2006/10/19(木)06:35
心を殺さないといけないのですか?
最初に、非常に自暴モードなので、読みたくない方はスルーされたほうがよいです
なお、お詫びですが、自暴モードなので、火曜・水曜の日記に沢山の方からコメントいただいておりますが、気分を害されるような内容を書く可能性があれば困るので、自暴モードが去るまで(今日去るかもですが)敢えてコメントはしておりません、読み逃げした方はいらっしゃいますが・・・
多々、ご心配のコメントいただいており、感謝はしておりますが、お許しください
気分が落ち着いたら、お返事には伺う所存でおりますので・・・
自分は先日の日記にも書きましたが、ブログでも思った事の1/3程しか、本当の気持ち、および、病気の事も書いておりません
また、自分の処方されている薬に関しても、書いてはおりません
鬱病以外の病気もありますが、それに関しても詳しくは書いていません
ですので、日々の日記の中でしか、自分の事は読み取れないと思います・・・その文面通り受け取る方も居るでしょうし、他に色々思案する方もいるかもしれません
自分の日記の文面から、病気が良くなっていると思う方も居れば、もう少しと思う方も居ると思います
ただ、文面だけで「寛解」「寛解に近い」と思うのはやめていただきたいです
自分は他の方はどうかはわかりませんが、確かに8年目の治療に入っています
症状が良くなったと思えば、何かに問題がおこり、その都度、悪化しながら今に至りました
ただ、日記を書くにあたって、毎日後向きな事ばかり書きたくなかったという思いもあり、また、そうする事で、自分で自分を奮い立たせるしか方法が無かっただけの話です
『自分より病状の悪い人のほうが多い』それはそれで否定はしません
ただ、何を基準にそう定めたのでしょうか?
家族の理解がある、まわりの理解がある・・・それは『今の話です』
自分の親とて、主人とて、娘とて、鬱病というのは私が初めてのケースです
今でこそ、主人が傍に居てくれますが、自分が最初鬱病になった時には、自分は「母子家庭」でした・・・娘と2人の「母子家庭」でした
自分は離婚歴2回、今の主人とは3回目の結婚です
元夫との離婚の後、すぐに自分の勤務先は破綻しました・・・その間、引き受け先は会社のほうで探してはいたようですが、引き受け先は無かったもので、収入は母子家庭手当てと、失業保険、しかも年齢で半年しか支給されませんでした・・・退職金?ある訳ないですよ、会社そのものが無いんですから・・・
その間に、鬱病となりましたが、生活保護も、自立支援も何ももらわずにきました
鬱病でしたから、そこまで頭はまわりませんでしたよ・・・自分で精一杯でしたよ
娘だけはどうにかしてあげないと。。。それだけしか心の中に無かったですよ
地獄でしたよ?仕事も出来ない、そりゃそうです、救急車で運ばれた、しかも本人はそれまで鬱病になっているなんて思いもしなかったのですから
実家は車で1時間、最初は母親も通院のたびに医師と色々、自分に対する接し方など聞き、それは主人も同じ事です
だからといって、ずっと母親が居たわけでもありません
重度の鬱病と診断されても、仕事しなかったら、娘は飢え死にですからね・・・多少の蓄えはあったにせよ、今だけではなく、その先も見なければいけなかったわけですから
母子家庭、要は離婚は自分の選んだ道と言われればそれまでですが?
自分は飲まず食わず、それでも、娘にだけは不憫な思いをさせたくない、その一身でしたよ
確かに、今は主人も、母も理解はあります、それは双方医師に何回も会って話しをして、自分に対する接し方、行動など何回も足しげく通った・・・その結果でもあるんです
『自分より病状の悪い人』それは居るでしょうね・・・否定はしません
でもそれは、自分の日記だけを読んでの判断なのでは?
全て、曝け出さないと、いけないわけですか?
ええ、カットしてますよ?毎日切ってますよ・・・バレーに行ってますよ?血だらけですよ
腕なんて、もう切る所がないから、脚切ってますよ?それがなにか?
