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はてなのゆりさん

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生きるって?

2020年07月26日
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カテゴリ:生きるって?

一昨日の7月24日付けの東京新聞3面に
1面に載った『ALS患者嘱託殺人』の
関連記事が掲載されていました。

その中でお二人のコメントが分かり易かったので
二つのコメント全文を載せさせていただきます。

ピンクハート 青ハート 黄ハート



星『当事者への圧力危惧』 船後議員
ALS患者の船後(ふなご)靖彦参議院議員(れいわ新撰組)は
23日、京都市での事件を受けてコメントを発表した。
              全文は以下の通り。

 事件の報道を見聞きし、驚いています。
ただ現時点では正確な事実関係がわかりませんので、
事件の内容についてのコメントは控えたいと思います。

 報道を受け、インターネット上などで、
「自分だったら同じように考える」
「安楽死を法的に認めてほしい」
「苦しみながら生かされるのは本当につらいと思う」
というような反応が出ていますが、人工呼吸器をつけ、
ALSという進行性難病とともに生きている
当事者の立場から、強い懸念を抱いております。
なぜなら、こうした考え方が、難病患者や
重度障害者に「生きたい」と言いにくくさせ、
当事者を生きづらくさせる社会的圧力を
形成していくことを危惧するからです。

 私も、ALSを宣告された当初は、できないことが
だんだんと増えていき、全介助でいきるということが
どうしても受け入れられず、「死にたい、死にたい」と
二年もの間、思っていました。しかし、患者同士が
支えあうピアサポートなどを通じ、自分の経験が
他の患者さんたちの役に立つことを知りました。
死に直面して自分の使命を知り、人工呼吸器を
つけて生きることを決心したのです。その時、
呼吸装置を選ばなければ、今の私はなかったのです。

 「死ぬ権利」よりも「生きる権利」を
守る社会にしていくことが何よりも大切です。
どんなに障害が重くても、重篤な病でも、
自らの人生を生きたいと思える社会をつくることが、
ALSの国会議員としての私の使命と確信しています。


      星 月 星 


  星本人意向のみは不適切
「死ぬ権利はあるのか」の著書がある
 横浜市立大の有馬斉准教授(倫理学)の話

日本では医師が致死薬の注射などをする
「積極的安楽死」は認められていない。
合法化されている海外の例と比較しても、
今回の事件は患者をよく知らない人間が
本人の意向だけで行ったとみられ、不適切だ。

安楽死を法律で認めているオランダでは、
長年、患者を診て、本人の気持ちの揺れや
家族ら周囲の人間関係なども知る
かかりつけ医が行うことになっている。

日本では、安楽死や尊厳死を巡る社会での議論は
まだまだ途上にある。末期がんの患者や
重度の障害・認知症がある人に対しては
「QOL(生活の質)が低い」という見方が多いが、
本人の感じ方は違うというケースもあり、
第三者が軽々に評価すべきではない。

黄ハート 青ハート ピンクハート

(幕末に多くの人を殺めた「新撰組」の名称をつけて
欲しくなかったな~とは思うのですが、)船後議員の
コメントは 分かりやすく、温もりを感じました。

どんなに障害が重くても、重篤な病でも、
 自らの人生を生きたいと思える社会をつくる


二年間も「死にたい、死にたい」と思っていたけれど
ご自分の役割と使命を知って生きる決心をされた・・
・・・ということに 強く感銘し、心を打たれました。





【生きるって?】

生まれて2か月を過ぎた赤ちゃん♪






最終更新日  2020年07月26日 18時50分45秒
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2019年02月15日
カテゴリ:生きるって?

半月振りで、孫を見に行ってきました。

息子が帰って来ていて抱っこしたところ
なにやら 抱かれ心地が 良くないのか?
泣きはじめました。 それで 私が抱っこ
すると すぐ泣き止んだんですよ~~ハート

もしかしたら、私との相性が良いのかも。

あれこれと話しかけると、口を動かして
モゴモゴッと 声を出すんですね~~~!!
でも これは私にだけではないようです。

さくら 四つ葉

生まれたときは濃い髪がびっしりでしたが
薄くなったようなので、髪の毛を鋤いたの
かと思ったら、そうではないとのこと・・

そうか、納得!!

