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NOと言える三多摩~言泉「やまと」後悔日誌

NOと言える三多摩~言泉「やまと」後悔日誌

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言泉「やまと」

言泉「やまと」

2007.10.12
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カテゴリ:ミュージアム
今日は晴れのち曇り。三多摩の府中のアメダスによれば、今日の日最低気温は18.4℃(06:40)、日最高気温は26.7℃(13:20)で、10月5日(金)以来の夏日となった。

さて、今日の本題に入る前に、まずは二つの話題に触れておく。
国際的建築家で文化功労者 黒川紀章さん死去 73歳
(MSN産経ニュース 2007.10.12 16:43)
建築家黒川紀章さん死去 参院選にも立候補 73歳
(asahi.com 2007年10月12日17時06分)
黒川紀章さん:現代建築に「共生」思想 最期も人々驚かす
(毎日jp 2007年10月12日21時58分)
黒川紀章氏が死去、国際的な建築家
(NIKKEI NET 2007/10/12 22:21)
建築家の黒川紀章氏が死去
(YOMIURI ONLINE 2007年10月12日22時40分)
建築家という職業は「理屈っぽい芸術家」であるため、時として手に負えなくなる場合もあるが、4月の都知事選、そして7月の参院選で気炎を吐いておられた黒川紀章氏が亡くなったらしい。合掌。

個人的によく覚えているのは、秋田県にかほ市(旧・金浦町)にある白瀬南極探検隊記念館。私自身のルーツが秋田県や山形県にあることは[VOYAGE-283]などでも述べたが、旧・金浦町もそうしたゆかりのある場所の一つで、確か1991年9月に親戚一同で墓参りをした際に、この記念館を訪れたことがある。竣工したのが1990年とのことであるから、オープンしてまだ間もない時期に行ったようである。いずれにしても、「こんな片田舎に、黒川紀章氏の建築物があるなんて!」と、感銘を覚えたのを記憶している。まあ、今にして思えば、バブルのなせる業なのであろうが・・・。

もう一つ。
ノーベル平和賞にゴア氏ら 環境問題への取り組み評価
(asahi.com 2007年10月12日18時12分)
ゴア前米副大統領とIPCCにノーベル平和賞
(MSN産経ニュース 2007.10.12 18:22)
ノーベル平和賞:ゴア前米副大統領と国連のIPCCに
(毎日jp 2007年10月12日18時42分)
ノーベル平和賞、ゴア氏らに・気候変動の問題知らせる
(NIKKEI NET 2007/10/12 20:01)
ノーベル平和賞、ゴア前米副大統領らに
(YOMIURI ONLINE 2007年10月12日22時46分)
VOYAGE-264]や[VOYAGE-308]で取り上げたアル・ゴア氏らが、ノーベル平和賞を受賞したとのことである。実に喜ばしい。

ただ、時としてノーベル賞はヘンな人に授与されることもあるので、受賞の有無にかかわらず、ゴア氏には今後も一層の活躍を期待したい。



さて、それでは本題である。
今日はほぼ1か月ぶりに博物館・美術館めぐりをしてきた。しかも、1日に2館もハシゴしてしまったので、今日と明日の2回の記事に分けて紹介してみたい。

その最初は、江戸東京博物館で開催されている特別展「文豪・夏目漱石-そのこころとまなざし-」である。

1章 生い立ち・学生時代
2章 松山・熊本時代~ロンドン留学
3章 帰国・創作開始
4章 漱石が描いた明治東京
5章 漱石山房の日々
6章 晩年
本展は「東北大学創立100周年記念・朝日新聞入社100年・江戸東京博物館開館15周年記念」という触れ込みである。夏目漱石(1867~1916)には縁もゆかりもなさそうな東北大学がここに名を連ねているのは、その弟子の小宮豊隆(1884~1966)が空襲による焼失を避けるために、漱石最後の住居「漱石山房」に残された蔵書約3,000冊などを旧・東北帝国大学附属図書館に移動させたからであるらしい。

ところで、私は漱石が割と好きである。とりわけ伊藤博文(1841~1909)の後任で野口英世(1876~1928)の前任であった1984年から2004年にかけては、特に好きであった・・・という冗談はさておき、個人的には『草枕』の冒頭などがお気に入りである。とは言え、彼の作品はダイジェストで知るばかりで、実際にはあまり読んでいなかったりする。

で、まず本展の入り口では、等身大の漱石の人形が展示され、日本音響研究所によって復元された漱石の音声(モンタージュ・ボイス)が聞こえてくる。私が想像していたよりも甲高い声であった。

続いて幼少期や学生時代の漱石を物語る資料の数々が陳列されている。
私自身が学生であるせいもあろうが、個人的に目を引いたのは、東京帝国大学の試業点数登録簿。学生一人一人の試験の点数が科目ごとにズラリと書き込まれた成績簿の原票で、当時の名前である「塩原金之助」の欄を見ると、「-(横棒)」ばかりが並んでいる。この頃の漱石は腹膜炎を患い、ほとんどの科目を受験できなかったとのことである。しかし、それを機会に奮起して、その後は首席を保ったらしく、次には「幾何学答案97点」「代数答案90点」なども展示されていた。これらの答案はすべて英語で書かれている。まあ、英文科なのであるから、当然と言えば当然であろうが、理系の科目でも好成績を残しているのは驚異的であろう。あの庶民的な文章からは想像しがたいけれども、恐るべき才能を発揮していたのである。
ほかにも、学生時代のノートや弁論原稿などが印象的であった。

ロンドン留学時代に収集した多くの洋書には、漱石自身の書き込みがびっしりとあり、熱心に読んでいたことが見て取れる。
さらに、帰国して作家としてデビューした後は、直筆原稿もさりながら、読者からの手紙などもあって、興味深い。
水彩画などにも関心を持っていたらしく、自ら描いた掛け軸などが数点展示されていた。また、「帰去来辞」といった書もあり、なかなかの達筆で、直筆原稿とはかなり異なる筆致であった。まさにマルチタレントと言えよう。

右ひじを突き、その手に頭を軽く傾けて、憂いを秘めた表情の白黒写真は有名であるが、それをよく見ると、左腕には黒い喪章がつけられていることが分かる。これは、明治天皇の大喪の礼に際して撮影されたものであるらしい。

ということで、漱石の「人となり」(特に作家デビュー前)を知る上で、格好の展示であった。
この人が千円で、樋口一葉(1872~1896)が五千円なのは、納得しがたいものもあるが・・・って、その話はさておき、博物館を出てから、漱石の作品をじっくりと読んでみたい気になった。修士論文が終わったら読もうリスト(?)に加えておかねばなるまい。





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Last updated  2007.11.21 21:17:05



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