ADHDの子の教育
最近、また、ADHDのお子さんをもつ親御さん方数人と、お話をする機会がありました。私は、ADHDの子こそ、地域で育まなくてはいけないと思います。どうしてって、家庭教育とくに、お母さんだけでは、必ず疲れ果ててしまうからです。 私は進学塾には、根本的に反対なのですが、家庭の補完をする塾は、いっぱい設立されて欲しいと思います。 親は教育上、失敗もいっぱいしてしまうのは、当然です。自分を責めたくなることも多いでしょう。しかし、子どもにとって、お母さんが、しかめっ面しているのはとっても苦しいのです。自分のせいだと、必ず思っているのです。そぶりを見せなくたって、子どもは親の不幸は自分のせいだと思うものなんです。 ただでさえ、外で苦しい思いをしている彼の安全地帯として、家庭だけは防波堤になってあげてください。そして、躾は、お近くの理解のある人に頼めればいいですね。そして、お母さんは、いつもニコニコが結局は一番だと信じています。 まずは、学力より何より、社会生活能力ですから、おまけで勉強を教えるくらいの気持ちのところがあればいいのですが。参考となるお話をこの日記で紹介します、とお伝えしました。ここに転記させてもらいます。 関係のない方には、ただの長文ですが、普通の子の教育にも、意外に役立つと思いますよ。私は、ADHDの子への教育は、教師の腕の試金石みたいなものだと思って取り組んでいます。以下は、私がお世話になっています、東北大 小児科 横山浩之先生のHPのメッセージからの抜粋編集です。先生には、昨年、古川市内の保母さんの自主勉強会でも、一年間指導していただきました。ありがとうございます。直接ご覧になることをおすすめします。http://www.remus.dti.ne.jp/~schumann/adhd/ ADHD/LD の子供たちが、教育という大いなる力を得て、自らの力で羽ばたいていくことを期待して、私はこのサイトをたちあげることにしました。 私は医師として、ADHD/LD の子供たちを支援していきますが、医師の力には、大きな限界があります。 どうがんばっても、医師が子供たちの相手をしてあげられるのは、1か月に1回が、いいところです。 教師にできて、医師にはできないこと・・・それは、毎日、彼らを、生活のなかで教えていくこと・・・集団という場を生かして彼らを教え諭すこと・・・考えれば、きりがありません。 医師である私が、彼らのためにできることは、彼らの障害について、教師の皆様に、医学的な知識を提供し、教育との連携をはかることしかありません。 どうか、子供たちのために、教育の力を見せてください。 お願いします。 <注意欠陥多動性障害(ADHD)って、どんな病気?> 注意欠陥・多動というふたつの言葉がつながっているのは、誰が見てもわかると思います。 さて、この二つの言葉はどんな意味でしょうか。 なんとなく、注意欠陥とは、注意散漫で、ひとつのことに集中できないようなイメージをもちます。 また、多動といえば、落ち着きがないことを示しているような気がします。 このようなイメージは大きな誤りを含んでいます。 第一、そのようなことだけなら、あなただってそうではありませんか?Attention Deficit (注意欠陥)とは、自分の興味がないことに注意をむけることが できないことをさします。 興味があることには、過剰に集中する!) Hyperactivity (多動)とは、知的水準にそぐわない落ち着きのなさを示す。 よってそれらは、 どちらの症状も、衝動の抑制ができないことに他ならない!<注意欠陥(Attention Deficit)とは> 注意欠陥というのは、Attention Deficit の邦訳です。 Attention が欠けているという意味です。 Attention とは何でしょうか? 飛行機に乗ると、ステュワーデスさんが、出てきて、離陸前に "Attention, please!" と言って、救命胴衣の付け方などを説明します。 "Attention, please!" というのは、「これから私は,あなた方が飛行機に乗るに当たって大切なことを話すから,つまらないかもしれないけれども聞いてくださいね」という意味です。 ADHD の子供は、この Attention ができないのです。 ADHD の子供たちは、「自分の興味がないことに、注意を向けなさい」と言われても、それができません。 なぜできないのか? それは、集中できないのではなく、自分の興味に過剰に集中しているからなのです。 興味がなくて注意を向けられないのではありません。 興味があることに過剰に集中しているので,他のことが頭に入らない状況なのです。<多動(Hyperactivity)とは >多動とは、単なる落ち着きのなさを示す用語ではありません。 小学1年生と小学6年生とを比較して、どちらが落ち着きがあるでしょうか? もちろん、6年生に決まってます。 ならば、小学6年生が、1年生のようなふるまいを見せたら、どう思いますか?1.あの子供は知恵遅れで、1年生と同程度の能力しかないのだろう。 2.あの子供は知恵はあるが、落ち着きはないのだ。 あいさつもしっかりしているし しつけも悪くないのに、不思議だなぁ。 3.あの子供は知恵はあるが、しつけがなってないから、落ち着きがない行動をする であろう。 4.あの子供は知恵はあるが、行動が妙で、誰もが「わっ」とうけるものを見せても 振り向きもしない。それなのに落ち着きがなく、いつもそわそわしている。注意欠陥多動性障害の子供の多動は、上記のうち 2. のパターンのものを指します。 すなわち、知的水準にそぐわない、落ち着きのなさをいいます。 (参考) 1. 精神発達遅滞 3. 反抗挑戦性障害(あるいは「しつけ不足症候群」) 4. 