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科学はイタズラだっちゃ! 受験も科学!      科学実験教室&家庭教師  宮城県大崎市

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理想の学校に向かって

2009.09.22
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連休は、仕事がいっぱ~いの寅です。

岩沼市の西児童館の皆さま、ありがとございました!

公民館と合体というのは、たいへんですが、可能性もあるんだなあって

感心いたしました。

 

ところで、新しい政治の流れが起きていますが、

私が期待するのは、先日、予算のことを書きましたが、

その金額よりも何よりも、

本当は、もっともっと、根本的なことです。

 

教育を根っこから民主化することです。

教育を国家のためにするんじゃなくて、

真の「個人主義」、「人間中心主義」に変革することです。

 

今、政治の世界観としては、

国家を、まず個々人の独立と幸せのためにあるとする方向に

舵が切られていると思います。

 

教育こそ、「集団主義」、「全体主義」、「国家主義」が

亡霊のように生き続けています。

 

これらに、決定的に決別すべきです。

 

しかし、これは、明治以来、相当の深さで、

私たち日本人の潜在意識、そして、常識に刷り込まれています。

これをぬぐい去るのは、並大抵なことではありません。

 

しかし、ハタと見つめ直せば、

明治以来の日本の教育は、

とっても卑屈でいやらしいものです。

 

人間を小さく小さくしています。

こんな教育なら、受けない方がよっぽどいい。

 

もう一度、教育とは何かということを、

徹底して議論してほしいと思います。

 

そうすると、今の学校体制そのものが、異常なものだということに

必ず気づくはずです。







Last updated  2009.09.22 08:30:06
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2009.08.29

今の子どもたちの学習意欲は、低いっていいうもんじゃないですね。

授業が成り立たないだけでなく、

個人的にも、学習する意味を全く見失っています。

 

これを、世の識者は、

「家庭教育の崩壊だ」

「世の中がおかしくなってきている」

「道徳教育だ」 「とにかく学力をつけさせろ」

と叫んでいます。

 

でも、客観的に、昔と今で、明らかに違ってきているものは

何でしょうか?

 

それは、大学の全入時代に象徴される、

教育の供給過剰です。

昔は、近代的・科学的な知識は、学校から仕入れるしかなかった。

それが、今では、テレビ、ネットなど、いろんなところから、

自由に取れます。

幸せになる道も、一つではないことは、はっきりしてきている。

 

ここで、ふと、視野を広げてください。

供給過剰になって、モノが売れなくなるのは、

昔から、どの業種でも、当たり前のことだったではありませんか?

 

モノ不足の時代なら、どんな服でも、あるだけ幸せでした。

しかし、今、昔のように、どんなものでもありがたがって、買う客なんて

誰もいません。

だからこそ、メーカーやお店は、技術革新を繰り返し、

ユニクロをはじめ、時代の要請に応えたところだけが、

生き残ってきたのです。

 

自己革新をできなかったお店は、

たとえ老舗の百貨店でも、つぶれていくのです。

 

これを、客が変わったから、お客がなってない、って

怒ってどうなるのでしょう?

かえって、喜ぶべきことです。

 

ひるがえって、教育に関するニーズそのものは、

決して、減少してはいないと私は、ひしひし感じます。

ただ、そのニーズに応える教育機関が無いだけです。

だって、教育「商品」は、10年前・20年前とほとんど変わっていないんですもの。

お客は、買いたい商品が無いのです。

 

もし、革新的に、ニーズをとらえた学校ができたら、

意欲にあふれた学生で、引っ張りダコになることは、目に見えています。

 

そして、そのニーズに合っているかどうかを

教育界は、どうしても、測ろうとしません。

なぜでしょう?

