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カテゴリ:三多摩小旅行
連休明けの発表に関しては、おおよその目処がついた。もっとも、「目処がついた」とは言っても、修士論文が素晴らしく進展した、というわけではなくて、ただ単に発表の準備がほぼ終わった、というだけの話である。「現時点でどのような困難に直面しているか」は発表できるとしても、修士論文の構想は依然として五里霧中あるいは暗中模索の状態である。
まあ、いずれにせよ、せっかくの連休でもあり、今日は一日「気分転換」に充てることにした。で、何をするか、と考えてみると・・・三多摩に引っ越してきてから1年あまりが経過しているのに、私自身は地元のスポットをあまり見ていないため、近所をあちこち歩き回ることに決めた。 最初に訪れたのは、立川市と国立市の市境に位置する矢川緑地保全地域。矢川の源流の近くに、雑木林が残されていて、水と緑に恵まれた一帯である。 そこから矢川沿いに歩いていくと、「いこいの広場」のゲートボール場では、藤の花が見ごろを迎えていた。 矢川を離れて南に折れると、ママ下湧水公園に行き着く。「ママ」というのは母親の意味ではなくて、がけ(崖)を表す方言。ここは、高さ数メートルのがけ(青柳段丘)と低地(多摩川の氾濫原)が接する場所で、その地層の切れ間から豊富な地下水が湧き出ている。 次は東へ向かい、しばらく進むと、臨済宗建長寺派の古刹・南養寺がある。寺そのものは14世紀の創建と伝えられているが、左上の写真は1780年に建立された総門である。そこを通って南に抜けると、くにたち郷土文化館にたどり着く。その館内はガラガラであった。 さらに東へ進むと、城山公園に出る。ここは中世の(居館)城跡で、すぐ横には江戸時代の農家が移築・復元されている。青空をバックに、こいのぼりが気持ちよさそうに泳いでいた。 今度は南西に向かう。多摩川にかかる石田大橋を渡って、日野市に入る。 新選組副長・土方歳三(1835~1869)の生家跡。もっとも、彼が実際に出生したのは300メートルほど東(多摩川寄り)で、1846年に多摩川が出水して土蔵などが被害を受けたため、母屋などをこの地に移築したらしい。建物自体は老朽化したため1990年に取り壊され、新築された現在の家屋には「資料館」が併設されている。が、表札を見てお分かりのように完全な「個人宅」であり、資料館はGWなどの特別な期間を除けば月に2回(第一・第三日曜日)しか開館していない。そのせいか、館内は非常に込んでいた。 そして、万願寺駅から多摩都市モノレールに乗車して、帰宅の途についた。 結局、3時間ほど歩いたことになる。実にいい「運動」であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.11.21 18:31:01
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