頭が大きくなったのに、 髪の毛は増えてない
から 髪が薄くなったように見えるんですね。

顔もふっくら、しっかりして、目も
耳も、良く見えて、聞こえるように
なってました。そのあとも、息子が
抱っこすると嫌がって、私が抱っこ
すると泣き止むを繰り返しましたが

私の抱っこでも ぐずり始めたので
お母さんにあずけると 泣き止んで
 おっぱいを貰うことになりました。

やっぱり、お母さんが いちばんですね。

『お父さんに抱っこされると、泣く子が
 いるらしいよ 』と 言っている 息子が
ちょっと 気の毒になりました~ぽっ





【生きるって?】

初孫を授かりました~♪






最終更新日  2019年02月16日 12時17分37秒
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2018年12月19日
カテゴリ:生きるって?

 ちょうど一週間前に初孫を授かりました。
初めて会ったときは、まだ4時間前まで
お腹の中にいたとは思えないほど、周り
の空気にすっかり馴染んでいるようで、
とても不思議で、愛おしく思いました。

息子のお嫁さんと ご両親に 多々感謝ですハート

「ひ孫がいない、ひ孫がいない」と嘆いていた
母でしたが、名前がハナで、戒名に『華』の
文字が入ってました。偶然にも、お嫁さんの
名前にも『華』がついていて、この赤ちゃん
にも『華』がつきました。全くの偶然ですが
今ごろ母も喜んでくれていることでしょう。

ピンクハート 黄ハート ピンクハート

 昨日、お嫁さんも赤ちゃんも元気に退院し、
一か月ほど お嫁さんのご実家で お世話に
なります。あちらのご両親様にとっては、
5人目のお孫さんで何もかもお任せです。

息子と お嫁さんが『可愛い、可愛い』と
 言って喜んでいるのが何より嬉しいです手書きハート





【生きるって?】

満開の桜の下で・・・









最終更新日  2018年12月19日 18時27分24秒
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2018年04月26日
カテゴリ:生きるって?

​​定期的に母の介護の手伝いに来てくれていた
わが娘Mが満開の桜の下で撮った写真です。


​​
3月28日、亡くなる12日前のこと
姉の家の桜が ちょうど 満開でした。

車椅子を押して、ぐるりと家の辺りを回って
お出かけ前のご近所さんと記念撮影したり、
わが家の前、椿の花をバックの写真も・・・

川向こうのハナミズキ通りにある桜の下でも
長い間、くつろいで、それから知合いのお宅
にも伺ってお話をしたりしたとのことですが
それがお別れの挨拶になってしまいました。

黄ハート

Mは、1時間以上も電車に乗って よく来てくれ
ました。母も、Mと、Mが連れてくるワンコに
会うのをとても楽しみにしていました。

この日にも、桜の木の下でワンコを見て
にっこりした笑顔が遺影となりました。

黄ハート

母が亡くなった日の朝、私はMに、
『夜の間に、病院から何も連絡がなかったから
 おばあちゃんは元気になったんだと思うよ。
来てくれるのは ゆっくりでいいと思うよ』
 などと 言ってしまったため、Mが着いたのは
母の脈も、呼吸も、止まったあとでした。

Mちゃん、ごめんね号泣

そして、ありがとう!!


黄ハート 黄ハート



きっと母は、身内が誰も傍にいなくても・・・・
 父や、兄さん、姉さん、知人たちが待ってくれてる
あちらの世界に、元気に 旅立って行ったんだろう
な~って思うことにします。




【生きるって?】

母はどんな気持ちで逝ったのか・・・









最終更新日  2018年04月26日 19時56分41秒
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2018年04月25日
カテゴリ:生きるって?

​​こちら からの続きです。

家から母の病室まで、5分で行けるのに、行った
とき
には 脈拍数だか、心拍数だか、呼吸数だか、
たちまちのうちに0になってしまい、声をかけて
も分ってくれたのかどうか?

