802298 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

Easy Going~気楽に行こう~

Easy Going~気楽に行こう~

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2017/10/16
XML
テーマ:原発について(3)
カテゴリ:事件・事故・災害
反原発派、アンチ反原発派、原発賛成派、原発推進派、誰が正しいとか正義とか間違いとか悪とか、そんな単純なことではなく、、、。
伝わらなかった想い。

昨日、風邪がぶり返した。
また少し横になっていたら、いつしか眠りに堕ちていた。
私は夢の中で、必死に足掻いていた。

2012年5月から2014年3月まで、F-pins(エフピンズ)という4種類のピンバッチをはじめとする福島グッズのお取り扱いを、個人でやっていた。
2012年5月に、あるイベントで物販をやったのがきっかけで、その後もずっとちょこちょこと扱っていた。何度かイベントへのお声掛けを頂き、2014年の2月と4月のイベントで物販することとなった。そして2月のイベントは無事に済み、その直後の4月開催の1か月前に先方から一方的にドタキャンされた。
もちろん当方に多大な落ち度があったのだろうし、先方に何一つ落ち度がなかった訳でもないだろう。
それより何より、様々なすれ違いがあった。

物販にあたり、先方がご用意される幾つかのパネルを掲示して欲しいという中に、坂本龍一さんがF-pinsを着けているものがあった。
かなり大きなパネルで、掲示すればかなり目を引く。
私は、絶対にそんなものは使えないと言った。先方は、もしかしたら自分達を否定されたとでも思われたのか、ムッとされていた。
どうしてそのパネルをご用意されたのかも伺った。フェスティバルFUKUSHIMA!という福島市内でのイベントに坂本龍一さんも参加されていて、その時にどなたかがF-pinsをお渡しになってお着けになった時の写真を、パネルにされたものだった。
F-pinsで活動されている団体がフェスティバルFUKUSHIMA!を開催されている訳ではなかった(たまたま両方に参加するスタッフはおいでのようだった)。坂本龍一さんがF-pinsがらみで何らかの活動をなさっている訳でもなかった。知名度の高い人だから目を引いて販売促進になるから、といった理由だった。

こちらでは、どうしてその坂本龍一パネルを使えないのか。
その説明を、まだ私が上手く話せなかったのか、先方に聞く耳を持ってもらえなかったのか、今となってはもう良く判らない。

夢の中では、先方に、必死に、その説明をしていた。


2012年の春先、まだ私がF-pinsを知る前に、双葉町から横浜に避難で来られた年配の男性とお話する機会があった。
福島の方言ではなく東北の鼻濁音を聞き取れなくて(後になって、私が育った岐阜市などの中部地方は全国的にまれな鼻濁音がない地域と知った)、その方の言葉を一度で聞き取れず、二度言い直して頂くことが多かった。それでも不快な素振りもなさらず、とつとつお話下さった。

突然の激しい地震、帰宅しようと車を走らせて渋滞に巻き込まれ、身動きできない所に押し寄せた津波。その引き潮で沖合まで車ごと流され、しばらく漂流なさっていたこと。(おそらくは津波の第2波第3波に乗って地面に戻れて)シートベルトを外して車から降りて家を目指す途中、強制避難することになったこと。ずぶ濡れのまま着替えさえ取りに戻れなかったこと。などなど。。。

