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NOと言える三多摩~言泉「やまと」後悔日誌

NOと言える三多摩~言泉「やまと」後悔日誌

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言泉「やまと」

言泉「やまと」

2007.10.01
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カテゴリ:読書
今日は10月1日ということで、郵便局株式会社(郵便局)郵便事業株式会社(日本郵便)株式会社ゆうちょ銀行(ゆうちょ銀行)株式会社かんぽ生命保険(かんぽ生命)を擁する日本郵政株式会社グループが発足したり、気象庁緊急地震速報の一般への提供を開始したり、といった出来事があった。

その緊急地震速報が一般に提供される直前の今日02時21分頃、神奈川県西部を震源とするM4.9の地震があり、箱根町湯本(って、第3新東京市?)では震度5強を観測した。私の自宅でもガラス戸がガタガタガタと大きな音を発したが、葛城ミサトがヤシマ作戦でも強行したのであろうか(?)。

と、冗談はさておき、今日は一日曇り。三多摩の府中のアメダスによれば、日最低気温は15.7℃(03:20)、日最高気温は19.9℃(13:50)。ここ3日ほどですっかり涼しくなってしまった。
おかげで私個人としても体調は万全ではなく、特に気分的に優れなかった。今日から冬学期の授業が始まったが、初日から「登校拒否」になりそうであった。



さて、今日は、昨日の記事に引き続いて読書ネタである。
実は、昨日取り上げた『学校は誰のものか 学習者主権をめざして』よりも早く読み始めたのであるが、雲を掴むような内容で頭の中がモヤモヤしてしまったため、途中で上述の本に切り替えた・・・という、いわくつき(?)の書物を読了したので、それを紹介してみたい。

それは、山田史生氏の『日曜日に読む『荘子』』(ちくま新書)である。
日曜の朝、わたしは寝坊した。
序章 荘子、夢で胡蝶となる─パラドックスの予感
第一章 世界の眺め方
 第一節 この現実を鵜呑みにしよう
 第二節 因果という虚構は捨てよう
第二章 言葉の使い方
 第一節 基礎づけ主義は断念しよう
 第二節 状況に応じて言葉を使おう
第三章 知識の捨て方
 第一節 概念図式の概念は忘れよう
 第二節 あるがままに生きていよう
終章 渾沌、七つの穴に死す─絶対的無分別の悲哀
日曜の夜、まだ眠くないけど。
本書は、「わたし」という一人称の主人公が、日曜日の朝から夜まで、好きな音楽を聴いて好きな酒を飲みながら好きな本を読む・・・という場面設定で、『荘子』の面白さについてひたすら語り続けるというスタイルをとっている。主人公の独り言(および心の声)を文字化しているため、基本的には口語体である。

で、まずは回り道ではあるが、私の電子辞書からの引用を掲げておく。
そうし【荘子】 サウ‥
(曾子との混同を避けてソウジとも)
1)荘周の敬称。
2)「老子」と併称される道家の代表著書。荘周著。現行本は内編7、外編15、雑編11から成る。内編(逍遥遊・斉物論など)は多くの寓言によって、万物は斉同で生死などの差別を超越することを説く。外編・雑編は内編の意を敷衍(ふえん)したもの。唐代、南華真経と称。
『広辞苑』

そうし【荘子】
中国、戦国末の思想家。老荘思想の源泉の一人。名は周、字は子休、河南の人と伝えるが、生没年・伝記不詳。著書とされる《荘子》33編(内編7、外編15、雑編11)は荘周学派の論説集で、奇抜な寓言(ぐうげん)で文明を鋭く批評し、人為を捨てて、無為自然に復帰することを説く。老子の思想を継ぎ、道家の思想を発展させたもので、中国禅仏教の形成など後世への影響が大きい。
『百科事典マイペディア』

そうし【荘子】
生没年不詳
戦国時代の思想家で道家の代表者

名は周。宋の人。老子の思想を発展させた。無為自然の思想の上にたち、個人主義的または虚無主義的傾向が強い。その著『荘子』33編は、内編7・外編15・雑編11からなり、内編だけが彼の手になるといわれる。
『世界史事典』

荘子[ソウジ](Zhuang-zi)
中国、戦国時代の道家の思想家荘周(荘子〈そうし〉)、あるいはその著作。著作の場合は唐代以後に道教の経典に加えられて、荘周の作品を中心に道家の論文、寓話などを編集した書物。『南華真経』ともいう。33編。漢代には、荘周の遺著と伝えられていたものが52編あったが、これを改編整理する二、三の試みが現れ、現在は晋の学者郭象が、内編7編、外編15編、雑編11編に整理して注釈を加えた33編本が伝わっている。33編の各編は、いくつかの寓話、論文から成る。寓話は奇警、奔放、飄逸で、なかでも内編の文章がすぐれており、近代の通説では、これが荘周の自著と推定されているが、「逍遥遊」「斉物論」の2編は、道を体得したいわゆる至人の自由な境地を説いている。その他の諸編は、あるいは絶対的自由の境地を追って現象世界の一切の差別と対立の諸相(大小、長短、美醜、賢愚など)を1つに考えるべきだとし、変化こそを本質的あり方としている。あるいは道との関連で事物存在の真仮を問題とし、あるいは人間生存の真実態は素朴自足であるとして仁義礼楽を鋭く排撃するなど多様な問題を扱っているが、要は道家思想展開の種々相を示しているものである。その大部分は戦国末、秦初の作と考えられるが、一部には漢初の作を含むかもしれない。最後の「天下編」は秦、漢の間に成った諸学派の思想を知る一つの資料として知られる。
『ブリタニカ国際大百科事典』
以上の説明はかなり難解であろうが、本書を読み終えた今なら、ある程度は理解できる(ような気がする)。

老荘思想と言えば、「無為自然」「あるがまま」というキーワードで説明されることが多い。しかし、この「無為自然」「あるがまま」というのは、単に「何もしない」ということではなく、「常識的な発想に毒された思考回路から、完全に自由になる」ことであり、実は相当に難しいのである。

うまく説明する自信はないが、私としては、次のような例を示してみよう。
たとえば、「文化相対主義」という考え方がある。あらゆる文化はそれぞれ独自の価値体系を持つ対等な存在としてとらえ、互いに優劣や善悪の関係にはないという態度である。しかし、あらゆる文化は対等であるとは言いながらも、ナチズムのような「自民族中心主義」の文化と相容れないのは、自己矛盾に陥って論理的に破綻しているのではあるまいか・・・。

「知るも知らぬもない」と嘯いて、そうした概念図式からも自由であることを説くのが、『荘子』の真骨頂と言えよう。上の『百科事典マイペディア』の記述にもあるように、道教のエッセンスを取り入れた中国仏教は禅宗を発展させるわけであるから、『荘子』がなにやら禅問答のように見えてしまうのも至極当然のことである。

本書を読んでいると、頭の中がグニャグニャになってしまうかもしれない。現に私は一度読んだだけでは十分に理解できなかったので、いずれ改めて再読したいと思っている。





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Last updated  2007.11.21 21:06:23



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