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科学はイタズラだっちゃ! 受験も科学!      科学実験教室&家庭教師  宮城県大崎市

全13件 (13件中 1-10件目)

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科学的とは?

2010.05.30
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カテゴリ:科学的とは?

今、高校生のために、確率の授業の準備をしているところで

思わず、また書きだしています。

確率論は、ギャンブルから生まれたと言われています。

確かにそうですが、

これは、ギャンブラーの学問なんでしょうか?

だとしたら、真面目な?諸君にはご縁がないのか?

(ちなみに、先日仕分け人に、消されそうになった

宝くじですが、サマージャンボの場合

計算上、勝率は、10枚買った時が、10%

100枚買ったときが、0.4%と、

何と、枚数多く、勝負した方が、極端に下がります!)

 

いやいや、一攫千金の世界じゃなく

最も確実な世界だと思われている科学理論の根底にこそ、

確率論がしっかり存在しているのです。

いや、科学体系の生命線そのものなのです。

 

量子力学を持ち出さなくても、

人間は、過去に起こったことが、

未来にも同様に起こるだろうということを前提に

物事を認識し、予測して行動します。

(アインシュタインは、「神様はサイコロ遊びはしない」と言いましたが

アインシュタインの信念を支持する証拠は挙がっていません)

 

植物も動物も、冬の後には、春が来るという予測の上に

種を準備したり、孵化に備えるのです。

でも、本当に、春は100%来るのか?

そうじゃないわけです。

 

また、「うちの母ちゃんは、こういう人だ」、という認識は

過去の行動を観察して、確率的に予測しているだけであって、

明日の母ちゃんが同じ行動をとるとは、限りません。

 

科学理論も、結局は、過去に起こった諸事象を

整理して、そのおおよその特性や傾向を理論化したものでしかありません。

 

それが未来に対して意味をもつためには、

それまでの諸条件や諸環境が不変であるという前提が必要なのです。

 

確率の問題で出されるサイコロですが、

あれも、完璧に1/6の確率の出目なんて、あるわけがありません。

人間の目には、ほぼ立方体であるように見えるだけで、

面積にの比を計算したら、1/100レベルでズレていても

そのゆがみを見抜ける人はほとんどいないそうです。

 

そして、前提の諸環境は、間違いなく、変化しています。

 

現実社会に生きる私たちは、

このことを忘れてはいけません。

どんなに精緻な学問としての確率論があっても、

確率論が現実の変化に先立つものではなく

現実の事象の変化の方こそが、

確率論に先立つということを。

 

だから、確率論に支えられた科学の効用は、

常に一定の限界が伴うのに、

それが、万能の神として、科学教として崇められてしまっています。

 

さらに、科学や数学の基礎概念も、

それが、基礎になればなるほど、あいまいなのです。

1という概念、1+1=2ということも

直線とは何かという定義も

トートロジー つまり 同語反復でしかなくなります。

「私は私であり、君は君である」のように、等値を示す語によって

同じ言葉を繰り返しているに過ぎないのです。

当然、論理学的には、無意味なものですが、

表現技法としては、人に妙に納得感を起こさせる魔法があります。

 

それでも、現代人は、この科学の果実をいただいて

発展しているわけです。

 

じゃあ、私たちは、この不確かで、仮説だらけの概念の洪水の中で

どう生きていったらいいのだろう?

それこそが、教育の目的の一つでしょう。

 

雑多な知識の中で、自分を見失わずに

自分で自分を創り上げていく力なのです。

 

目指すは、主体性をもつ人間だと思います。

 







Last updated  2010.05.30 13:10:18
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2009.09.01
カテゴリ:科学的とは?