その頃は、首相官邸前の反原発デモなどが活発になる前だった。
とは言え、ここ神奈川県でも放射能汚染を口実に、ゴミ処理施設近隣住民らは、震災がれきどころか岩手県北部の魚網の受け入れさえ拒絶。何度測定してもN.D.なのに「信用できない」の一点張り。神奈川県は、震災がれき受け入れに関してはほとんど実績がない。
震災がれきは膨大で、てっきり速やかに全国各地で処理していくと思っていた。そのがれきが置かれている土地が家であれば住民が、会社であれば従業員が、その地域に戻れない。当初の一時避難が、戻れないことで移住になれば、被災自治体の税収が激減する。ただでさえ膨大な支出を余儀なくされているのに。。。
こんなことは、ほんの一例だった。ここ関東では、自分達が放射能に汚染されていないと安心したいための過剰すぎる福島排斥・東北排斥が起きていた。
ここ海老名も震度5弱だった。一時はガソリン・トイレットペーパー・パン・ヨーグルトなどの物流が完全ストップし、買い占めも起きた。計画停電もたびたびあった。JR相模線はずっと運休して、間引き運転の再開が5月ゴールデンウイーク明けだった。そして余震は何か月も続いた。空間線量も上昇し、外遊びをやめた幼稚園もあった。震災は他人事ではなく、むしろここも被災地だった。
東日本大震災は、被災地が被災地を救援する震災だった。だからこそ、被災地同士で手を取り合って助け合えれば良かったのだけれど。。。
一部の声の大きな人達は、ひたすらに福島忌避しなければ今より自分達が放射能に汚染される、汚染は東北だけで十分だ、と考えているかのようだった。
それらは思い込みの決め付けに過ぎず、だからこそ言動が暴走していた。

そういう人達が垂れ流すデマへの反感が強かった私は、原発賛成でも原発推進でも反原発でもなく、ただアンチ反原発の気持ちが強かった。


そんな私でさえ、さすがに、津波で沖合まで流されて漂流して、やっと戻れたのに原発事故で着替えさえ家に取りに戻れなかった方は、反原発でいらっしゃるのではと、そんな言葉を口にした。
その瞬間、それまでとつとつとお話下さっていたその方が、突然びくっと怯えて身体を震わせ、眼が泳いで不安が宿った。
一瞬で、この話題は絶対NGと脊髄で感じた。理由なんて全く分からなかったけど、そんなのはどうでも良い。咄嗟に話題を変えた。

そんなことがあった。


それからF-pinsを知り、2012年5月のあるイベントに誘われたことで、そのイベント会場内でF-pins物販をやった。
それがあって、F-pins活動グループの1人が、福島から海老名のビナウォークにまで会いに来てくれた。
病身で被災地に足を運べなかった私にとって、本当に本当に嬉しかった。

その直後。
ビナウォークの美容院でカットしてもらいながら、会いに来てくれた人の話をしていた。美容師さんは、当初、福島の話題をそれとなく避けようとしていた。それをお構いなしで私が話していたのが、福島への憧れや好意だった。
唐突に、美容師さんが、
「実は、ぼく、福島なんです」
と仰ったのでびっくりして、だからこの話題を避けようとなさっていたのかと思いながら、思わず口をついて言葉が飛び出した。
「あの、私にとっての最初の福島は、ままどおるなんです。その、反原発とかって、イヤなんですダメなんです!!!」
その言葉で、その美容師さんは、気持ちが一気にほぐれたご様子だった。
「ままどおるを知ってるんですか。え、エキソンパイも食べたことあるんですか。嬉しいなあ。ありがとうございます(^^)」
そうして浪江町ご出身とお話された。警戒区域とかいう言葉は言いたくなくて、頭の中大回転で考えて、
「ああ!DASH村の町ですね!!」
と言った。それも喜ばれた。
そして、DASH村までは車で15分ほどですよなんて話が弾んでから、義兄(お姉さんのご主人)が今も第一原発で働いていることなどをお話になり、そして、ご実家は60μSv/hでもうあんな所には人は住めないと苦しそうに絞り出すように仰ったのだった。。。


おそらく、その美容師さんに、世間話で自分は正しいつもりで、原発バッシング・東電バッシングをする客は、少なくなかっただろう。その美容師さんにとっては、姉家族へのバッシングでしかない。相当お辛い思いをなさってきたのだろう。だから当初、福島なのに福島だからこそ福島の話を避けて、話題を逸らそうとなさる程だったのだろう。


警戒避難区域の方々ほど、反原発は絶対NGだった。警戒避難区域の方々ほど、反原発と言われて喜ばれるどころか、怯えて苦しまれる。。。
それを肌で感じることが出来たのは、私が反原発派ではなく、さりとて原発推進派でもなく、アンチ反原発だったからだろう。
その後、F-pinsお取り扱いをしながら、原発そのものにはあくまでも中立の立場でないといけなかった。反原発派も原発推進派も、それぞれの想いで福島を取り巻いていた。