さくら

母が亡くなり、遺体になって帰ってきたあと
ボランティアで施設に行かれている ご近所の
Kさんが来て下さり『血を吐いたというから
やっぱりね、と 職員さんたちが話していた』
と わが娘Mに言いました。Mは取り乱して、
『血を吐いたんだったら、どうして言ってくれ
なかったの?』と 私と姉が責められました。

でも、姉も、私も、母が血を吐いたとは誰からも
聞いてなくて血を吐いたとは知りませんでした。

胃腸は、すこぶる丈夫な人だったし、食欲も旺盛
だったので、悪いものを食べたとしたら、吐いて
しまえば、元気になるだろうぐらいにしか考えて
いませんでした。

私が3時半頃、携帯電話を取りに帰っている間に
病室に移っていたので、
部屋に案内して下さった
 相談員さんから『また吐きました』と聞きました。

夕方5時過ぎに姉と行ったとき、看護師さんから
『何回か吐きました』とも聞きました。けれども、
姉も、私も、吐いたものが血だったとは、本当に
本当に、全く、全く、考えてもみませんでした。

さくら

ショートスティの部屋のベッドの上で、母が
『もう、いいよ』と言ったのは、母には自分が
吐いたものが血だと分って、ショックだった
のだろう、それで『もう、いいよ』と言った
のかなと、後になって考えたりもしました。

そんなに何回も、何回も、血を吐いていたのに
家族は誰も知らず、『明日には良くなるんじぁ
ないの』なんて言いながら帰ってきてしまい、
夜の間に、連絡がなかったので、やっぱり良く
なったんだろうなんて、私は、のんきに竹の子
掘りをしていたなんて・・・

さくら

亡くなる前日、病院に移ってから撮った写真では
心臓も肺も きれいだったとのこと。採血は、十分
出来なかったので、原因は、よく分りませんが、
内蔵のどこかが悪かったのでしょう、とのこと。

死因は、急性胃腸炎と書かれていました。

心不全とか、心筋梗塞とかなら分るのですが、
胃腸はすこぶる丈夫だった母だし、急性胃腸炎
と言われてもよく分らないで困惑しています。

家族がすぐ近くに住んでいるのに、誰も傍に
いないまま
息絶えて逝った母は、どんな思い
でいたのかな~?などと考えてしまいます。



毎日、5~6回は母のところに行って、車椅子に

乗せたり、体の向きを変えたりしていましたが、
それらも、もうしなくてよくなったんだと思うと
嬉しくなる気持ちもあったのですが、日が経つに
つれ、あれこれ考えると気持ちが沈んできます。





【生きるって?】

99才と6か月、母が旅立ちました







最終更新日  2018年04月25日 18時45分46秒
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カテゴリ:生きるって?

去る4月9日に母が亡くなりました。

10月9日生まれでしたので、
ちょうど99才と6か月でした。

四つ葉

3泊4日で、ショートスティに お願いしていた、
3日目の4月8日の朝に食欲がなくなり、その後
茶褐色のものを吐いたとお昼過ぎ姉に電話があり
私のところにはお客さまがあったので声をかけず
午後1時過ぎに姉がひとりで会いに行きました。

私は、3時頃に姉から聞いて
そのあと会いに行きました。

母は、ベッドで横向きに寝ていて
「もう、いいよ」と言いました。

これまでも こういうことはよく言っていたので
私は、あまり、気にも とめませんでした。

四つ葉

主治医のN先生の部屋に案内されました。
「私はこれまでとは違うと思うんですよ」
と言われて、
「自宅に連れて帰りますか? それとも
入院させますか?」と 聞かれました。

私は「これまで吐いたことはなかったので
家に連れて帰って、吐かれたら、姉も 私も
 まごまごしてしまうので入院させて下さい」
と お願いしましたら、
「大部屋が空いてなくて個室になってしまいます。
個室だと1日8600円になってしまいますが
いいですか?
短いかもしれませんし、あるいは
長くなるかもしれませんし」とのことでした。
私は、入院を お願いしました。