選挙は多数決です。

そして権力を握ります。

 

でも、もし、今回の選挙も、選挙の結果がすべてで、

だから、民主党が正義で、

自民党が、唾棄すべきもの、

政策もすべて間違っていた

だから、全部ひっくり返せばいいんだ、

という風潮になったら、怖いことになります。

 

当たり前のことですが、真理は多数決では決まりません。

(科学実験をすると、

実験と言っても、教科書にある単なる「作業」ではなく

複数の仮説を闘わせての、検証という意味ですが、)

つくづく身にしみるのが、

「真理は多数決では決まらない」ということです。

もちろん、多数派が勝つこともありますが、

往々にして、真理は意外な結果を告げてくれます。

 

なぜなら、人間の直感は、当てにならないからです。

たとえば、近代科学は、ガリレオの力学から始まったとすれば、

物理学の第一歩は、

「人間の直接の観察に基づく、

直感的な結論は、誤った方向に導くことがあるから、

信用のおけるものではない」、

ということを明らかにしたことです。

 

それは、2000年間、自明のことと信じられてきた

アリストテレスの「力学」の書の

『運動体はこれを押す力がその働きを失ったときに、静止する』

という論理を打ち破ったことに象徴されます。

 

現代の子どもたちも、理屈では、「慣性の法則」を習うのですが、

いざ、現実の実験となると、直感から自由になることは、

たいへん難しいことです。

(つくづく、科学理論が、本当の「わかった」になっていないことを

感じさせられます。)

 

だから、科学教室は、「真理とは予想外のこともある」こと

「真理は実験しなければわからないこと」

を印象深く体験していくことが大切なのです。

また、同時に、

「真理は実験しなくてもわかることもある」

ということも、体験しなければなりません。

つまり、一通りではないということです。

 

選挙も、実験です。

どの政党が良いと思うか、

どの人が良いと思うかの、予想であり、仮説に基づくものです。

そして、その実際の政治の結果が、

実験結果です。

(そして、ほとんどの場合、予想がはずれます。失敗です)

 

でも、同じ失敗でも、これを、注意深く観察して、検証すれば、

だんだんと、精度の高い予想をすることができるようになるのでしょう。

 

いずれにしても、世の歴史を振り返ると、

もっともらしい、「優等生の発言」が正しいということは、

意外に少ないものです。

普段とんでもないことをしている人の方が

鋭い仮説を立てているものです。

 

人類がよりよい予測を立てられるためには、

少数意見をちゃんと聞くという姿勢を

小さい時から、育てておくことが、

失敗から学ぶためにも、ぜひ、必要だと思います。

 

そういう意味で、科学実験教室も、

より良き市民教育、政治教育と結びついているんだ、

っていう、寅さんの強引な論理でした。







Last updated  2009.09.01 11:20:52
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2009.08.14
カテゴリ:科学的とは?

素直な心が大事だ、とよく言われますね。

素直な子は伸びると言われます。

素直な子は感動する。

素直な子はどんどん自分を変えることができる。

 

私はこれに疑問なんですが、 

百歩譲ってそういうこともあるとしましょう。

 

しかし、

「科学というものは、もともと

物事をありのままに見ることからはじまるんだ。

曲がった心で見てはいけない。

とらわれのない、素直な心で物事を見るんだ。」

という説になるとどうでしょう?

 

たとえば、こういう場合、素直な心で見たら、どうなるでしょう?

<水の中で物は軽くなると感じた場合>

「へえ、そうなんだ」と素直に感心して受け取ってしまいますね。

 

でも、もし、物の重さは不変だ、という

原理原則に 「こだわったら」 どうでしょう。

水の中で物の重さを測ったら、

40%減っていたとします。

でも、その40%は無くなるはずがないんだから

だったら、どこに行ったのかと考えます。

そこで、実は、水が残りの40%の重さを支えているんだ。

つまり浮力が働いているんだ、ということに気づくのです。

 

素直にありのままに納得してしまっては、

科学的な思考に結びつかないのです。

 

<水に砂糖を溶かしたら、消えて透明になっちゃった場合>

素直な子は、砂糖は消えて、甘みにかわっちゃった、なんて受け取ります。

しかし、原子論にこだわる子は、

砂糖の原子は無くならないんだから

たとえ見えなくても、あるはずだ。

だから、重さも消えないはずだ。

と考えられます。

 

変化の中に不変を観るのが、科学的態度の基礎です。

不変の原理原則を考えるから

「目に映る現象の方が、間違っているのかもしれない」

「見せかけだけなのかもしれない」

「イリュージョンなのかもしれない」

「騙しなのかもしれない」

と気づくことができるのです。

 

つまり、「こだわりの心」が

物事の本質に迫らせるのです。

 

スプーン曲げや超能力を見て

素直に感動する子どもをつくるのが、科学的なのでしょうか?

