雑 草 乃 如

2006/12/28(木)23:03

生を見つめた亡くなった子の誕生日

鬱病(49)

え・・・皆様方のお陰で「80000Hit」に達しました。。。有難う御座いました(愛)踏んでくれたのはSyliaさんでした!今日発送したけれども、生憎明日から、こちら大荒れの予報(汗)もしかしたら『お歳暮・お年賀』になる可能性も(詫)とまぁ、今年もいよいよ「大掃除」の時期になってしまいましたが、昨日は「台風でも来たのか?」というくらいの暴風雨(この時期に雨ですよ!雨)だったもので、外ガラスがすっかり綺麗になり・・・しかも明日から「大雪」という天気予報なので『外ガラスはスルーで』という事にあいなりました(笑)お風呂とトイレ3つ、洗面所は終わりましたが、どう考えても「ワックスかけ」には至らないようなので、そこも今回は「スルー」・・・って全部スルーしているようですが(何か?)でもって、今日は官庁他御用納めの中『今年最後のメンタル科受診日』だったわけで、雨の降りしきる中行ってまいりました。。。前回からの2週間、勿論水曜日もあった訳だし、勿論「切った・貼った・縫った・・・?飲む」という衝動にかられながらも、どうにか自制し、今回持ち越してみました!まぁ、今朝『水曜日の悪夢で目覚めましたがねっっ!』つか、何故に木曜の朝方にそんな悪夢を見なきゃならんのよ?と自分で自分に毒づいてみたが。。。何故にここまで「けっぱった」かといえば、今回「切った・貼った・縫った」等々無ければ減薬になるからだったりしたもので、ちょいとばかし「気合」入れて過ごしてみました!たった1錠だけれども『減薬したぜ!オウイェ~!』となりました(喜)これで、少しは薬の量が減る!!実はこの時期には「鬱病」が軽くなるのは雪のせいだけでは無かったりする。。。ただ去年はボロボロだったので、去年は無しとしても、この時期は色々と「人様の生死」に関する事が多々あり、自分で自分を見つめるいい機会だったりするから。。。兄貴の移植の決定された日が、12月20日前後・・・移植日は1月19日兄貴は1月の16日から移植日までずっと「放射線」を浴び続けていたわけだから、当然意識というものは朦朧としていた・・・にも関わらず、完全無菌室に面会に行くと、インターホンごしで『死にたくない・・・生きたい』何回もその言葉を発したから。。。入院中も「夜寝るのが怖い・・・そのまま朝死んでいたらと思うと、夜寝るのが怖い」とそれこそドラマじゃないが「生と死を見つめて」闘病していたと思う。。。そんな兄貴も来年の1月19日で、移植から満6年になるがこの時期、兄の意識朦朧な中で発した『死にたくない・・・生きたい』この言葉が、頭の中でこだまする。。。「死」というものに逃げようとし、本当に今現実に「死」に直面している人の気持ちなど考えた事も無かった。。。兄貴にしても、その時には「生きて欲しい」と願ったが、自分の事は棚にあげ「死にたい」という事ばかりを願った「生きたい、死にたくない」という言葉を多々聞いてきたにも関わらず、自分はひたすら「死」というものにすがっていた父親にしても、最後の日、酸素ボンベが物凄い圧であったにも関わらず、涙していた・・・その時父には意識が無かったのに・・・頬を涙が伝っていた肉親が入院していれば、どうしても、同室の患者さんとも話しをするようになる。。。その中でも兄貴と同室だった患者さんは数名亡くなった肉親だけではなく、戦友と兄貴が言っていた人達の「生死」まで見てきたというのに・・・移植日には看護師も、他の病室の患者さんまで「お願いね・・・行ってらっしゃい」と見送ってくれた。。。1人が移植成功という事は、患者さんにとって、希望の光があるという事だから移植が失敗する、合併症をおこして亡くなるというのは、患者さんにとって、本当に「怖い」以外のなにものでもないから。。。それをずっと見てきたにも関わらず、安易に「死」を選択肢の1つに入れてしまっていた自分を恥じたそして、ブログ上で、今まで@旦那の亡くなった子供は1人と言っていたが、実は@旦那には2人の男の子が居た。。。勿論、前奥様とともに、亡くなってしまったのだが享年2歳と5歳・・・小学校入学すら出来なかった子供達だ今、もし、この世にまだ生があったのであれば小学2年と、5年生だ。。。自分も、もし息子を引き取っていて、この子供達が生きていたら高2・中2・小5・小2とまぁ、賑やか通り越して、時に『やがましいわいっ!ゴルア!!』とでもしていただろうか?奇しくも今日は亡くなった上の子の誕生日・・・亡くなった子の歳は数えるな!と昔から言うが、親としたら数えないわけにはいかないだろうこの子達とて、死にたくて死んでしまったわけではない・・・生きたい、助かりたい、そう思いながら死んでいったであろう自分の兄といい、この子達といい、好きで死というものを見つめた訳ではなく、やむ終えない事情で「死」というものと向き合ってしまった。。。幸いにも兄貴の場合は、再度「生」を受ける事が出来たが、子供達は「生」を受ける事が出来なかったいつもこの時期思う・・・この子達が引き合わせてくれたのか?@旦那と『お父さん、生きる屍になってしまっているから、助けてあげて』そういうことだったのか?これで自分が自ら傷つけたり、多量したり、はたまた去年から今年にかけてのように、自殺をはかって、本当に「死」という事になったら@旦那は立ち直れないかもしれないいや、逆言えば、よくぞ@旦那こそが「後追い自殺」という行動をしなかったと思う一気に自分以外、妻、子供2人亡くしたのだから、その思いは誰にも、若しくは同じ経験をした人にしか計り知れないだろう。。。最初から自分が「鬱病」とわかっていながらも、一緒になってくれた@旦那、そして@こデブも、時に怒りを爆発させながらも、我が子同様に可愛がってくれた@旦那を、これ以上「奈落の底」に突き落とすわけにはいかないなぁ・・・とまだまだ、寛解には至らないようだけれども、自分で自分に言い聞かせる事が必要かもしれない。。。どうしても苦しい時はあるかもしれないけれども、自分で「意識的」に「生きる」という事を念頭におくのはこの病気には大事な事かもしれない。。。心が壊れてしまったとしても「生きる」という事だけは頭の中に入れないといけないなと『生きたい!死にたくない』そう思いながらも亡くなっていく人は大勢居るだから「生きていれる」のだから、自ら命の炎を絶やすような事だけはしてはいけないんだ!今日の通院と、@旦那の上の子の誕生日という事で、そういう事を思ってみた子供達が大好きだったお父さん、ずっと一緒に居たかったお父さん、一緒に遊びたかった、入学式に来て欲しかったお父さん・・・そのお父さんをおばちゃんが悲しませたらいけないね?この2人の子供達、そして一緒に亡くなってしまった前の奥様の分まで、自分と@こデブ、そして@旦那は生きないといけないんだよね・・・そうしたら向こうの世界で、この人達は安心できるだろう! 『誕生日おめでとう』向こうで、もう少し3人で待っててね!お母さんと弟にもお祝いしてもらってるよね!!

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