[BON VOYAGE+105] 後日談/現在・過去・未来を司る出羽三山。(後編)
先の前編では、鶴岡再訪の第2日として、玉川寺と月山ビジターセンターを訪れたところまで述べた。ここからが後編である。月山ビジターセンターの次は、庄内交通バスで羽黒山頂へ。当初の計画では、そこから表参道石段を下るつもりであったが・・・昨日以来、足の疲労を覚えていたので、断念して再びバスで下ることに決める。その結果、山頂での滞在時間はわずか25分しかなく、あわただしく出羽三山神社に参拝。 出羽三山というのは、言うまでもなく羽黒山(414 m)、月山(1,984 m)、湯殿山(1,500 m)の総称。冬季は月山と湯殿山にお参りできないことから、この羽黒山頂に「三神合祭殿」がある。先祖の霊魂を祀る山としても信仰を集め、現在も祖霊の鎮魂を求めて来山する人々が多いという。余談ではあるが、私の祖父(1912~2002)も亡くなる直前に、うわ言で「羽黒山から迎えが来た」とつぶやいたそうである。地元ではそういう場所として広く認知されているのであろう。続いて庄内交通バスで、いでは文化記念館へ。 出羽三山の歴史や文化、山岳信仰や修験道などについて、後世に伝えていくための施設。現在(現世)を司る羽黒山の聖観音菩薩、過去(死者が成仏する極楽浄土)を司る月山の阿弥陀如来、そして未来(現在も未来も含めた宇宙の中心としての寂光浄土)を司る湯殿山の大日如来、の3像を拝んでいたら・・・館内のガイドさんがやってきて、いろいろと親切に説明をしてくださった。うーむ。修験道の山伏が「死に装束」のような白装束を身にまとうのは、死を通じて一度この世を離れることを表しているらしい。その後、母親の胎内(としての霊山)にこもり、産道(としての参道)を経て、再び現世に生まれ変わるというわけである。伊達政宗の幼名「梵天丸」の梵天が、修験道の御幣を指すことは知っていたけれども・・・死と再生にかかわるアレを象徴するものであったとは。この後、随神門から表参道を歩いて、祓川神橋、須賀の滝、爺杉、羽黒山五重塔(国宝)などを見て回った。 それから、ようやく昼食。羽黒センターの近くの「大川商店」で、「板そば草餅セット」900円をいただいた。これで今日の予定はすべて消化し、後はホテルに戻るだけ。が・・・ちょっとしたハプニングに見舞われる。羽黒センター(庄内交通バスと羽黒中央交通タクシーの待合所があるので、こう称している)で帰りのバスを待っていたところ、待てども待てどもバスが来なかったのである。発車予定時刻を30分過ぎた時点で、ついに乗客の1人が待合所のタクシーに尋ねてみると、タクシーの運転手はいろいろな方面に連絡を取ってくれた。その結果、月山八合目からのバスが遅れているため、その接続を待って1時間10分遅れて発車するとの情報を得た。すると、タクシーの運転手が我々に同情したらしく、鶴岡駅前までバスと同じ料金(1人800円)でジャンボタクシーに乗せてあげてもいいよ、と持ちかけてきた。待っていた乗客6人はすかさず合意し、1人は途中の場所で降りたものの、残りの5人が鶴岡駅前まで同乗することになった。いやはや、何ともありがたい話である。そして、昨日に引き続き、エスモールで食料品などを調達し、ホテルへと戻った。鶴岡再訪の第2日は、こうして幕を閉じた次第である。