 

昔から天皇陛下は偉いんだ、と聞いて

素直に、「そうなんだ」

と納得しちゃう子を作ることが教育なんでしょうか?

 

異論はあると思いますが、

少なくとも、科学的態度は、

「あるがままに見ない」というところに

特徴があります。

 

先日、森の声さんが、書かれていましたが、

科学的な力をつけさせるとは、

「ひねくれ者」を育てるようなものだ

そこを、わかって教育しているのか

ということです。

子どもがひねくれるのを喜べるか、ということです。

 

ひねくれた心があるから、実験するのです。

現象面では、こうだけれど、本当はこうなはずだから、

こうしたらこうなるはずじゃないか?

という仮説が生まれてくるのです。

 

もちろん、間違った「こだわり」、というのも発生します。

しかし、その間違いを訂正するのも、これまた「こだわり」の力なのです。

 

アリストテレスが「重い物が早く落ちる」という

間違った「こだわり」を一般化させていたから

ガリレオが別の「こだわり」で反論できたのです。

そこに進歩があるのです。

 

日本でも昔から、物は落ちていたのです。

しかし、それに疑問を持つなんて、バカでしかなかったんです。

「そうなるようになってるのさ」

でお終いです。

 

もちろん、「センス・オブ・ワンダー」のような素直さは大切です。

でも、これも、不思議を感じる能力だとすれば、

結局は、あれ?というズレを感じる心であり、

つまり、問題意識であり、

問題を楽しむ心じゃないでしょうか?

 

偉い人が子どもに呼び掛ける「素直な心」とは

違うように私には思えます。







Last updated  2009.08.14 10:41:12
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2009.08.13
カテゴリ:科学的とは?

科学者や数学者が、どうして社会に声を発しないのか?

戦前にも、立派な学者は、世界的な業績をあげていたころからも

いっぱいいたことがわかります。

しかし、相次ぐ理不尽な政治や軍部の判断に対して、

さほどの抵抗も見せていません。

 

自分のアタマで考えるのが、科学の本領とすれば、

見事に失敗していると言えます。

現代だって、本当に必要なことを、発信しているのかと言えば

とっても疑問だと思います。

 

これは、日本ではサイエンスのことを「科学」と訳していることと

とってもつながりのある問題だと思っています。

「科学」という言葉は、現代の細分化された狭い学問を追求するという

意味合いが込められています。

丸山眞男が日本の近代文化のあり方は、「タコツボ型」であるということに

通じていると思います。

細分化された狭い象牙の塔の中で、

全体の中でのその意味を問い続けることなく、

目先の業績を上げることだけに躍起になっていた。

または、そう仕向けられたのです。

 

西洋で、サイエンスが発達してきた歴史は、哲学の流れなのです。

ニュートンの頃までは、「ナチュラル・フィロソフィー」だったのです。

この根本精神のプロセスを踏まずに、

専門分化して、また、技術に偏った「サイエンス」を

目先の都合のために、導入した結果、

日本では、タコツボ型の科学者をいっぱい生んでしまったのでしょう。

 

そもそも、日本の為政者は、自分のアタマで考える国民を

育成する気はなかったのですから、

科学教育は、危険なものでした。

だから、そいうものは、限られた領域だけに限定させておきかったのでしょう。

 

その意味で、日本の科学教育は、

まだ明治の政策を引きずっているのです。

 

国民も、偏った科学観から抜け出していないのです。

 

早く、現代の日本の科学教育を確立させたいものです。

それより、「科学」という言葉を取り換えたいものです。







Last updated  2009.08.13 12:23:58
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2009.08.12
カテゴリ:科学的とは?

社会の中のトンデモ理論に対して

どうして科学者は声を上げないのだろう、と思ったことはありませんか?

