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白はと

白はと

2011.05.25
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カテゴリ:2歳
今年の春は、桜が咲いてることを気に留める余裕もなかった。見ても、キレイとだけ感じることができなかった。
201104131730000.jpg201104101254000.jpg

避難から帰ってきて、パパとひさびさの公園

初日は、東京の草木や砂埃に、今回の汚染物質が多少なりとも入ってることに思いを馳せて、まんじりとしなかった。



東浩紀という人が

「ぼくは不勉強な素人の文系出身の人間なので、そういう能力の限界のなかでもろもろ判断しています。世界にはもっと合理的で頭のよい人たちがいるのかもしれ ませんが、彼らがぼくや家族の生命に責任をとってくれるわけではないので、最終的にはその限界のなかで独自に判断します。」

とつぶやいていて、共感した。私がこの人がやっているような高尚なことはわからないけど、原発に関するつぶやきには、3/11の時点から妙に惹かれるところがある。



身近というか、等身大というか、自分にとって納得感のあるつぶやきが多い。



今日、3機とも早々にメルトダウンしてたとニュースでやってたけど、最初の時点でこの人のつぶやきを見て、「最悪の想定」をおおざっぱながらに調べて、最悪の状況を妄想して十分怖がったので、そんなに驚かなかった。あーそっちルートか、みたいな・・・。



頭では「実際の数値は低い」 「自然界の放射能でもっと高い地域もある」「今のレベルでは健康に害なんてない」(特に東京では)って言われて受け入れてるんだけど、どこかやはりまんじりとしない。



当日、安全の根拠とした"十分な水位"も、実は水位計が壊れていて誤った数値だったし、ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」みてたら半径とは無関係に、場所によって濃度が全く異なっていてことなると言っていた。

事実は1つ。今までのような「数値が動かぬ証拠」「証拠から事実だとほぼ断定できる」といった今までの頼ってきた方法が通用しない不安、見えなさ、みたいなもので、まんじりとしないんだと思う。



発電に利用していた放射性物質は物理的な衝撃で保護されなくなった結果崩壊して、物質の安定を失う化学反応を起こしている間は、近寄ることすらできない。

私は専門家じゃないので、冷却できなかったり水素爆発したりすることが、これ以上何を起こすのかが分からない。



だから、とりあえず保険的に、さらに今後の、最悪の状況を知りたい。



ETV特集の中で、私が良く行った飯舘村や南相馬が何度も映されていた。

自分達のコントロールできないものを生み出して利便性を享受したことが、自然に対する奢りだったのかとか思う半面、老朽化した施設を改築すれば、今の技術なら、第2原発みたいにコントロールが可能だったんじゃないかとも思う。

でも結局、容器からこぼれたらコントロールできない物質使ってるのよね。

人間の招いたことに、人間が蹂躙されているような変な気分になった。



南相馬の親戚は、GWに帰って行って、商売を再開した。

別に安全だから帰ったわけでなく、本当は不安でたまらないのだけど、とにかく生活を営む方向に向かうしかないので、帰っただけだ。



親戚は災害特有のテンションでいるものの、思いがはちきれそうで、つついたらパーン!と感情が爆発してしまいそうだった。

「そんなの分かってる!だったらどうしたらいいの!」 という具合に。



「福島は汚染されてるから野菜とか持ち込まないで」 みたいな、避けるようなことを言う人を見ると、関西は関東をそう見ていて、外国は日本をそう見ているのだろうなと感じる。

逆に「検出されていない野菜は、産地に関わらず食べるべき」という不謹慎抑圧みたいなことを言う人を見ると、安全な立場からの正義の押し付け、みたいに感じる。



どっちにも共通しているのは、福島の人たちも自分達と同じ立場で日々営みを続けようとしてる、その普通の感覚の存在に、関心をもってないことだ。



毎日ガタガタ震えて家に閉じこもりたくないけど、震えて閉じこもっていたい気持ちにもなる。

安全な農作物を分類して手に入れたいけど、疲れて考えず食事したい時もある。



福島の人は放射能について毎日調べてないとダメ、子供は即連れて出るべき、私は常識人、みたいなのは、実際困ってない人だからできる発言で、内容の賛否は別として、さも正しいみたいに言うのを見るとイライラする。



イライラするってことは、結局私も多様性を冷静に見ることができず、自分の好きな考えで固まっていたい、という欲求があるんだろうけど。



特に最近は、誰が失敗したとか、昔こうだったとか、足をひっぱるようなことを聞くと、異様に疲れる。

それがストレス発散目的だったら別にいいけど、復興のための議論だとしたら発言途中で中断してしまいたい。



朝、文部科学省の前を通るんだけど、建物を見ると、被曝基準値を下げるためのデモをしていた、福島のお母さん泣き顔が思い浮かぶ。

「普通にしていたいだけ」というのが、想像を超えてる。辛い。



「出来ることを出来るだけ出来る人が」ってどっかで見たけど、ボランティアや募金、消費活動、もろもろ含め、自分の努力という軸からブレないでいたい。



それ以前に、この日記を来年見るときは「こんな大げさに言ってたなぁ」と失笑していたいけど・・・





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Last updated  2011.05.25 23:43:26
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