あの頃は「自分達は福島のために反原発」という人達ほど、実際は自分達の正義を引き立てるために福島を利用しているだけだった。
本当にお辛い思いをされている方々の傷を、いたわりねぎらい癒やすどころか、真逆のえぐるような言動が多かった。
2011年春~2014年春先の神奈川は、そんな感じだった。


2012年初夏にF-pinsというご縁が出来たことでフェスティバルFUKUSHIMA!というイベントを知り、そこに坂本龍一さんが来ていると知った時は、衝撃だった。震災がれき受け入れ反対などもあり、被災地はどこもアンチ反原発だと思っていた。
ただ、坂本龍一さんは以前、原発廃棄物処理施設への反対運動の一環として、青森県への風評加害活動をやっていた。だから福島市民は、農産物を人質にされてイヤイヤ従っている可能性を捨てられなかった。呉越同舟を堪え忍んでいらっしゃるのかもしれなかった。
翌2013年の夏、フェスティバルFUKUSHIMA!の会場に足を運んだ。さんかく広場と呼ばれる一角に布が敷き詰められ、櫓が立ち、フラッグがはためき、とてもあたたかな雰囲気だった。そして、少なくとも会場に足を運んでいる地元民は、坂本龍一さんを好意的に受け入れているのも肌で感じた。驚きだった。


被災地で、反原発派がボランティアなどで入り込めているのは、私の知る限りでは福島市や南相馬市などの福島県北部だけだった。
宮城県南部まで北上すると、もう反原発への反発があった。
宮城県北部は、沿岸部の津波被害が凄まじいばかりでなく、女川原発があった。発災直後に原発敷地の門戸開放で100名以上の命が助かっている。その後も避難所として解放された。地元民の女川原発への感謝は強い。一方で、反原発派による再稼動反対のえげつない嫌がらせが多発。反原発派への反発や恨みは宮城県南部よりも強い。


F-pinsお取り扱いをしていて知ったのは、関東で東北ゆかりの人は少なくないことだった。
本人が東北出身だったり、親や祖父母の代が東北出身だったりする人は、本当に多い。そういう人達は、福島県だと大半が会津や浜通りだった。福島市など福島県北部からの自主避難者は、ほとんどが山形県に行ったようで、ここ神奈川で会ったことはない。


そんな経緯で、福島市のF-pins活動グループにとっては、自分達の反原発感情はさも当然の当たり前のことだった。
こちら神奈川では、まず東北ゆかりの人が多く、福島県ゆかりの方々ほど反原発で苦しまれていて、宮城県・岩手県出身者やボランティアなどで足を運ぶ人などの反原発派への反発・反感にも根強いものがあった。
そのため「原発については様々な考え方がある」という、少しアングルを引いた考え方が一般的だった。
そして、被災3県の中でも『福島県』だけは別格の異彩を放っていた。


個人的には、坂本龍一さんのファンだった。
けれど震災以降、「たかが電気」発言に猛反発する津波被災地を見ていた。その後も「僕らは難しいことは考えず、ただ『反原発』と言っていればいいんだ」などの発言で、、、坂本龍一の反原発だけでなく音楽さえ、もう聴けなくなった。。。

ここ神奈川でF-pins物販イベントをやるにあたって、活動グループは坂本龍一さんに好意的でも、ここでカネを払う客が坂本龍一さんに反感を抱いている以上、販売促進どころか悪影響を及ぼしかねない。客足が遠退く。
一方で『福島』という言葉の引力が強烈過ぎる。余計に坂本龍一パネルなんて要らない。
けれど、震災前からずっと福島に住んでいて外に出ていない人ほど、『福島』の引力の強烈さを知らないのだった。。。