教える側が主役だという意識から、解放されないと

「生徒がこの授業を受けて、どう思ったか、どう感じたか?」

を聞けないのです。

 

さらにこの根底には、生徒は、自主的に学習しようとするものではない。

怠けよう怠けようとするものである。

だから、厳しく監視の目を光らせないと、楽な方向にばかり走ってしまう

という先入観があります。

 

そして、これが、明治以来の学校教育を貫いてきた子ども観でした。

さらに、それは、政府が国民を見る国民観でもあります。

 

いや、違うんだ、子どもも大人も一人ひとりが

心の底では、より良く生きたいと思っているんだ、

と叫ぶ教育学者さんもいらっしゃいましたが、少数派です。

 

でも、そこに立ち返らないと、受講者本位の学校はできません。

 

そして、ここが肝心なんですが、

生徒に聞かないと、

科学的に判断できないのです。

科学的な授業改革もできないのです。

販売する側の意識調査では、本当のことは見えないのです。

消費者の意識調査でこそ、意味があるのです。

 

常に、生徒に、この時間、楽しかったか?

おもしろかったか? タメになったか?と聞ける教師でありたいと

思います。

 







Last updated  2009.08.29 14:49:45
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2009.07.26

子ども達が、自分の力で前に進んでいくために、

どうしても必要なパワー。それは、どん欲な好奇心です。

これは、先天的な能力でしょうか?

いや、少なくとも、ある人の好奇心と発見への熱意が、

周囲の者に与える影響力は、間違いなくあるのですから、

教育界が、特に、教師がこの影響力を真剣にとらえるべきでしょう。

 

この影響力は、大人同士でも、もちろんありますが、

特に学生と教師の関係において大きいものです。

 

ネットが発達した情報化社会において、

単に受験情報だけなら、人間は要らないのです。

なぜ、生身の人間が必要なのでしょう。

それは、子どもの生き方の見本としてだからでしょう。

 

この様々な楽しさに満ちている社会の中で、

「学び」の素晴らしさ、魅力を体感させること、

魅力を感じる能力が

子どもたち自身の中に存在すること

これに気付かせることこそ、

教師の仕事であることはいうまでも無いことでしょう。

 

でも、どうやって気付かせるの?

そう、それはもちろん、

教師自身がサンプルとなってなのです。

説教して、好奇心なんて、湧くもんじゃありません。

 

子どもたちの「学ぶことに対する欲求」は

「学ぶことへの欲求」を現に生きている教師からしか学ぶことができないでしょう。

 

なぜなら、好奇心は、理知的な意識の働きと言うよりは

潜在意識の発露だからではないでしょうか。

理屈ではなく、感情そのものを、魂そのもを

潜在意識に織り込むのに、身近で、サンプルの人に接することほど

効果的なことはありません。

 

もし、子どもたちに学びを動機づけたいと望むのなら、

教師自身が、意欲の塊になり続けているべきです。

教師自身がつねにいきいきと好奇心にあふれ、

さまざまな謎に惹きつけられ、

絶えず仮説を立て、実験し、

自分の世界観を書き換えていくプロセスに熱中していること。

 

情熱は伝わるものです。

 

それに反して、教師の存在意義を、子どもを叱るため、

子どもを評価するため、と思っている人が何と多いのでしょう。

 

まず、教師や親が、自分自身を、

ポジティブな考え方を持てる自分に作り変えていくことです。

子どもにあれこれ言うのは、その後です。

(本当にポジティブになれば、子どもにアレコレ言わないものです。)

自分を心の底から、肯定するのです。

自分を肯定できない人が、

子どもを肯定できるはずがありません。

でしょ?

 

良いことには、素直に反応し、目いっぱい味わい尽くす。

悪いことには、本来の自分とは関係ない、と

その教訓だけ成長の糧にして、自分と切り離す。

これで、いつも、機嫌良く暮らせます。ワッハッハ。

 

そして、素晴らしい未来の姿のリハーサルを

心の中でし続けること。

それを継続すること。

 

結局、人間が人間にできる教育とは、

潜在意識に「意識的に」働きかけることしかないのかもしれません。

 

人間は、人からあーだ、こーだ、と言われても

その指示で変わることなんて、無いからです。

自分の胸に手をあてて、誰かの説教で人生が変わったなんて、ありました?

