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カテゴリ:ミュージアム
昼過ぎまで時々雨が降っていたが、その後は曇り。三多摩の府中のアメダスによれば、今日の日最低気温は24.2℃(23:40)、日最高気温は27.3℃(15:50)であった。
さて、今日の記事は、[VOYAGE-183]および[VOYAGE-225]の続編である。 サントリー美術館の開館記念特別展「BIOMBO/屏風 日本の美」展を見てきたので、その印象などを記してみよう。 本題に入る前に、ちょっと寄り道をして、屏風にまつわる私自身の読書経験に触れておく。 1996年2月に刊行された黒田日出男氏の『謎解き 洛中洛外図』(岩波新書)は、米沢藩上杉家に伝わる「洛中洛外図屏風(上杉家本)」の作者が本当に狩野永徳(1543~1590)なのかどうか・・・という日本中世史・美術史を巻き込んだ大論争に対して、著者なりに謎解きを試みたものである。 それによると、屏風というものは、作者の創作意欲だけで制作されることはまずないらしい。作るのに手間もお金もかかるため、作者のほかに、富や権力を有する注文者がいて、その注文者の意向に添って描かれるはずである。さらに、注文者自身がその屏風を所有する場合もあろうが、贈答品としてほかの誰かに贈られることもしばしばあったという。つまり、作者、注文者とは別に、第三者の贈られ手がいるわけである。こうした作者、注文者(贈り手)、贈られ手の「三角関係」を検討してみると、 という「四角関係」で考えれば、うまく説明がつくとのことであった。 このように、屏風を作ったり注文したり贈ったり贈られたりした人々のさまざまな思いが交錯し、時として数奇な運命をたどることもある。表面に描かれた絵画的な内容だけでなく、付随する人間ドラマのストーリーに思いをはせることができるのも、屏風の魅力の一つであろう。 では、本題に移る。まずは『図録』からの引用である。 ごあいさつふふっ。そうなのである。授受関係のストーリーのみならず、黄金の国ジパングを想起させるゴージャスな贈答品として海外交流の一翼を担ったという側面も、屏風の魅力の一つであった。 現代であれば、さしずめ「MANGA/漫画 日本の情」といったところであろうか。昔も今も、日本製のビジュアルアートは有力な輸出品なのかもしれない。 それはさておき、今回の出品点数自体はそんなに多くない。しかし、数は少なくても、1点1点が物理的にどでかく、しかも色彩的にも華麗なものが多いため、前回および前々回以上に見ごたえがあった。とは言え、展示スペースの制約から完全に広げることができずに、W字形に屈折して見にくい作品もいくつかあった。 本展は次の6部から構成されている。 第1章 屏風の成立と展開このうち、私の目を引いたのは、第2章で展示されていた「悠紀・主基地方風俗歌屏風(平成度)」と「白絵屏風」であった。前者は、今上天皇の大嘗祭(天皇が即位して最初に執行する一世一度の新嘗祭)の祭場を飾った屏風。大嘗祭では祭事に先立って新穀や酒を奉納する任国を決めるが、任国のうち悠紀(ゆき)は東国から、主基(すき)は西国から選ぶことになっていて、それぞれの国郡の名所や風俗を和歌に詠み、その歌意を描いた屏風が設けられるとのことである。ちなみに、今回の悠紀は秋田県(屏風には東山魁夷氏によって角館、男鹿半島、抱返り渓谷、田沢湖が描かれる)、主基は大分県(屏風には高山辰雄氏によって鶴御崎、由布岳、耶馬溪、日田が描かれる)であった。 また、後者の「白絵屏風」は、現存する遺例は極めて少ないものの、平安時代以来、出産の場に立てられてきた屏風である。素地の上に松・竹・亀・鶴などのいかにもおめでたい文物が白一色で描かれている。 これらは、屏風の絵柄そのものよりも、屏風に付随するストーリーが非常に興味深かった。 続く第3章では、「レパント戦闘図・世界地図屏風」や「泰西風俗図屏風」、あるいは「花鳥螺鈿蒔絵聖龕(聖母子像)」など、和の技法で洋の文物を描くというハイブリッドな作品が並べられていた。『アズールとアスマール』にも通じるものがあるが、ちょっと奇異な印象を受けた。 次の第4章では、「聚楽第図屏風」「豊公吉野花見図屏風」「四天王寺住吉大社図屏風」などのように、歴史的な建物やイベントなどが描かれているものが多い中で、不思議な絵柄もいくつかあった。「帚木図屏風」は源氏物語に由来するものであるが、図中には登場人物が全くいない。庭には紅葉が散っていて、室内には和琴が一張ぽつんと置かれているだけである。何とも閑寂な光景であろう。また、「誰が袖図屏風」も、図中に登場人物がおらず、衣桁に掛けられた衣装だけが目立っている。こちらはそうした衣装を着る女性の面影を偲ぶもの(妄想系?)らしい。 第5章では、朝鮮通信使やオランダ国王への返礼など、外交上の用途で制作された屏風が並んでいる。国の威信をかけて、最上の画家、最高質の絵具が選ばれていることが見て取れる。まさに究極の作品群で、金箔の上に単色の墨で描いた「墨梅図屏風」などは圧巻であった。 最後の第6章では、もともとは一組の作品であったが、何らかの事情で分割されて、現在は別々の場所に収蔵されているものを、本展で(つかの間の)再会を実現させた・・・という、ドラマチックなエピソードが披露されている。たとえば、ドイツのケルン東洋美術館、日本のサントリー美術館、米国のメトロポリタン美術館がそれぞれ収蔵している「祇園祭礼図屏風」「社頭図屏風」は、元は連続する襖絵であったらしい。また、「松下麝香猫図屏風」はボストン美術館蔵、「樹下麝香猫図屏風」はサントリー美術館蔵であるが、前者には雌と子供の麝香猫が、また後者には雄の麝香猫が、それぞれ描かれている。これなどは文字通りの「再会」と言えよう。この作品のストーリーは最強であった。 私が言葉で伝えられることには限界があろう。「百聞は一見に如かず」ということで、実際の作品を一度じっくりとご覧いただければ幸いである。 なお、最後に、ちょっとだけ余談。 従来の図録は「A4縦置き」であるが、今回の図録は横長の屏風を収録する都合から「A4横置き」となっている。しかも、金ピカの表紙を保護する目的なのか、今回はなんと「特製カバーつき」である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.11.21 20:47:32
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