四つ葉

私が、携帯電話を家に取りに帰っている10分位の間に
母はショートスティの部屋から病室に移っていました。

看護士さんから言われて、仮の入院の書類を3枚ほど
書いて、「お姉さんは明日何時頃来られますか?」と
聞かれたので、今日、5時半前にふたりで来ます」と
言い、
姉の仕事のあと5時過ぎに一緒に行きました。

母は、さっきより良く眠っているようだったので、
起こさないで帰ってきました。帰る前に、姉が
「側についてましょうか?」と 聞くと、
「いいです。何かあったら連絡しますので、夜の間も
電話がとれるようにしておいて下さい」とのこと。

帰りがけに「悪いものを食べたとしたら、吐いて
しまえば、明日の朝には良くなるんじゃないの」
などと、姉と話しながら気楽に帰ってきました。

四つ葉

夜の間に連絡がなかったので、母が良くなって
いるのだろうと思い、私はのんびり、庭の
竹の子を掘ったり、室内に飾った花の
水をかえたりしていました。

9時過ぎに、姉のところに
「明け方、急変しましたので来て下さい」
と電話があったというので、ふたりで
5分後には家を出て、病院に行き、
10分後には病室に着きました。

「お母さん、ゆり子だよ」と声をかけると、
かすかにうなずいたかどうかという様子。

ベッドの際にはモニターがあって、数字が
80 と 20・・・ それが 60 と 10、
たちまち 40 になって、20になって、
 10 になって、0 になってしまいました。

足や手が冷たくなっていき、さすっていると
いちばん下の目盛りが10とかに表示され、
遠くの親族が着くまでそうしていましたが、
それは振動などによるものだとのことです。

四つ葉

母は遺体となって、
姉の家に帰ってきました。

お通夜が14日、告別式が15日でした。

15日は、わが家の ​​藤の花が満開​​ でした。





【生きるって?】  







最終更新日  2018年04月25日 16時21分00秒
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2018年01月28日
カテゴリ:生きるって?



心不全の発作 で 緊急入院して・・・
退院して 一年半になった母ですが、

79才のときに脳梗塞になってから
今月19日で20年となりました。

8人兄姉の誰もが元気で、脳梗塞の症状とかを
知らず、母は大丈夫とか言って一晩、我慢を
してしまったので、かなりの重症でした。

埼玉の親戚の家で暮らしていて深谷市の病院に
面会に行くと、言ってることも  聞き取れずに
もう駄目になるんじゃないかという感じ・・・

そのあと、所沢市のリハビリ病院に移って、
言語や歩行のリハビリを受け、5月に退院。

姉の家で暮らすことになりました。 近くの
H病院でのリハビリには 私も一緒に通って
 ほぼ毎日、同じことを母にやってみました。

がんばり屋の母はリハビリを頑張って、
(私も根気良く?付き合い)10月9日の
母の誕生日記念には 何回も休みながら
H病院の玄関まで一緒に歩きました。

あの日は 母の80才の誕生日だったんだ
 な~と今ごろになって思いおこされます。

母が脳梗塞になって、みんなの関心が母に向いて
しまったためか? その頃、急激に父が弱っていき
父を寝たきりにしないため 父の特訓もしました。

自分と子どものためにはめったにお医者さんに
行かなかった私ですが、通院に 付き合ったり、
両親のために、かなりの病院通いをしました。

父は87才で亡くなり、母は右半身が不自由ながらも
ひとりでリハビリに行かれるようになり、一時期は
身の回りのことも何とかやれるようになりました。

一昨年の5月に心不全の発作で入院する前までは
4~5年か、5~6年前頃からか 足のむくみが
ひどくなってきて、ほぼ毎日 足のマッサージを
30~40分かけてやりました。そうしないと
象の足?のようになってしまうためです。

心不全の発作の半年前からは、寝たきりに
ならないための特訓も、また始めました。

それらが良かったのか? 悪かったのか?

