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不幸の色と好運の色の錯覚の話のつづきです。
何に注意を払うかという違いが、実際に見えるものを大きく変えるという実験でした。 不幸なことは、努力しなくても、簡単に見つかります。 しかし、幸運なことは、エネルギーを使って意識しないと見つかりません。 そのことは、決して、幸運なことは少なく、珍しい奇跡的なことだからではありません。 好運と不幸は同じくらい数があるのです。 というより、幸運と不幸は、コインの裏表なのです。 ただ、生物の習性として、危険なことに敏感になっているだけです。 よく、大震災の後の方が、幸せを感じるようになった、という話をよく聞きます。 大震災の後の方が、幸せがより多く訪れているのではありません。 普段は何の気なしに見過ごしていることの中に、幸運の種があったことに 気づくようになったからです。 で、ここで問題です。熱力学第一法則を思い出してください。 ある状態でのエネルギーの総量は変わりません。 エネルギー保存の法則がありますから。 そして、あるステージからあるステージに変化したときに放出するエネルギーも 最初と最後が変わらなければ、プロセスがどうであれ、結果はピッタリ同じです。 化学で熱力学の法則で習いましたね。 もし、経路によって、エネルギーの消費に差があったなら、 それこそ、永久機関ができてしまいます。 ところが、私たちの個人的な生活においては、 同じ状態・ステージでも、人によって好運と見たり、不幸と見たり、 エネルギーの消費が全然違うわけです。 ということは、個人的には永久機関が創れちゃうわけです。なっちゃうわけです。 もちろん、幸運を意志の力で探す努力が必要です。 それには、エネルギーを消費します。 しかし、それを差し引いても、余りあるわけです。大幅に。 好運を探す努力は、完全にペイします。 「今日は人生で最高に好運な日になるぞ!」と決意をして臨みましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.05.31 14:10:03
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