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カテゴリ:読書
昨日決着をつけた海外旅行の代金を、今日インターネットバンキングで振り込んだ。まさに一件落着である。が、そのとき、あることを急に思い出してしまった。実は、先月末は課題に追われていたために、今月の家賃を振り込むことをすっかり忘れていたのである。1週間遅れで、あわてて振り込んだ次第である。大家さんには申し訳ないことをしてしまった。反省・・・。
さて、今日のお題は読書である。 阿辻哲次氏の『近くて遠い中国語』(中公新書)を読了した。 本書の著者は長年、大学の教養課程で外国語科目として中国語を教えている。そうした視点から、日本語と中国語の違いや、中国語の言語学的な特徴などについて、ざっくばらんに論じているのが本書である。 第1章 大学の中国語 第2章 中国語はどのような言語か 第3章 簡体字と繁体字 第4章 中国人と筆談は可能か 第5章 中国語の発音について 第6章 中国語は「見たらわかる」か?─『人民日報』を読んでみる 現代中国において、文字表記(すなわち漢字)の簡略化(繁体字から簡体字への移行)や、発音表記システムとしての「直音」「反切」「注音符号」「ピンイン」の普及などが、どのような過程を経て進められてきた(あるいは、今もなお進められている)のか・・・といったことが書かれていて、個人的には非常に興味深かった。 私自身が面白いと感じたのは、特に次の2点である。 1)様々な地域差があること。 そもそも大きく分けると7つの方言がある上に、香港や台湾といった行政的に別の歴史を有する地域では特殊な事情が多い。大陸では簡体字+ピンイン、台湾では繁体字+注音符号と、かなりの違いがある。しかし、大陸の「普通話(標準語)」は、もともと中華民国時代の「國語」がベースになっているため、台湾でも基本的に通用するようである。また、大陸と香港・台湾との間で経済的な交流が活発になるにつれて、香港では「普通話」学習ブームが起きる一方で、大陸の経済界では「繁体字」への回帰現象が見られつつあるとのことである。 2)時代差も大きいこと。 かつては「漢文」(中国語で言うところの「古文」)が東アジアに広く普及していたため、たとえば江戸時代には朝鮮通信使と日本の在野の知識人が漢字で筆談することも可能であった。いわばヨーロッパにおけるラテン語のような国際言語の役割を、「漢文」が果たしていたのである。 ところが、書き言葉としての「漢文」は古典を読む(さらには科挙制度を維持する)必要から保存されたのに対して、話し言葉は時代によって変容していく。こうして、かつての「漢文」と現代中国語とでは、発音・文字表記・語彙・意味・文法が大きく異なるのである。現代の日本人が『枕草子』を音読できるとしても意味は完全には理解できないのと同様に、現代の中国人も「漢文」を(簡体字に直せば)音読できるとしても意味を理解するのは難しいようである。したがって、現代においては、相互の言語の知識がない限り、日本人と中国人が筆談することはほぼ不可能であるらしい。 結局のところ本書は、中国語という一つの言語を題材として、言語一般の普遍的な趨勢(あり方)を述べているような印象がある。中国事情や中国語を学びたい人だけではなく、日本語教育学や言語学全般に興味がある人にも、一読を推奨しておきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.11.21 16:58:59
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