カテゴリ:授業技術
「私は、子どもに考え方を押しつけていない」、という先生でも、 意外な盲点があることに気づかされます。 実験結果の予想を討論していると、 中には、立派な意見を言う子がいます。 正に、科学的に完璧なのです。 「私が言いたかったのも、このことなんだ」、 と思わず手をたたいてしまうくらい。
ところが、他の子どもたちは、意外に影響を受けないのです。
それよりも、杜撰でいい加減な意見の方に みんなフラフラと流れてしまうのです。
これを子どもの知恵の足りなさだ、と笑っているだけでいいのでしょうか? だから教育が必要だと見るだけでなく、
もし、、もし、あの立派な意見を 担任の先生が同じようにしゃべったなら、 子どもたちは、どう思ったかを想像してみたいのです。 きっと、先生の言うことだから、そうなんだ、 それを覚えておかなくちゃ、試験で点数がもらえない、と 有無を言わさず覚えたと思います。
ここに怖さがあると思うのです。
子どもたちの本心には、間違った意見に惹きつけられる素地があるのです。 そこに、触れないで、大人の正論だけで説明されてしまっていたわけです。
これを押しつけと言わずに、何と言いましょう?
大人が完璧な説明だ、と思って満足していても、 それは、子どもにとって、おそろしい押しつけであることが、しばしばなのです。
子どもの心の奥にある、別の論理を引き出す努力をして、 それに目を向けてやらなければ、 本当の意味の「わかった」や「感動」は生まれません。 どっちみち、実験すれば、正しいことはわかるのです。
十分にあらゆる間違いをさせるのが、教育的な配慮ではないでしょうか?
当地では、今日から始業式 おいしい給食をいただいてきましたが、 風邪をひいたみたい。 インフルエンザ????!の文字がチラホラ 明日、様子みて、診察してもらってきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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森の声さん
大人もそうですが、どっちがアタマがいい、という問題でもないですね。 教科書や先生の言うことを盲信している場合も多いですから。 だいたい、ほんのちょっとの実験や証拠で、この世に一般法則がある、なんて、すぐ信じる方がおかしいのです。 (2009.08.26 08:01:56) |
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