カテゴリ:事件・事故・災害
昨日、津久井やまゆり園に献花に行けた。
海老名を出た時は降ったり止んだり。 津久井に向かって、山の中に入るにつれ雨足が激しくなり、着いた頃はすっかり激しい土砂降りだった。 あれから四年。 最初に事件を知った時は、テロだと思った。弱者を狙うなんて醜悪だと思った。 その後、「意志疎通のできない重度の障害者は、不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させれば世界平和につながる」という優性思想が出てきた。しかも犯人は、障害者との接点のないおかしな思い込みどころか、寄りによって施設の元職員だった。 頭の中がぐちゃぐちゃになった。 私自身も障害者。生きていていいのか。いじめで幾度となく「死ね」「死ね死ね」と言われてきた。自ら死ななければいけないのではないか。 何だかんだで、似たり寄ったりの苦悩をした障害者は、おそらく少なくないだろう。 自らが障害者であることを、真正面から捉え直した。 気持ちや考えの整理に、何年かかかった。 そのうちに裁判は進み、犯人の元施設職員は、死刑判決となった。犯人は上告しなかったので、死刑で確定した。 まだ執行されてはいないよう。 献花台に花を置いて、手を合わせた。 唐突に、膨大な無念で気圧されたようになった。涙がボロボロとこぼれた。 これまで私は、被害に遭われた方々のことを十分に想えてなかった。自分の気持ちや考えばかりだった。 唐突に無念が流れ込んできた。そりゃそうだろう。明日も明後日も生きられるつもりだったのに。あんな残虐な形で、いきなり命を絶たれてしまって。 今も無念でたまらないのかもしれない、そんな念のようなものが残っているのかもしれない、と感じた。 帰宅してからも、ふっと気がゆるむと泣ける感じだった。 施設は、解体工事が進んでいた。 一通り取り壊されて、新たに建て直されて、また利用者さんの明るい声が響いて笑顔が広がることを、一番に願われているように勝手に感じた。 改めて、元施設職員の意味不明な思い込みでの決め付けで、あまりにも残虐で凄惨な事件が起きてしまったことに、震え上がる。 判決は死刑。 障害があるから死ね、という考え方はされない。むしろ、この国の方向性は、病気や障害を抱えていても生きられるシステム作り。 しかし、他者に著しい危害を加えた者は、法の下で殺される。 シンプルにそれだけのこと。これが今の日本。 けれど、今から100年前なら、300年前なら、違っていただろう。。。 私には、会ったこともなく「意志疎通のできない重度障害者」が、生き続けたいと願っていたのか、1日も早く死にたい楽になりたいと思っていたのかは、分からない。 けれど、殺傷される刹那のあまりの無念のようなものをいくばくかを感じたように思えて、一方的な思い込みで殺すのは間違っているという、ごくごく当たり前のことを思った。 この、無念を感じた、というのも思い込みや思い過ごしなのだけれど。 今、時間は夜中の2時を回った。 今この時間帯に事件が起きていた。 いろいろ、思う所は多々ありすぎて、うまくまとめられなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020/07/26 02:12:38 AM
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