 

テストの点数は、テクニックの解説で上げることができるかもしれませんが、

自力で成長する力っていうのは、

直接教えることはできない、と割り切ったらどうでしょう。

 

我々にできるのは、サンプルとしての存在になり、

その存在感が、彼や彼女の潜在意識に入って、

彼らの潜在意識が徐々に変化していくことを祈るのみです。

 

でも、それに成功したとき、

子どもたちは、何も教えないのに、

勝手に、「先生にいっぱい教えられた」と感謝するものです。

 

自分のことを振り返って、(たいへん面映ゆいのですが)

実験をしている時の、相澤先生の表情がとても良い、という

感想をいただきます。

もし、私の実験教室が影響力があるとしたら、

そのパワーは、私の実験内容そのものよりも、

私の楽しくて仕方がないという表情の方に要因があるのかもしれません。

 

この方面の研究は、もっともっとしていきたいと思っています。

 







Last updated  2009.07.26 15:17:05
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2009.07.18

今、日本の学校は、

猫も杓子も、「学力向上」です。

国がうたっているのですから、

学校が錦の御旗として使うのは当然です。

そのお陰でしょうか、

私にお声がかかることも、多くなりました。

でも、私は疑問をもっています。

 

日本のゆとり教育を見直そうという、その発端となったのは、

PISAのテストにおける日本の子どもの成績不振です。

 

そこから、「学力向上」派が鼻息を荒くしてきたわけです。

 

でも、ちょっと待ってください。

 

私たちが、学校で一般的に使われている「学力」、

とか、「学力低下」問題と言う場合の「学力」とは、

「各教科で習った知識の定着度合いのこと」、

または、「正解が一つのペーパーテストによって測られる力、いわゆる受験学力のこと」

を示していますね。

これが、親も教師も、塾も共通理解で言っている

一般的な「学力」ですよね。 



しかし、OECD(経済協力開発機構)が求める「学力」は、

日本のものとは全く中身が異なっています。

以下参考
*******************************
<OECD公式ページ>
The OECD Programme for International Student Assessment (PISA)
What PISA Assesses
PISA assesses how far students near the end of compulsory education have acquired some of the knowledge and skills that are essential for full participation in society. In all cycles, the domains of reading, mathematical and scientific literacy are covered not merely in terms of mastery of the school curriculum, but in terms of important knowledge and skills needed in adult life.

http://www.pisa.oecd.org/pages/0,2987,en_32252351_32235731_1_1_1_1_1,00.html

<文科省公式ページ>
[PISA調査内容]
● PISA調査では、義務教育修了段階の15歳児が持っている知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかどうかを評価。
(特定の学校カリキュラムがどれだけ習得されているかをみるものではない。)
● PISA調査では、思考プロセスの習得、概念の理解、及び様々な状況でそれらを生かす力を重視。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/04120101.htm
*******************************



つまり、教育の目的を、OECDでは、

社会に出て、いろいろな問題を解決し、

元気に社会生活ができる力を育むことだと、考えています。

 

だから、PISAで求める「学力」は、

「社会人として元気に生き抜く力(=人間力)」です。

今、日本の学校が追い求めている「学力」と

定義が全く異なっています!

 

これじゃ、さらに、PISAテストの成績は下がっていくのではないでしょうか?

