アインシュタインが自分で、自分の思考パターンを解説をた有名な図があります。
数々の実験データや観測結果から、
新しい理論を作るためには、
仮説Aへとジャンプしなければならなく、
そこに至る、論理的な道筋は存在しない、と書いています。
そして、いったん、仮説Aに到達すれば、
そこからは厳密な演繹的な作業によって、さまざまな命題が導き出される
ということです。
行き詰っている時には、往々にして、『"より難しい事"ばかりを考えてしまう』
ワナにはまってしまいます。
行き詰った状態の中に留まったまま
思考を繰り返しても、状況を打破する事は、まず、できないものです。
そこには、思考のジャンプが必要で、
根本的にそれは、直感であり、理屈ではないものです。。
あるどん詰まりの状況に落ちいった時の人間の思考パターンは、
外部から見れば、ワンパターンなものです。
だから、『もう手がない』ように思えても、
まったく違う思考パターン(視点)から眺めれば、
『ひらめき』が起きて、
多くの場合、また別の方向性を見つけることが出来ます。
科学でも、社会問題でも、現代こそ、
思考の飛躍が求められているのではないでしょうか?
そうすると、論理的思考とともに、大いなる想像力こそが
育成すべき課題だと思われますね。
教育問題、学校問題も、打つべき手が「手詰まり」状態です。
でも、これを、相対性理論のように視点を変えて、
たとえば、教える側の論理から、学ぶ側の論理に移行するだけで、
ずいぶん肩の荷が下りるものです。
私は、今日も、「教えに行く」つもりはありません。
「飢え渇き」の体験を提供をしたいと思って、出かけてきます。