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カテゴリ:ミュージアム
今日も晴れて暑い~。三多摩の府中のアメダスによれば、日最低気温は26.3℃(05:20)で熱帯夜、そして日最高気温は35.3℃(12:40)で真夏日を超えてついに猛暑日を観測した。
ううっ。ここまで暑いと・・・多摩蘭坂。いや、たまらん。 さて、今日は、2月に「悠久の美」&「マーオリ」、そして4月に「レオナルド・ダ・ヴィンチ」を見て以来、久々に東京国立博物館に行ってきた。 特別展 足利義満600年御忌記念「京都五山 禅の文化」展を見るためである。 まずは余談から。 私が「禅」に興味を持つようになったのは、高校1~2年の頃。1987年に放送されたNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』の原作、山岡荘八氏の『伊達政宗』を読んだのが、最初のきっかけである。 織田信長(1534~1582)が甲斐の恵林寺を焼き討ちした際に、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という言葉を残して死んだとされるのが大禅師・快川紹喜(?~1582)。その門下の一人に虎哉宗乙(1530~1611)がいる。師の快川紹喜と同様に虎哉宗乙も美濃出身の臨済宗妙心寺派の名僧で、伊達政宗(1567~1636)の父・輝宗(1544~1585)によって米沢の資福寺に招かれ、政宗の教育係として終生、師弟関係にあったらしい。 小説の中で政宗が成長するにしたがって、私自身も感化されて「禅」のエッセンスを吸収してしまったようである。 ちなみに、私のプロフィールにある写真は、世界文化遺産にも登録されている京都の龍安寺(臨済宗妙心寺派)の石庭で、別名「虎の子渡し」とも呼ばれる枯山水である。 例の2005年8月24日に撮影したもので、私の宇宙観を示すもの(?)として掲げている。 ここからが、ようやく本題。本展覧会は、以下の5章で構成されている。 第1章 兼密禅から純粋禅へ第1章では、五山を開いた禅僧たちの画像や彫像などが並べられている。そのうちの数名が、手に「痛棒(座禅のとき、師が心の定まらない者を打ち懲らす棒)」を持っていたのは、さすがである。 第2章もほとんど第1章の延長線上で、禅僧たちの画像や彫像が続き、墨蹟や袈裟などもある。 個人的には「十牛頌」(相国寺)が目に留まったが、前半5幅だけしかなく、「どうせなら全部並べてくれればいいものを・・・」と不満を覚えてしまった。 第3章は、足利将軍家にまつわる文物が出てくる。存在感があったのは「足利義満坐像」(等持院)であろうか。また、五山そのものではないものの、足利義満が造営した鹿苑寺の「銅造鳳凰」や、昭和に作られた金閣模型(相国寺)、さらには1950年の焼失前に撮影された写真(文化庁)なども展示されていて、興味深かった。 なお、個人的に白眉と感じたのは、重要文化財の「龍虎図」(大徳寺)。これは8月13日までの期間限定出品であるらしい。 第4章は、「山水図」のような水墨画、詩歌、出版または手書きの書籍などが並んでいる。 私が期待していた「十牛図」(相国寺)は、8月28日から9月9日までの陳列であるとのこと。残念ながら現物を拝むことはできなかったが、その代わりに観覧後に販売コーナーでクリアファイルと蛇腹本を購入した。 第5章は、もはや五山にとらわれず、全国各地の禅宗寺院の仏画・仏像が数多く展示されている。 会場には、夏休みの自由研究であろうか、小学生と思しき子供たちが熱心にメモを取る姿も見られた。とは言え・・・小学生に「禅」の境地が分かるかなぁ? 健闘を祈るのみである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.11.21 20:16:27
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