ベクトルがズレているのです。



これまで日本が求めて来た「学力」では、

もはや成熟社会では適応しなくなって来ているという判断を以前、

臨教審答申、中教審第二次答申などで、したはずです。



悪名高い、「ゆとり教育」の柱は「生きる力」であり、

PISA型の学力に方向転換しようとし、

「総合的な学習の時間」が設置されたのです。


しかし、いつの間にか、問題は完全にすり替えられています。

そして、マスコミも、このすり替えをほとんど指摘していません。

これは、マスコミの編集者も、旧態依然とした、

過去の「学力」に固執しているからでしょう。



世界標準と言われるPISA型学力で、

日本が世界のトップになりたいのであれば、

まず、「学力」の定義を国民皆が認識し、共有しなければなりません。

そのためにこそ、マスコミはキャンペーンを張るべきです。

 

トップ成績で有名なのフィンランドは「総合的な学習」が主体です。

 

日本のこの揺れ戻しは、

教育界の指導層が、従来の学力観から抜け出ないから、

いや、それしか持ち合わせていないから、

その尺度でしか、ものごとを判断できないから起きた

悲劇です。いや、喜劇です。

 

現在、社会のトップで活躍されている人なら、

小中学校で追い求められている「成績」が

人生では、ほんのつまらないものであることは、

百も承知のはずです。

 

でも、それでしか、生きていけない人たちが

その狭い学力を唯一の土俵として生きています。

当然、総合学習の進め方など、わかるはずがありません。

 

私たち、大人は、日本の子ども達を

このバカげた檻の中から、解放してやる責務をもっています。

 

これこそ、日本への貢献であり、愛国心だと思うのです。







Last updated  2009.07.18 13:13:35
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昨日の一学期の修了式

当然のごとく、後ろの方では、

規律に従わない子たち。

 

担任の先生たちの、懸命な指導をよそに、

私は、側面から、気楽にながめてばかり。

何て、いい加減な人間なんだろう。

 

でも、おかげで、冷静にいろいろ考えることができます。

彼らは、何を訴えたいんだ。

なぜ、こうなったんだ。

彼らが自然と溶け込める学校のスタイルとは何なんだ。

そもそも学校とは何なんだ。

 

頭では、いろいろ結論めいたことも思い浮かぶのですが、

ふと、現実の彼らの、非常識さ。

そして、礼儀の無さをみると、

怒りがこみ上げてきます。

 

中には、明らかに、本人が持って生まれた

障害のせいで、道をはずれてしまった子もいることが

わかります。

でも、やっぱり、面と向かって、人を傷つける(心理的)行為を見ると、

私は、思いっきり殴るか、

または、精神的にパンチを入れたくなります。

 

少なくとも、私が不快なことを伝えずにはいられません。

で、実際、彼の真似をしてみました。鏡のように。

そしたら、彼は、すぐに切れて、出て行きました。

アチャー。

 

私のジェスチャーは、他の先生は見ていなかったようで、

なぜ、彼が出ていったのか、なぞで終わったのですが、

ああすれば、こうなるくらい、わかっていように、

俺も未熟だなあ、と思った次第。

 

でも、間もなく、彼は返ってきました。とさ。

ま、今後、人間関係をしっかりと築きたいと思っています。

 

それにしても、です。

原理原則に戻って考えれば、

日本の学校の集団主義が

何の反省もなく、現代まで使われていることに

問題があるのは、明白です。 

 

エジソンは、不登校でしたし、

アインシュタインも、学校嫌いだったのは、有名です。

 

アインシュタインは、軍隊の行進を見て、

多くの人が、機械のように感情を殺して動く姿に

恐怖を感じる感性の持ち主でした。

 

学校教育になじまないのは、当然です。

そして、学校側も、アインシュタインを

「のろま」とか「退屈な子」

「ろくなものにならない」とレッテルを貼っていたわけです。

 

アインシュタインのような天才だから、

エスケープが許されるのでしょうか?

