えば、「軽さ」というものも
物理の世界にあっても良さそうですよね。
事実、二百数十年前の近代科学でも
熱素という負の重さを持つものがあると考えられていました。
これはこれで、巧妙な論理でできており、
ちょっとやそっとで、反駁できないものです。
こういう時代に生きていたら
あなたは、どう迷い、どう判断したでしょうか?
この試行錯誤、失敗の歴史こそ、人類の遺産です。
結果から見るんじゃなくて、
スタート地点に立って、
あらゆる可能性を検討する授業こそ
求められているように思います。