ええ、主人がその気持ちがわからないのは当たり前ですよ
包丁で手を切ると、「次は切らないように」注意しますよね?自分は違いますから
切る事で、血を見る事で、生きていると実感してますから
「切らないように注意する」側と「自ら切る」側ですからね
「カットは引く」と言われても、これが今の自分の現状ですから・・・
きちがい結構!頭がおかしい・・・「カットは引く」ならそう言ってくださってかまいませんよ
その通りですから・・・別に毎度言われている事なので、何度も書きますが慣れていますから
日記に書かないだけで、「死を模索する時だってありますよ」
どうしようもない不安感、絶望感の中で、泣き捲くる事だってありますよ
だからといって、そんな事、延々日記に書いたら良い訳ですか?
毎日、心の傷を曝け出したら良いわけですか?
そんな事をして、何が生まれるんですか?何が良い方向に向かうんですか?
『誹謗中傷はお断り』ええ、確かに誹謗中傷は誰とてイヤですよね
でも、自分は誹謗中傷は受け付けませんが、自分の間違った考えを正してくれる、「叱咤」は受け付けますよ
毎日、自分のところに忙しい中来てくれるある方がそうですから
時に励まし、時に叱咤します・・・その中で、自分が納得いかない場合は、話をします
自分のそういう部分も受け入れて、毎日来て日記を読んでくれて、コメントくれますよ
甘い言葉だけ受け入れて、叱咤はスルー・・・進歩ないじゃないですか?
その方は毎日来てくれ、その中で自分に対して叱咤激励してくれます・・・
その他にも、忙しい時間をさいて、自分のところに来てくれる人もいます
そういう方々・・・
自分はとても有難いと思います!
『もう少しの人』日記だけ読めば、そう思うかもしれません
ただ、現実に自分の私生活を見たことありますか?主人のように、日々自分の行動見てますか?主治医のように、自分と話をしたことがありますか?
『もう少しの人』そう思ってくださるのは有難いですが、『あなたより悪い人』
私の今の心の中、葛藤、日々している行為わかってますか?
日記の最後に自分の自己嫌悪を書く事はいけない事なんですか?日記の最後には、自分は明るい事しか書いてはいけないんですか?
日記の文字色まで、指定されないと自分はいけないんですか?
(昨日の日記の背景の色、および、文字の事ではありません)
病歴が長いからですか?だから「寛解が近い」そう思ったからですか?
それとも、自分の日記の表面上だけ読んでそう思ったわけですか?
自分の本当の心の中が見えるのですか?「寛解が近い」それがわかるのでしたら、主人は今まで何を自分にしてきたのでしょうね?
「寛解が近い」と一番身近に居た主人すらわからない、医師すらまだ半信半疑な中、何故そう思えるのですか?
なら、自分はこれから、自分の心の中は全て隠して、堕ちたとしても、明るい話題だけ、提供する日記を書き続けないといけないのですか
日記の最後に、明るい、未来の光だけ書かないといけないのですか?どんなに、内容が落ち込んだ内容であっても、最後に、明るい一言を添えて日記を完結させないといけないんですか?
日記の文字色も、読みやすいそういう色だけにしないといけないのですか?
だったら、自分はブログをする意味がありません
1/3の内容であったのせよ、自分にとって、唯一心を出せる場所でもあるんです
「寛解が近い」・・・だから自分は我慢して、明るい話題を最後に提供しないといけないのなら、丸ごとこのブログさしあげます
『日記の最後に明るい事を書いて』と言うけれども、本当の自分の心の中の叫びわかってますか?
今まで、何回か「寛解」が目前にあったにも関わらず、8年も通院している自分の心の中わかってますか・・・毎日、心配で仕事の時に電話をしてくる主人のように、自分の目の動き1つで、自分がどういう状態にあるのかわかって・・・そう言っているのですか・・・
自分の心の中をこれ以上に隠して、心の病の皆さんに明るい話をし、自分は病歴が長いからと、日記の最後の行ですら、心の闇を出す事すらしてはいけないのですか・・・
毎日、自分の心の中を曝け出さないといけないのですか・・・
それとも、葛藤も書いた後、明るい話題を提供し、日記を締めくくらないといけないのですか・・・
何をもって『自分より悪い人は沢山いる』『寛解が近い』と断言できるのですか・・・?
自分の8年という期間、全て把握のうえで、そう断言できるのですか?
今が最悪の時期ではない、そう思っているのですか?
『自分より悪い人は沢山いる』だから、自分は甘えている・・・そう言いたいのですか・・・