そんなはずはありません。

 

一般の子でも、学校に行かないからこそ、

大成する子がいっぱいいるはずです。

 

IT産業はじめ、世のシステムは

目まぐるしく変わっています。

その中で、教育システムだけが、

何と変化がなく、また、スピードが遅いことでしょう。

教職員の善意と努力を疑うものではありません。

しかし、その努力のベクトルの向きがズレているのです。

文科省の責任が一番ですけどね。

 

教育システムが、時代から、遥か後方に置き去りにされているのは、

明明白白ではないですか。

そして、試行錯誤が少なすぎます。

式典のスタイルも十年一日どころか、30年一日のようです。

もしかして、百年一日なのかも。

 

異常な中にいると、正常な感覚が失われます。 

何を基礎にするのか、の原理原則をしっかり持たないと。

 

私は、

「生きているだけで、素晴らしい!」

ことを、繰り返し繰り返し伝えることだと思います。

そして、すべてのクラス、すべての生徒を「特別支援教育 」と

することだと思います。

 

そして、同一年代だけの教育は、あまりにも不自然だと思うのです。

自然の掟に反しています。

ごちゃまぜに、するべきだと思うんだなあ。

 

 







Last updated  2009.07.18 09:44:50
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2009.07.09

今日の夕方、ネットに復帰します。

いやあ、長かった。

 

昨日、仙台の子ども会さんとの打ち合わせに、

手書きで、企画書とプロフィールを書いていきました。

鹿島台中央児童館様にも、手書きです。

 

あらためて、ミミズのはった、わが字を見るのもいいもんです。

 

ところで、昨日、「学問のすすめ」の一節を書きましたが、

福沢諭吉は、学校教育の創始者のように思われていますが、

その思想は、根本的に、現在の学校とは違います。

 

志を同じくする者がお互いに励ましあって

磨き合って学問しましょう、というのが、

「義塾」たるところです。

 

その結果、後日、世の役に立つようになるならば

お国のためにもいくらかは…というスタンスです。

(慶応義塾之記 慶応4年)

 

当時、主流は、国家のために、

国家が独立するには、近代化が必要で、

そのためには、無知蒙昧な国民に

知識や技術を身につけさせなければいけない、という考えで、

基本的にその流れで、学校教育が始まったわけですが

 

福沢諭吉は、全く逆のことを主張しているのです。

まず、一人、ひとりが自立することだ。

それがなければ、一国の独立ということは

いつまでたってもあり得ない、と。

 

この違いはとても重要だと思います。

福沢諭吉は、学問のすすめでもって、

みんな学校に行きなさい、と言っているわけではないのです。

みんな自分で学問をして、自立しなさいよ、と言っているのです。

 

明治22年、学校関連の法律が整ったとき、

福沢諭吉は、

こうした、学校体制をもって近代化に必要な知識・技術を国民に

「教える」ことを旨とする政府の考えに、警告を発しています。

 

「そもそも人生の事柄の繁多にして天地万物の多き、…たとえ、

その一部にてもこれを教えて完全ならしめんとするときは、

かえってその人の天資を傷い、活発敢為の気象を

退縮せしめて、結局世に一愚人を増すのみ。」

 

と。痛烈でしょう。

そして、

「学校は人にものを教うる所にあらず、

ただその天資の発達を妨げずして

よくこれを発育するための具なり。」

 

私が塾生だったからという色眼鏡でなく、

全く先見に富む意見だと思いますが、どうでしょう。

まさに、この予言どおりなっているのではないでしょうか?

 

福沢諭吉というと、

金の亡者のように、イメージされているところもありますが、

その金はどうして必要かと言えば、

一身独立するためなのです。

 

独立を援助するには、金のことを避けては通れません。

何も、私、科学寅のような生き方をお勧めするわけでは

サラサラありませんが、

こんな生き方も許される、処世術をコーチするのも

本来の学校の役割だと思うのです。

 

今日もこれから、中学校で、ドロップアウトした子との

マンツーマンが待っていますが、

この視点で、私はお付き合いをさせていただいています。

 

 







Last updated  2009.07.09 09:07:06
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2009.07.08

学校だけでなく、社会の職場でも、

教育という名の、コントロールがまかり通っていることに

吐き気を催す科学寅です。

 

百歩譲って、企業では、

会社のための兵士に育てなければならないとすれば、

コントロールでも何でもして、

ロボットを作ればいいでしょう。

それも、特定の感情付きのロボットです。

 