高機能自閉症 を想定しています。<注意欠陥多動性障害(ADHD)の治療がなぜ大切か?> 上記に記してきたように、ADHD の児童は、学校生活で、いろいろな問題を抱えやすい子供です。 上記の症状は、患児の努力にかかわりなく、時おり、顔を出します。 従って、注意欠陥や多動・衝動性の症状が病気によるのだと知らなければ、患児が必死で努力しているにも関わらず、周囲から叱責され続けることになります。 これは、好ましいことではありません。 薬物療法や心理療法などで、この障害を克服させていく必要があります。 さもなければ、ADHD の子供たちは傷つき、そして二次障害を引き起こしていくことでしょう。 その二次障害を引き起こした代価は非常に大きいと考えなければなりません。 病気だとしらなければ、患児は、必死で努力しているにも関わらず、落ち着きの無さ、 多動性を周囲から叱責され続ける。それにより、 成功体験の乏しさから投げ遣りな性格の形成 反抗挑戦性障害を合併(ハイリスク群) 思春期に至り、行為障害/反社会性障害を形成 (校内暴力/家庭内暴力、非行、刑事事件など) などが引き起こされる。 治療が奏効すれば、行動面での改善が認められる。<教師の役割> 教師は、どのように ADHD 患児に対応すべきなのでしょうか。 まず最初になすべきことは、ADHD という病気の症状を正しく知ることです。 ADHD の症状と、合併障害(例えば LD)や二次障害(例えば反抗挑戦性障害)の症状とを切り分け、それぞれに対する指導方法を考える必要があります。 ADHD 患児の症状を大目に見てあげることだけがが、ADHD の理解ではありません。 そうではなく、心理的な対応で症状を軽減し、社会適応をすすめてあげることにこそ、教育の大切さがあるのです。 最近、マスコミからいろいろ取り上げられるようになった ADHD に関して、いろいろな本がでています。 心理療法のやりかたについても、様々な意見があふれています。 正直申し上げて、混乱状態にあるといっても過言ではないでしょう。 教師の対応も混乱を極めています。 『個別的配慮を要する』という言葉を聞いた途端に、何事も大目に見てあげることが配慮だと勘違いしている教師をたくさんみてきました。 ADHD に限らず、何らかの障害を持つ子供たちにとって、教育の立場からみた到達目標は、どんな状態でしょうか。 それは、『自立』して日常生活を送れることに尽きます。『周りが配慮しないと生活できない』状態と、『行動異常(障害)があっても、周りが受け入れやすい行動がとれて生活できる』状態と、どちらが良いでしょうか? 言うまでもなく後者であり、教育は後者を目指す努力に他ならないと、私は考えます。 ADHD の場合はどうでしょうか。 幸いなことに、基本的にADHD の子供たちがやることは、彼らの性質さえ理解できれば、行動を理解することが可能です。この点で、典型的な自閉症児の行動異常とは大きく異なるのです。 従って、ADHD 児童・生徒の教育的対応は、通常児童・生徒の教育の延長上にあるのです。 どうか、このことを忘れないでください。ADHD の心理療法の3段階1.子供からの信頼と尊敬を取り戻す。2.信頼と尊敬を取り戻したら、少しずつ、あせらずに、社会のルールを教え込む。3.教師が、子供の試行錯誤に肯定的に対応し、考える習慣を身につけさせ、自立を目指す。上記の3段階をお読みいただいて、通常児童・生徒と、どこが異なるのか、おわかりでしょうか? 異なるのは、子供からの信頼と尊敬を取り戻す。ところだけです。 ADHD の子供たちは、ADHD の症状(注意欠陥、多動性、衝動性)ゆえに、常に怒られ続けています。 本人が努力しても、ADHD の症状は、なかなかコントロールできません。それゆえに、「どうせ俺なんか!」「誰も俺のことなんかわかってくれない。」と思う気持ちがあります。それゆえ、他人に対して警戒心を抱くことが、日常茶飯のことになっています。 教師も例外ではありません。通常児童・生徒は、教師に対する信頼と尊敬を、ある程度持っていますが、ADHD の子供たちは、教師の行動をみて判断します。だから、最初に、信頼と尊敬を取り戻す必要があるのです。これができないうちは、何をやっても無駄です。------------------------------------------------------------明日に続きます。が、最後にHPの最後に書いてある、親御さんへの注意を先に載せます。《最後に横山先生からの注意をお知らせします。》 このサイトをご覧になるのはかまいませんが、この内容を、相談なしに家庭で実践してはいけません。 もしも、あなたが ADHD 児の親である教師ならば、このサイトの内容は、直接的には、あなたの子供の役には立ちません。 なぜなら、あなたは家庭では、親としての役割を果たす必要があるからです。 あなたが、家でも教師をしたら、子供は、親の情感を感じることができず、疲弊することでしょう。 親の役割と教師の役割は、相補的であって、基本的に異なるものです。また、このサイトの内容をみて、教師を批判したりしないでください。 実践経験を持つ教師でさえも、学校教育の方法論や技術を理解するには、かなりの努力が必要なのです。 実践経験をもたないあなたが、理解するのは、かなり難しいのです。 ましてや、現場の学級運営やその状態について、あなたがどれほど理解ができるでしょうか。 あなたが、このサイトの内容を中途半端に理解したとき、あなたとあなたの子供は、周りの友人や教師への信頼をなくす行動をとることでしょう。 あなたの子供の先生を理解し、信頼することから、ADHD の療育がはじまることを、どうか思い出してください。 そして、あなたの子供の先生に、このサイトの存在を教えてあげてください。