 

私も若い時は、そう思い、歯がゆく感じていました。

 

しかし、科学の本質がわかってくると、

そして、科学者の「生態」も見えてくると、

科学者や数学者に「政治力」を期待する方が

無理なのかなあって、半分あきらめの気持ちもあります。

 

なぜって、

まず第一に、科学者は、マイペースなのです。

自分のアタマで考えるのは良いのですが、

自分の関心のある世界のことで、アタマがいっぱいでもあります。

だから、傍から見ると、生活破たん者のように見える

科学者や数学者も少なくありませんね。

 

次に、小さいところにこだわってしまうのです。

どうしても論理の欠点にこだわってしまいます。

だから、小異を捨てて大同に付くということが、なかなかできません。

 

政治的なスローガンなんて、たいてい両刃の剣で、

反対側に、欠点や弱点をかかえているものです。

ある程度、そこに目をつむって、妥協して団結しなければ

物事は前にすすまないのですが、

悲しいかな日頃の習性としてこだわってしまうのでしょう。

 

そして、何より、論理以外の力への対応力が弱いと思われます。

 

圧倒的存在感のおばさん方に、詰め寄られたとき

それでも冷静に論理で説得できるでしょうか?

 

怖そうなサングラスのお兄さんたちに囲まれたとき

科学研究がどれほど役にたつのでしょうか?

 

悲観的になってしまいますね。

 

理数離れが教育界で問題になってますが、

これを引き起こした陰の原因に

理数系の学者の団結力の無さがあったとも言われています。

 

第一線の学者たちが、日本の将来のために

こういう教育が必要だ、と主張を発信し続けていれば、

マスコミも取り上げ、世論に敏感な政治も動かすことができたはずです。

 

では、科学や数学って、もともと、そういう弱い存在なのでしょうか?

 

いや、本来、科学ってのは、人に説得できてナンボのものだったはずです。

説得術・PR術が、その半分を占めていると言っても過言ではありません。

 

さらに、科学は象牙の塔の中での説得術だけではなくて、

極めて、一般大衆的なものです。

おじさん、おばさんの社会的な常識を変えてこそ、

その活動が一サイクルを完成するのです。

 

ガリレオの書いた「天文対話」は、

それまで、ラテン語で書かれるのが当然だった学術書を

庶民の言葉、イタリア語で書いたところに

革新性があるのです。

対「学者」や「神学者」にではなく、

一般大衆にわかるようにという意図がうかがえます。

 

世のおばさん・おじさんを説得でき、納得させてこそ

科学なのです。

 

もちろん、その宣伝方法が、一般の企業広告と同じような

むちゃくちゃな論理展開では自殺行為です。

誰もが納得できる証明を見せつけること

これも科学の生命線だと、小さい時から指導したいものです。

 

お陰さまで、ネット環境が、正常にもどりました。

あれは何だったんだろう?

岩沼市の西児童館から、昨年に引き続き

来月の「おまつり」にお呼びいただきました。

テーマはエコです。

中新田の子ども会からも、同様の依頼を受けています。

エコの実験自体はいくらでもでありうるし、できるのですが、

面白くて感動的な切り口はなかなか見つかりません。

でも、課題をいただくのも楽しいものです。

ありがとうございます。

 







Last updated  2009.08.12 08:20:48
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2009.08.11
カテゴリ:科学的とは?

自由な発想が科学の命だ、と叫んでいる科学寅ですが、

じゃあ、この世にジャンジャン現れては消える

トンデモ科学、マッドサイエンティストを野放しにしてもいいのでしょうか?

 

やっぱり、「専門家」や「その筋の権威」に聞かなければ

我々は判断できないのでしょうか?

 

いや、私は、このトンデモ科学を見破る力を得るためにこそ

自由な発想を推奨する科学教室を広めなければならない、と

思っているのです。

 

科学の理論は、クレージーな人が

突拍子もない理論を唱えているわけでもありません。

至って真面目な科学者が、

我々には、奇想天外な説をマジメに言っているものです。

 

そして、実際に、奇想天外な宇宙の秘密を暴いているのです。

 

そして、本当には、誰一人として、本当の宇宙の秘密は

わかっていないのです。

量子力学なんて、まさにそうですね。

 

だから、自由な発想大歓迎でなのです。が、

ここが、芸術との違いですが、

一つだけ、この世の(物理的な世界の)現象、すなわち

目的意識的に観察されるテストで理論と現象が一致しなければ

その理論は、ゴミ箱入りなのです。

少なくても、博物館入りです。

 

と、カンタンに言いますが、科学的かどうか、ということは、とっても難しいことで

一筋縄ではいきません。

だいたい、すべての理論が正しいかどうかを証明できるわけでもありません。

 

