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NOと言える三多摩~言泉「やまと」後悔日誌

NOと言える三多摩~言泉「やまと」後悔日誌

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言泉「やまと」

言泉「やまと」

2006.12.18
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カテゴリ:雑筆
ここ数日の間、考えていることがある。
人は誰のために、あるいは何のために、日記をつけるのであろうか。

私自身は、高校3年の正月から日記をつけていて、かれこれ10数年が経っている。
最初の数年、つまり学生のうちは、かなり熱心であった。手帳の見開きの左ページにはその日の行動(何時に起きて、何時の電車に乗って、どこで何をして、何時に寝て、・・・)を手短に、右ページにはその日の心の動き(感じたり、思ったり、考えたりしたこと)を文章またはキーワードの羅列で、書いていた。
やがて社会に出て忙しくなるにつれて、右ページの記述は省略されることが多くなったが、それでもなお、左ページの記述だけは今も同じ体裁で書き続けている。

上の日記は、他人の目に触れることを前提としていない。
あくまで、後で何かを思い出すための「備忘録」として、または、嫌なことを早く忘れるための「記憶のゴミ箱」として、つけていたに過ぎない。

世の中にはこうした非公開タイプの日記がある一方で、不特定多数の人々に読んでもらうことを前提とした日記もある。これには紀行・回顧録・自叙伝の類が含まれるように思われる。『ガリア戦記』が日記のカテゴリーに属するかどうかは分からないが、遠く離れた異国での出来事や風俗などを誰かに報告するために書き綴ったものや、そういう写実的な描写ではなく、あくまで内省や思索を書き留めたものもあろう。
いずれにせよ、この表現形式は、「文学」の一つのジャンルにもなっているほど、歴史的な蓄積が厚いものである。

現代では、ブログというメディアが発達したおかげで、無数の人々の日記が、しかもリアルタイムで、公開されるようになった。
このリアルタイムというのが意外に曲者であって、思わぬところに予期せぬ波及効果があったりする。アフィリエイトやジャーナリズム志向の強いブログなどは、その効果を最初から計算に入れているのであるが、それを計算に入れずに波及効果がブーメランのように自分に返ってくる(返り血を浴びる?)場合もある。あ、痛たっ・・・。

そういう意味で、ブログは、伝統的な「日記」とは一線を画す、何かがあるような気がする。
誰のために、あるいは何のために、日記をつけるのか。
改めて自分自身に問いかけている今日この頃である。





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Last updated  2007.11.21 16:15:30



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