心不全の発作で5か月間 入院しているうちに
 寝たきりとなり、退院して1年半になります。

姉が良くやってくれているので、私もそれを
手伝うという形で 一日に5~6回 あれこれ
やりに行ってます。隣りの家ですのでねぽっ

 昨年からは デイサービスに行かれるようになり、
週1回が2回になり、ショートスティも お願い
できるようになり、今年から ショートスティを
 月1回から2回にしていただくことにしました。

姉と私の用事がある日に合わせてショートスティを
お願いしているのですが、それでも、昨日は、姉の
用事があり、私の予定を我慢して留守番しました。

デイサービスも、ショートスティも、送迎時に
ベッドから車椅子に移動させるのは私の役目。

デイサービスのない日も 2時間は 車椅子に
乗ってもらっています。 一日中、ベッドの
上では飽きてしまいますので・・・ それに
 車椅子に座って母も笑顔になってくれます。

初めは 軽かった母ですが、食欲も増して
重くなってきました。でも、もう 今より
体重が増えることもないと思いますが。

何かと制約のある日々ですが、それでも
私なりに やりたいことは 少しずつでも
 やれているかな~と思うことにします。

そんなこんなで、あと何年続くのか、
1~2年か? 2~3年か? でも、

4~5年ということはないでしょうし
 後悔のないようにしたいと思います。






【生きるって?】

心不全の発作から一年半、白寿を迎えた母







最終更新日  2018年01月28日 12時01分08秒
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2017年10月09日
カテゴリ:生きるって?



心不全の発作 で 緊急入院してから、まもなく一年半、
退院して 一年になる母ですが、99才となりました。

週に2回 デイサービスでお世話になる日も含めて
ほぼ毎日、車椅子に乗せるのは私の役目ですが、
この頃、重くなったな~というのが実感です。

退院の時は、骨川筋子さん状態でしたが、
食欲もあり、今は4~5kg増えました。

とは言っても今も流動食で 初めはスープ状のもの、
それがポタージュ風となり、今では、ねばねば食。
でも、少しでも固まりがあると口の中に残します。

姉が三食、用意してくれますが、栄養満点の食材。
髪も、白髪だったところが 黒々してきたり・・・
栄養が行き渡るにつれて意識も冴えてきています。

先月、ショートステイのお迎えが日曜日はないため
土曜日から3泊4日になったときには、職員さんに

『わたしがここにいることを、家族は知っている
 んでしょうか?』 と 尋ねたということです。

家族の希望で入ってもらったんですが~ぽっ

そんなこんなで、今の状態が、
まだまだ つづきそうです。






【生きるって?】

二泊三日で、母がショートスティに・・・







最終更新日  2017年10月09日 11時13分21秒
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2017年06月12日
カテゴリ:生きるって?



昨日は 臨時休業をして、私が 朝から出かけて、
姉も 仕事で 遠方まで出かけることが重なって、
 二泊三日で母のショートスティをお願いしました。

一昨日の午前中に母を送り出してから、次は何時に
行くと気にすることもなく、そのためか、猛烈に?
掃除をしたり、水遣り・・・ などが はかどって、
昨日も、心置きなく 出かけることができました。

お世話になった皆さま、ありがとうございました手書きハート





【生きるって?】

母のデイサービスが、再開・・・


 







最終更新日  2017年06月12日 22時43分19秒
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2017年06月01日
カテゴリ:生きるって?



昼食介助をしてくれる人が足りないということで
見合わせになっていた 母のデイサービスですが、
今日から 週一回 行かれることになりました。

車椅子が通れるスロープを レンタルで
使えることになって 先日 届きました。



これは 二つ折りになっている状態です。これを
パカッと開くと車椅子用のスロープになります。

今日は これの初使用で、車椅子を後向きにして
下りる時に、しっかりと踏ん張って降りないと
いけないことが分かりました。

青ハート

母が入院中に、食事介助などで 病室に通う途中
送迎車の点検をしていらっしゃる運転手さんに
『もう母は こちらのお世話にはなれないと思う
んですよ』と 挨拶して 通っていたのですが、

今日は そのデイサービス再開の初日でした。

『そのように聞いていたんですけどね』と
 運転手さんが笑顔で仰って下さいました。

ピンクハート

そのようなわけで、寝たきり状態になって
しまった母ですが、皆さまのおかげで また
デイサービスに通えることになりました。






【生きるって?】

心不全の発作から丸一年の母・・・


 







最終更新日  2017年06月01日 21時20分12秒
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