検証に莫大な装置が必要であったり、

そもそも検証不可能であったりします。

 

また、残念ながら、間違いを証明できても、

正しさを証明することはできません。

だからこそ、科学は永遠に現在進行形なのです。

 

でも、冷静に検討すれば、この世の、あっと驚く新説というのは、

すぐにわかる単純に間違っている理論

が、圧倒的です。

 

それらに騙されないためには、どう考えたらいいのか、

自分の面白い発想を、人に説得力あるように

検証するにはどうしたらいいのか、

それを、学校の科学教育で身につけさせてやりたいものです。

 

それこそが、大勢が一緒に学習する集団教育のアドバンテージであり、

科学の面白さ、醍醐味であるのですから。

 

ハーバード・ビジネス・スクールでは、

「ケース・スタディ」「ケース・メソッド」が主流と聞きます。

その討論の様子は、ジャンルこそ違え、

まさに、科学教育のあるべき姿をぼんやりと映し出していると思われます。

 

科学はもちろんですが、

社会的な理論、政治的なもっともらしい理論

毎日のように流される健康法など、

おびただしい新説の洪水にさらされています。

 

国民一人一人が、科学的な判断基準をもてるのかどうか、

ムードに流された場合の弊害は、もう何度も経験済みのはずです。

 

でも、もし、常に、自分のアタマで、判断していたら、

そういう人が、教育界のリーダーになっていたら、

10年一日の学校教育を続けているだろうか?

現状が証明していますね。

 

 

我が家のネットの接続が、調子が悪いです。

電話回線の工事をどこかでしているのかもしれません。

半日、不通の日が続いています。

ご迷惑をおかけしているかもしれません。

お許しください。

 

 

 

 

 







Last updated  2009.08.11 17:45:37
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2009.07.27
カテゴリ:科学的とは?

ある心理療法の本に、

(そう、こういうのも、読んでいるんです!)

「物語は、そもそも文と文をつなぐことによって出来上がる。

……

物語は、近代科学の記述と対極をなしている。

近代科学では『つなぐ』ことよりも『切る』ことが重要になる。

そこで、人生観や世界観までが、科学を頼りにして形成される。

近代科学とそれに結びついた技術を駆使すると、

実に多くのことを支配でき、思いのままに操作できる。

このため、多くの人間が知らぬ間に、

人間に対してまで、そのような考えを適用しようとしはじめたのではなかろうか。

上手に他人を操作して自分の思い通りに事を運ぶことは、

ある程度可能である。

しかし、人間「関係」ということが重要である場合はそうはゆかない。

それは、近代科学の方法論を考えると明らかである。

それは関係を切断した対象についてのみ有効な方法なのである。」

 

という文章に、ガクっときてしまいました。

そうなんだ、これが一般的な科学に対するイメージなんだよな。

 

ある意味、正しく、ある角度からだと、的外れです。

そして、科学をつまらなくして、そして、発展を阻害しているのも、

上記の考え方でしょう。

学問自体のとらえかたにも、なるでしょうか。

 

科学は人と人をつなぐものです。

ただ、そのつなぎ方が、上下関係ではなく、

水平のフレキシブルなものになります。

 

一つの事象についての解釈の幅を、

どんどん広げようとします。

つまり、固定的な物語を破って、様々な物語の可能性を探るのです。

それが、何の制約もなく、自由に語られるのです。

ただ、最後に、この大自然に、どの物語がお好きか、 

お聞きするわけです。

そうすると、人間の想像する物語を超えた、

突拍子もない物語が返ってくるのが普通です。

従来の「神話」を超えた、さらに素敵な無数の神話を作りだすのです。

 

また、現代科学では、研究者と研究される現象とは、切り離されていない

ということが、前提になっています。

人間性は不可分です。

 

科学は、ヒューマニズムそのものは教えません。

しかし、そのプロセスは、ヒューマニズム教育になってしまいます。

特に民主主義は、科学が守り育てたと言っても過言ではありません。

 

簡単に言うと、科学は、「自由」を骨の髄から必要としている、ということなのです。

 

それなのに、自由を嫌った、体制側が、

科学に別なレッテルを貼って、「無害」なものにして

教育体制に組み込んだものだから、

上記の変な科学観が、定着してしまってると思います。

 

本当の科学教育は、心理療法にもつながるものだ、と

私は思います。

 







Last updated  2009.07.27 07:52:30
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2009.07.24
カテゴリ:科学的とは?