しかし、それを、決して教育とは、呼ぶべきではない。

 

ずっと以前にも書きましたが、

私の教育観は、福沢諭吉の「学問のすすめ」にある

「父兄は子弟に独立を教え、

教師は生徒に独立を勧め、

……。

概してこれを言えば、

人を束縛して独り心配を求るより、

人を放ちて共に苦楽を与にするに若かざるなり」

(第三篇 「一身独立して一国独立する事」の結び)

が基本です。

 

人を放すのです。

そして、共に苦楽を与にするのです。

 

この感覚が決定的に欠落している人がいます。

こういう人の下では、兵士は作れますが、

人は育たない。

 

だいたい、そういう風土の組織が、

激動の環境変化を生き抜けるはずがない。

 

しかし、そういう沈没が目に見えている船に

しがみついている人、いや、しがみつかざるを得ない人が

大半だというのも現実です。

その社会風潮への抵抗として、

また、将来ある子の応援歌として、

科学教室をしていると言ってもいいです。

 

ちょっと角度を変えて、

教育の市場経済化が、

子どもたちの意識に与える影響。

これは、とんでもなく大きいものがあると思います。

 

これは、功罪あり、一概に否定も、賛美もできません。

しかし、冷厳な現実として、

ほとんどの子供たちが、

教育を、自動販売機か、エステに置き換えて

イメージしていること(その心のモデルとして)

それと、現実の学校等とのギャップから、

拒否反応を起こしていること。

これを問題のベースにとらえないといけないと思います。

 

この市場経済の中で、

活路を求める教育産業もあるでしょう。

それはそれでいいです。

 

しかし、通常の学校は、この枠組みに乗ってしまったら

自殺行為です。

どんなに、サービスを良くしても、泥沼が待っています。

 

そうじゃなく、コントロールでもなく、

(コントロールするためには、脅しが必要です)

 

相手を解き放つという、概念に立ったとき

活路が見出せると思うのです。

 

福沢諭吉じゃないですが、

コントロールや、権威主義は、「親の敵」です。

科学寅にとっては。

これを認めては、これまでの私をすべて捨てろというのと同じです。







Last updated  2009.07.08 08:27:59
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2009.06.05

私は、教育を考える研究家のつもりで、

いろんな活動をしてきました。

今月も、6つの学校に、呼んでいただき、

科学実験教室を開かせていただいております。

 

素朴な疑問で思うのは、

小学生の方が、特に低学年の時ほど、

学ぶ意欲が高く、意見もいっぱい言うのに、

高学年になり、中学生・高校生と、

日本の教育に浸かっていけばいくほど、

意欲が目に見えて衰え、

自分から、楽しいことを見つける力を失っていくことです。

 

これほど明白な、教育の失敗は無いんじゃないだろうか、

と思います。

人間は地球温暖化や、核兵器によって、

滅びるよりも先に、教育によってほろびてしまうのではないでしょうか?

 

このことは、多くの人が言っていますが、

対策は、せいぜい、「社会の進歩に落伍しないように」と、

たくさんの知識をつめこむことに、またまた、執着しています。

もちろん、沢山の知識を身に付けることは,

それ自体に悪いことはないように見えますが、

実は、知恵と知識は、反比例する原理があるんじゃないでしょうか?

 

ともかく、子供たちは、「教育」の代償として

人間として生きる力を失ってしまっていっているわけです。

本当の知的な喜び、楽しさから、どんどん遠ざけられています。

そして、代わりに刹那的な、本能欲だけを刺激され、

それが、目標だと思い込んでいます。
 

 

これが、現代教育の成果だというのなら、

学校は、閉鎖した方が、よっぽど、日本のためになるのではないでしょうか?

