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2024/07/25(木)00:42

仲間の自死から20年

事件・事故・災害(97)

高校の仲間が首吊り自殺をしてから、今日で20年。 その10年ほど前に、私は自ら精神科通院を決め、虐待トラウマの治療を始めた。 当時は、今以上に精神科の敷居が高かったから、身近な仲間には精神科を話題にした。 その時に、なんとなくそんな話題は避けたがってるように感じる人がいて、彼には話さないようになった。 首吊り自殺したのは、その彼。 まさに彼こそが、話すべき人だったのかもしれない。彼が精神科に通院していれば、自殺せずに済んだかもしれない。 しかしそういう人ほど、例えば自分の弱さに向き合えなかったりして、精神科の話も聞けなかったのかもしれない。 あれから20年。 仲間はみんな、彼の命日は忘れているだろう。 彼を嫌いになれない。なりたくない。あの彼が自殺したなんて思い出したくない。受け入れられない。受け止めるには衝撃的すぎた。受け止められるだけの強さがない。 そうすると彼を話題にできない。話題に上らなくなる。 それで、そのうち忘れていった。 それでいい、忘れていいと思う。 彼の自死を受け止め続けてきた私も、自分自身に希死念慮があって、自殺は他人ごとではなかったから、自分の希死念慮に向き合い続けた結果として、彼の自死を受け止め続けたに過ぎない。 今もまだ精神疾患への差別・偏見は根強い、と当事者として思っている。 車椅子の人に「階段を昇れ」という人は普通いない。 けれど精神疾患は、目で見えないし、理解しにくい。あからさまに精神疾患者を侮蔑するケースは昔よりは減っていると思いたいけれど、周囲が理解不足から「階段を昇れ」と同等のことを言っていたり、本人に病識がなくて「他の人は昇れているのに」と自分を責めたり、ということは解消されていないのでは。 精神疾患者への、エスカレーターやエレベーターに該当するような社会的なサポートって、あるんだろうか。考えてみたけど思い当たらない。 精神疾患者への差別などをなくすのも大事だろうけど、それより、自分を省みて「なんかおかしいかも?」と思った時に、自ら精神科にかかれるといいな。 精神疾患者を差別せず見下していない人でも、いざ自分が精神科にかかるとなると、ためらうのでは。 風邪気味の人に「内科に行ってきたら」と言うように、メンタル落ちてる人に「精神科に行ってきたら」と言えて、「行ってきたよ」と答えてもらえるといい。 身体は、年に1回の人間ドッグでいろいろ検査する。肝臓が弱いとか高血圧とかコレステロールが高いとか、病気でなくても、自分の傾向が分かる。 精神では、そういった定期検診がない。それなら一層、普段から精神科のかかりつけが必要なのに、逆に、まだまだ敷居が高くて精神科にかかりにくい。 身近に精神疾患の人がいたり、精神疾患の人の文章を読む機会があったりすれば、少しでも精神科が身近になって、その人に何かあった時に精神科にかかるという選択肢が頭をよぎれば、もしかしたら自死を防げるかもしれない。 そんな思いがずっとある。 それもあって、このブログに今まで自分の精神疾患を書き綴ってきたし、身近な人には話すこともあった。 もう今は、他人様の悩み事を聞いてあげられるようなパワーはないけれど、このブログは、ささやかながらこれからも書き続けたい。 やっぱり、彼に生きてて欲しかったから。

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