なぜ、アインシュタインは相対性理論を思いついたんだろう?

なぜ、エジソンは電球を発明したんだろう?

なぜ、ファラデーは磁力線を思いついたんだろう?

って、思ったことありませんか?

彼らは天才だから?

だったら、そういう天才と僕らはどこが違うんだろう?

そうして、天才的な創造的な仕事をする人を育てるには

どういう教育をすればいいのだろう?

これは、永遠のテーマかもしれませんが、あえて、

ドンキホーテのごとく追求したいと思うのです。

 

人は自分のイメージできるものしか認識できません。

また、セルフイメージを超えた人間にもなれないと言われています。

当然ですね。

 

でも、それだけだと、予期しない事実の発見という説明ができません。

起きると信じていることだけを探している科学者は

他のことが起きても観察しないだろうし、目に入らないのです。

もし、観察したとしてもその重要性が、ピンとこないでしょう。

 

結局、これは、思考のフレキシビリティーの問題なのでしょう。

期待しないチャンスに敏感であるためには、

科学者はその知識を固定観念の中に堅く閉じさせてはいけません。

その知識を吸収し、自分の中に取り込まなくてはならないのです。

 

でも、そういうフレキシブルな思考というもの自体が、

準備された精神・認識ということになるのかもしれません。

 

偶然の発見と言うと、すぐ思い浮かぶのが、

カビの中から、ペニシリンを発見したフレミングのことです。

人は、彼の発見を偶然と言いますが、

彼は真剣に抗バクテリア剤を探していたまさにそのときなのです。

抗バクテリアのカビを偶然発見したというのは。

 

さらに、彼はその分野でよく研究をしており、

知識・素養もありました。

さらに、彼は、好奇心旺盛でした。

 

彼の精神は、完全にそのペニシリンの発見のための準備をしていたのです。

 

偉大な発見の種は常に我々の周りに漂っているのです。

しかし、それは、それを受け取る準備がよくなされた心にのみ根を下ろすのです。

 

これは、アメリカの物理学者Joseph Henryの言葉ですが、

Louis Pasteurも同じようなことを言っています。


"観察の場において、チャンスは準備された精神のみを好む" と。

 

私たちは、常に、常識の世界をちょっと超えた、可能性の世界を

常に心に思いめぐらすべきなのでしょう。

そういう自由な想像の翼を広げさせる教育をしたいものです。

 

知識をいっぱい詰め込むことや、実験結果を覚えること、

実験の方法論と技術の専門性を伸ばすことは、

科学者として働くための

一番大切な準備ではないのです。

 

このような準備は 技術的に有能な技術者を育てるかもしれませんが、

真に創造的な科学者は育てないことを、

教育者は、忘れないようにしたいものです。

 

10月25日に仙台で開かれる

「大人のための児童館フェスタ」に

ブースを設けさせていただくことになりました。

主催は、宮城県児童館連絡協議会です。

 

30分×3回の授業で、

私のテーマは、「光の実験を通して、カラフル万華鏡を作ろう」です。

他にも各界の達人が集合します。

一般の方もOKのようなので、遊びに来てください。

 

 







Last updated  2009.07.24 13:42:05
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2009.07.14
カテゴリ:科学的とは?

よく文系の人には、理数系の人の感覚がわからない、と言われます。

また、逆に、理数系が好きな人が、英語や国語など、

あいまいな学問をやる気になるのか、わからない、

という話を聞きます。

 

もし、人間が文系・理数系を分けられるのなら、の話ですが、

私は、その境目が、法則を楽しむ心をもっているかどうか、

にあるような気がします。

 

科学法則や数学の法則というものは、

どんな環境や条件でも、成り立つものです。

(もちろん、限界条件はありますが)

まさに、バカの一つ覚えです。

 

え?、こんな条件でも成り立つの?

というところでも成り立ってしまうのです。

 

逆に、もし、こういう法則だったら、

こういうところでも、成り立つはずだから、

こうなっちゃうワケ?