 

そもそも、近代の学校なんて、人類の悠久の歴史からすれば、

特殊なあぶくに過ぎません。

それに引き換え、楽しい学問の歴史は、

ずっとずっと長い伝統をもっています。

 

楽しい学問や科学が特殊なのではなく、

つまらない「教育」こそが、特殊な形態なのです。

 

でも、もしかして、制度自体を云々するのは、

焼け石に水かもしれない。

いかに、制度をいじっても、

上の人が、楽しい学習をしてこなかったんだから、

結局、同じことをするだけだ。

 

だったら、一人でも、楽しい体験を積んだ、子供たちを

世に送り出すことしか、

根本的な革命は起こせないのかもしれない。

 

そんな思いを胸に、

今日の楽しかった実験教室を反省しているところです。

 

それにしても、穂波の郷クリニックや

古川南中学校に勤務しているからこそ、

金曜日の午前中なんかに、科学実験でございます、って

出かけることができるのです。

本当にありがたいことだと思います。

社会をカタチづくるって、

こんな縁の下のバックアップが実は、キーになっていたりするんですね。







Last updated  2009.06.05 15:28:52
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2009.05.22

昨日、仙台で開かれた、医療フォーラムに参加してきました。

これから、医療に求められるものの中に、

看護師さんが、自分で判断して、

報告して、つなげていくという能力が指摘されています。

 

教育現場で、先生方が

「指導要領に従うのが当たり前だから、従っている。」

というのは、おかしな話ですね。

自分の判断で、考えて行動する人間を育てようとしているんですから。

 

自分のアタマが動いていないことを証明するような発言が

ありますね。

 

このまんないくと、こうなっちゃうだろうなあ、って

見えてても、そのまんま、行っちゃいますもんね。

 

登校拒否にしても、学級を抜け出す子にしても、

100%の子が、学校のシステムに収まると考える方が異常ですよね。

考え方に無理があるのです。

 

そして、学校に行かなくちゃ損だ!って、

子どもたちが心から思えるような授業をすること。

これに尽きると思うのです。

 







Last updated  2009.05.22 11:26:39
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2009.04.19

ある知り合いの子が、

この春、東北大学に合格したのに、

それを蹴って、マンガの専門学校に行っちゃいました。

それはそれで、とっても、超弩級に素晴らしいことだと

拍手を贈りました。

 

しかし、これを聞いた、ある奥さんは、

「うちみたいな才能の無い子は、

勉強して、良い学校を出ないことには、

結局生きていけないから」

と猛勉強で有名な進学校に入れた理由を話します。 

 

どうして勉強しなければならないのか?

小学校高学年にもなれば、

この疑問は、どの子ももってくるはずです。

ましてや、中高生になれば当然です。

 

しかし、これを真正面から問う子は少ないですね。

勉強するのが当然だ、

勉強しないと周囲から受け入れてもらえない。

私の存在価値がこれにかかっている、

となれば、勉強することをすべての前提に置いてしまって当然かもしれません。

 

しかし、それは、抑圧された勉強であり、

一種の脅しの中の勉強です。

 

「勉強できなくては、結局、幸せになれないから」

という言葉が、親から、自然に飛び出て来る環境ですから

子どもたちは、自分の幸せのための

仕方のない、ハードルだと認識してしまって当然でしょう。

 

これでは、もし、勉強ができなければ

自分を価値の無い者、世の中の敗者だと思わざるを得ず、

また、逆に、勉強ができれば、

それだけで、幸福を得られる権利を持ったのだと

高慢で鼻持ちならない人間になってしまいます。

 

どちらにしても、その子に幸せは来ないのです。

 

この何故、勉強するのか、という疑問に

学校が真正面から向き合っていない!

