東京の金子から勇治への手紙
お手紙ありがとうございました。上京しましてから、姉の看病と話し相手,姪のお世話とおさんどんで毎日が過ぎていきます。こうした中で受け取りました貴方からのお手紙、うれしくうれしく、何度も繰り返し、読ませていただきました。 こちらでは先日開かれたオペラ『椿姫』のことが話題となっています。関谷敏子氏と藤原義江氏の競演で、せっかくなので私もぜひ行こうと思っていたのですが、姉のことがあり、残念ながらあきらめざるを得ませんでした。 おふたりの共演はレコードでは何度も聴いています。立松房子氏の『椿姫』も聴きました。 私のようなものが論評するのはいかがなものかとは思いますが、立松氏のトレモロはきれいでしたが、関屋氏のほうが情熱的でゆとりの香りがあるように感じました。 萩野氏は東京音楽学校を卒業後、フランスに留学。関谷氏は東京音楽学校を中退し、イタリアに留学。そしてミラノのスカラ座のオーディションに合格なさったと聞いております。 おふたりともプリマドンナとして日本のみならず、世界で活躍なさって…。 立松氏も東京音楽学校で学び、三浦環さんと同じハンカ・シェルデルップ・ペツォルト氏に学ばれたとか。 私の切なる希望は、洋行して、本場で学ぶことです。貴方のような方と洋行できましたら、話も合って、いっそうおもしろく、さぞ音楽の勉強もはかどるでしょう。そんなことを想像するだけで、心に翼が生えたように、楽しくなってまいります。 お尋ねの私の音域ですが、発声できるのは「下のD」から「上の上のF」まで。発語できるのは「下のE」から「上の上のC」までです。 歌う場合は、一般にソプラノの音域は「下のC」から「上のA」とされていますが、私は「下のF」から「上のB]まででも歌えます。 ここ数日、東京でも雪の日が続きました。福島も、雪が降っているのでしょうか。 お忙しい中、大変な努力を重ね、音楽に向き合っている貴方の姿がまぶたに浮かんでまいります。 貴方の中から、どんな音楽が生まれるのでしょう。生まれる瞬間はどんな気持ちになるのでしょう。音楽が貴方からあふれ出すのでしょうか。 ああ、貴方の曲を、この耳で聴いてみたい。歌ってみたい。 その思いは渇望といってもいいほどです。 貴方を知り得たのは、運命の糸を操る神の力の御技によるものではないでしょうか。 あの新聞が私の心にとまって、思い切って差し上げた手紙に、貴方がご返事をくださって、この広い世界でこうして結ばれた魂と魂。 貴方が、そして私も、真剣に生一本な心を持ち続けたら、必ず偉大な芸術を生み出すことができると信じております。 お体を大切になさいませね。それからひとつお願いがあります。お写真一枚、お送りくださいませんか。私の写真も、そのうちにお送りいたします。勝手なことばかり申し上げました。お許しくださいね。貴方のお手紙を、待っています。 内山金子※※※この返事を出して三日後、また勇治から手紙が来ます。時間的に勇治は、金子の手紙の到着を待つことなく、手紙を書いて出したのだ。