神奈川でのF-pins物販は、福島市の活動グループのためなのか。神奈川にいる福島ゆかりの方々や神奈川から福島に心を寄せる方々のためなのか。
この2つが相反する時に、どちらが優先だろうか?
震災後も自宅に住める福島が福島にいて、自宅を流されたり流されてなくても戻れない福島が神奈川にいて、彼等の親兄弟親戚や同級生が第一・第二原発で今働いてるかもしれなくて、あるいは故郷への原発誘致活動した自分を責めている福島かもしれなくて、そして福島など被災地に心を寄せる神奈川がいて、、、。
福島にいるF-pins活動グループという創り手を喜ばせるのか、神奈川にいる『I LOVE FUKUSHIMA』というピンバッチに心を寄せる人に喜んでもらうのか。
創り手より、目の前で買ってくれるお客さんを選んだのが、間違いだったのだろうか。
創り手の彼等に、どんなふうに伝えても、私の気持ちや考え方が伝わったとは思えなかった。辛く苦しかった。
あの頃の彼等には、我々をないがしろにされているとしか捉えられなかったのだろうか。。。それは、あの頃はまだ震災の傷痕が生々しかったからで、今なら違ったりするのだろうか。。。


ふう。
そんなこんながあった発災から2年目~3年目だった。
F-pinsのご縁で、福島市近郊に2年で5回ほど足を運んだろうか。こんな病身ながら。
あの僅か2年足らずの間、時の流れがドロリとネトつくかのように奇妙に遅く、やけに長く感じたことは忘れられない。


昨日、夢の中で、一生懸命に説明していた。
けれど、先方には全く相手にしてもらえず、不快感を露わにされるばかり。言葉は空回り。
目が覚めて、あのイベント参加ドタキャンから自分が一歩も動けていないのを実感して、愕然としつつ自分が情けなかった。


少しでもあの日から動きたいと、今回、自分の気持ちを吐き出して整理しようと試みたけれど、話があちらこちらして、やっぱり上手くまとめられなかった。
仕方ない。今はこれでいい。
別に、またF-pinsお取り扱いを再開させたい訳でもない。それどころか、あの活動グループの複数名からFacebookやInstagramなどのSNSでブロックされている訳だし。ケンカどころか普通のやりとりさえなく、、、先方に一方的に嫌われて切られたようで。。。
だから私としても、仲良くしなきゃとか気を遣うとか、もう出来そうもない。もうムリ。もう頑張れない。自分がもたない。
ただF-pinsが好きなだけでいたい。。。
この"好き"な気持ちを、また脅かされるようなことは、もうされたくない!!!!!!!!!!


あの活動グループの人達にとっては、私の虐待トラウマなんてどうだっていいのだろう。
私の方では、伊達市のお米や果物を美味しく戴いているし、今も4つのF-pinsが大事だし、「福島なんてどうでもいい」ではないけれど。。。
ただ、またあんなふうに傷付くのはもうイヤ。そんなつもりはなかったのに傷付けてしまったことも未だに辛い。


本当に、夢の中でさえも、全く相手にされず空回りするばかりだったのだなあ。。。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2017/10/17 02:11:25 PM
コメント(0) | コメントを書く
[事件・事故・災害] カテゴリの最新記事


PR

カレンダー

お気に入りブログ

強い花弱い花 New! luumamaさん

Y_S_CM5Aの脳内電波… Y_S_CM5Aさん
サロン・ド・トーヘ… 武蔵野唐変木さん
★★★★ しましま LI… jabannaさん
++Verba volant, scr… ひつじ@@さん

コメント新着

 匿名希望@ Re:この記事がひどい Re:Oisixの価格がひどい(10/30) 炎上記事から来ましたさんへ 何でも営業…
 はざや@ Re[1]:現代アートな大根(11/30) 幸達さん >うーん確かに今年の明葉さんち…
 幸達@ Re:現代アートな大根(11/30) うーん確かに今年の明葉さんちの大根、良…
 はざや@ Re[1]:初雪(11/24) 幸達さん おかげさまで無事です。ありがと…
 幸達@ Re:初雪(11/24) それは、大変でしたね、まあ、大事に至ら…

フリーページ


© Rakuten Group, Inc.