と半信半疑で、予想をします。

そして、実験。

やっぱり成り立つんだあ!

 

これが、法則を楽しむ感覚だと思います。

法則を適用すると、常識や日常感覚では

想像できないことも、予想や予言ができて、

実際に試してみると、そうなる。

 

これに、たまらない面白さを感じます。

 

ところが、文系の人は、この一途さに、違和感を感じるのではないでしょうか?

バカの一つ覚えには、つきあってられない。

この世は、もっと複雑で、豊かな世界なんだって。

 

確かにそうです。

でも、だからこそ、この世界に、法則性があるとわかると

興奮するのです。

 

法則と気軽に言いますが、

そして、何々の法則というのを、学校でいっぱい暗記させられますが

あまりにも、学校では、それを軽く扱われています。

 

「法則」という限りは、どんな時でも、成り立つのです。

どんな場合でもですよ。

イタズラな子は、ここで、普通、ツッコミを入れたくなるはずです。

「じゃあ、こんな場合でも成り立つの?」って。

そうです。

そこにこそ、科学の楽しさの大きな部分があるのです。

 

それを試してみて、本当に成り立つことを確認したときの感激・感動。

「じゃあ、これでは?」

「だったら、あれでは?」

次々に思い浮かびます。

「これじゃあ、無理だろう?」

でも、成り立っちゃうのです。

 

この世に法則があるってことは、

学校のテストの暗記としてではなく、

「すんごい」ことなんです。  

 

 

話は変わって、

学校での、特別な生徒相手の「実験」

面白いことになっています。

 

予期しない生徒も、押し寄せています。

俺にも、混ぜさせろ、って

本来の教室をサボって来てしまいます。

さあ、どうするか?

 

もともと、教師の指導に従わず、

エスケープばかりしている子たちです。

何とか、立場を逆転させたいと思っています。

さあ、どう料理するか?







Last updated  2009.07.14 09:13:22
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2008.11.04
カテゴリ:科学的とは?

問題が解けなくて、やる気を出す子もいれば、すぐイジケル子もいます。

子どもの同じ様子を見て、怒鳴る先生もいれば、ニコニコする先生もいます。

私も、我が子の言動に、イライラしている未熟者ですが、

もっと科学の心をもてば、ずっと冷静にいられるはずだと反省しています。

 

 何を見て、何を思うか、そしてどう行動するか、

それは人それぞれに違います。

 

自分の「心理的なプロセス」を冷静に分析できれば人は

確実に幸せになれるはずです。


 最近の脳科学でも、私たちは錯覚の世界に住んでいることが実証されています。

そもそも、正常な知覚と錯覚の間に違いがないみたいです。

健常と呼ばれる人の脳も、現実の一部を何十ものフィルターと、

脳の無数の情報処理モジュールの入出力を経て、

意識へのぼらせているのです。

 

世の中を生きていく上で面倒がない程度に

他者と一致する「錯覚」が、

「正常な知覚」なのだと言えるに過ぎないのでしょう。

 


 脳科学者の茂木 健一郎さんは「脳の中の小さな神々 」の中で  

『私たちはこれまで「自分」という自我の主人公で、

それが脳の各部に命令を出して、全身を統率しているのだと考えてきたが、

本当はそうではないかも知れない。』


『意識は小びとたちの決定に従っているのに、

あたかも「意識」が「自分」を従えているかのように錯覚している...』と言っています。


 私が、「こう感じる」のは、必然ではなく、

私の独特の情報処理プロセスがもたらすものなのです。

 

だったら、それを見つめ、プロセスを変えてみたらどうでしょう。

 

 まずは、意識に上らない小人に、活躍してもらおう。

口角をあげてニコっとしていること。

それだけで、感情は、確実に変わります。

そして、何にでも「実に面白い!」と言ってみることです。

 これ、魔術的に効きますよ。







Last updated  2008.11.04 23:31:42
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伊藤走@ Re:軽く考えよう。(02/14) 相澤さんいつもお世話になっております。…
ゆうSAIEN@ 英語が嫌いになるパターン(01/26) こんにちは(*^_^*) でもね、もしこれで、…
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科学寅@ Re[1]:ダイエットの秘訣(09/29) ありがとうございます。 そうですねえ。 …
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