昨日の記事でも示唆したように、今日は早朝に三多摩を出発し、
11日ぶりに
信濃・川中島に来た。現在は長野市内の宿泊施設に滞在しながら、ノートPCに向かっている。
もっとも、今回の本業(修士論文の研究)での用向きは今日の午後(半日)だけで終わったので、別に長野市内の宿で夜を過ごす必要性は必ずしもない。が、三多摩に帰る際に立ち寄りたい場所があるため、あえて1泊しているのである。それはまた明日の記事で・・・。

なお、今日の当地は曇り一時晴れ。長野地方気象台の観測によれば、日最低気温は18.6℃(03:07)、日最高気温は30.4℃(13:57)。ちなみに、三多摩の府中のアメダスによれば、今日はおおむね晴れて、日最低気温は20.2℃(05:30)、日最高気温は30.2℃(13:20)と、
5日ぶりの真夏日であったらしい。
さて、今日は、とある言葉を取り上げる。例によって、私の
電子辞書からの引用である。
ぜん-じょう【禅定】 ‥チヤウ
〔仏〕(「禅」は梵語dhyanaの音写、「定」はその漢訳)
1)心を静めて一つの対象に集中する宗教的な瞑想。また、その心の状態。
2)修験道で、富士山・白山・立山などの霊山に登って修行すること。
3)(霊山山頂での修行から)霊山の頂上。『広辞苑』
ぜん-じょう【禅定】 ─チャウ
《名》
1)仏教で、精神を一点に集中させ、雑念を退けて忘我の境地に入ること。また、その精神状態。
2)修験道で、行者が霊山に登って修行すること。また、その修行。『明鏡国語辞典』
禅定[ゼンジョウ]
「禅」はサンスクリット語dhyanaの音写、「定」はその漢訳。⇒六波羅蜜の一つ。心を統一して三昧に入り寂静になること。『ブリタニカ国際大百科事典』
ぜん-ぢゃう(─ジヨウ)【禅定】(名)
1)《仏教語》煩悩(ぼんのう)のために散乱している考えを静め、心を統一して、真理を悟ろうとすること。また、その悟り。禅。定(じよう)。
2)修験道(しゆげんどう)で、駿河(するが)(静岡県)の富士山、加賀(石川県)の白山(はくさん)、越中(富山県)の立山(たてやま)などの高山に登って修行すること。
3)霊山の頂上。『全訳古語辞典』
ぜん-じょう【禅譲】 ‥ジヤウ
1)中国で、帝王がその位を世襲せずに有徳者に譲ること。尭が舜に、舜が禹に帝位を譲った類。
2)天子が皇位を譲ること。『広辞苑』
ぜん-じょう【禅譲】 ─ジャウ
《名・他サ変》
1)古代中国で、天子がその位を世襲しないで有徳者に譲ること。
⇒易姓革命の思想に基づく。
2)天子または支配者がその位を後継者に譲ること。『明鏡国語辞典』
ぜんじょう【禅譲】
中国で天命を受けたと考えられる有徳者に帝位を譲ること
戦国時代に孟子が革命(天命が革(あらた)まるの意)を是認したが、漢代に古代の聖天子尭(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)は血統によらず有徳者に平和的に政権を譲ったという伝説がつくられ、魏以後、五代・宋までは、新王朝の建設者は簒奪者(さんだつしゃ)の汚名を避けるために禅譲の形式をとった。『世界史事典』
禅譲放伐[ゼンジョウホウバツ](Shan-rang Fang-fa)
古代中国に唱えだされた王朝交代の2つの型。中国の君主は、天帝の命によってその地位にあるものと信じられていた。禅譲は、1王朝1代で、前の王が天命の下りた天下の最有徳者に平和的に王位を譲るという理想型で、禅も「ゆずる」の意。放伐は、世襲王朝の失徳の王を天下の有徳者が武力で討って代る革命。王朝の姓も易(か)わるので易性(←ママ、引用者注)革命ともいう。漢以後の王朝革命では、形式的に禅譲に似せるものが少くなかった。『ブリタニカ国際大百科事典』
ぜんじょうほうばつ【禅譲放伐】
中国で王朝交代の形式をいう儒教の用語。天命を受けたとされる有徳者に平和的に政権を譲り渡すのが禅譲、武力に訴えて政権を奪取するのが放伐である。尭(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)の交代は禅譲、夏・殷(いん)・周の交代は放伐とされる。王莽(おうもう)の時代や魏晋・南北朝に貴族勢力が強大になると、儒教の易姓革命説によって、政権の授受は内実はともかく、表面的には禅譲の形式がとられた。『百科事典マイペディア』
前者の「禅定」はオマケ。後者の「禅譲」が今日のキーワードである。
とは言え、別に自民党の内部で起きている現象をとやかく言うつもりはない。実は、私自身、先輩から譲り受けた
メーリングリスト管理者権限を、そろそろ後輩に譲り渡さなければ
(または、後見人の立場にとどまりながら自らの後継者を養成するという、文字通りの「院政」を執行しなければ)と、思っているのである。さて、あのメンバーの中で、「有徳者」と言えば・・・誰を指名すべきであろうか。