 

そこに受験があるから。

これしか、説明できていない。

受験・成績・評価・進路

それが、教師が生徒や親を支配し、コントロールする

唯一の土台だから、

それ自体に疑問を挟み込むことは、

自分たちの土台を揺るがすことです。

 

もはや、学校の論理の中だけでは、

子どもも親も、本当の幸せを見失ってしまうことは、明白です。

 

目を社会に向けると、

学校の論理の、何とちっぽけな

うすっぺらのことかと、気づきます。

 

もちろん、社会には、素敵なもの、醜いもの

善も悪もあります。

しかし、本当に素晴らしいものを

子どもにプレゼントしたいと思うなら、

本当の幸せに気づかせてやりたいと思うなら、

社会の輝いている人や場所に

どんどん接することができるように

し向けてやるべきでしょう。

 

「幸せ」と「勉強」は、全然別のものなのですから。

子どもに幸せになって欲しかったら、

「幸せ」を学ばせるべきなのです。

 

これに気づかない親は、

だから、ご自身が現在、不幸なのです。

 

私は、もともとの志であり、今は休止している

地域で作る体験学校

「ウィークエンドはてなクラブ」の精神を

穂波の郷クリニックと

その緩和ケア支援センターにおいて

復活させる決意をいたしました。

 

追って、プランを発表いたします。

 

また、このクリニックとの私のご縁についても

もう一度、アップいたします。

 







Last updated  2009.04.19 07:49:34
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PTA行事と科学実験教室


悩ましいPTA行事


PTA行事の強みと弱み


PTA行事と科学実験の相性は?


ここに注意すれば、誰でも楽しめる


化学の学習関連


オール・イン・ワンの科学実験教室


平成19年度~直近の活動記録


18年度 出前講座記録


頒布します。「特別支援教育の基礎基本」


エコネシアカレッジ「和吉塾」


ドライアイスで魔法学校 テキスト頒布


私の「動機」と、子どもと接する心構え


まず感情を育てましょう


最高のプレゼント


やる気を出させる方法


起点を固定するな


子どもに旅をさせるのか、移動なのか


いろんな人がいていい。


「ねばならない」からの脱出


良かった探し


すべての学習は、遊びの中にある


学習の生理的メカニズム


愛の衣を着せて子どもを見る


愛は最高の姿を想像する


優秀さをほめることの危険性


子どもは責任を感じている!


子どもが最も傷つくこと、最も強くすること


「上手だね」は止めよう


予想したとおりの子どもになる


笑いの効用


<テレビ>2歳までは控えめにと提言 小児


障害児と接して教えられる宝物


ただ、喜び踊りましょう。


「こうあって欲しい」は、親子を縛る


恵み受信機


問題児の行動も生かして返す


教師や親は、まず自分自身になりきること


先生に意欲をもってもらうには


教えることについて(ジブラーンの詩)


科学寅さんのちょっとマジメなプロフィール


授業研究


癌になりやすさと心理タイプ


私メッセージの決意


読字障害の実例


子どものやる気を引き出す仕掛け大作戦


《受験勉強の裏技》脳ミソにだまされないよ


うまくいったらどうしよう


積極性を育てるには


イメージ訓練の威力


ライトスコープは不思議世界への特別入場券


自分で作った問題を絵馬にして奉納する


子どもに現金をもたせて、買い物をさせよう


渦巻き学習法・仕事術


みんなの輪(リンク集)


様々な教育メソッド


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科学寅@ Re[1]:軽く考えよう。(02/14) 伊藤走さん コメントありがとうございます…
伊藤走@ Re:軽く考えよう。(02/14) 相澤さんいつもお世話になっております。…
ゆうSAIEN@ 英語が嫌いになるパターン(01/26) こんにちは(*^_^*) でもね、もしこれで、…
すがきょん@ Re[2]:人工知能に奪われない職業(10/11) >科学寅さん ありがとうございます。近い…
科学寅@ Re[1]:人工知能に奪われない職業(10/11) すがきょんさん コメントありがとうござい…
すがきょん@ Re:人工知能に奪われない職業(10/11) 先日、先生の科学実験に小学校の親子行事…
科学寅@ Re[1]:ダイエットの秘訣(09/29) ありがとうございます。 そうですねえ。 …
かめわざ快心塾@ Re:ダイエットの秘訣(09/29) 言わずもがなですが、 達成したときの、姿…

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