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NOと言える三多摩~言泉「やまと」後悔日誌

NOと言える三多摩~言泉「やまと」後悔日誌

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言泉「やまと」

言泉「やまと」

2007.10.28
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カテゴリ:ミュージアム
10時過ぎに豊橋を出発し、浜松で修士論文のネタを収集してから、JRの在来線を乗り継いで21時前に三多摩に帰還した。

この3日間の天気の様子を記述していなかったので、まずはそれから。
各地のアメダスなどによる日最高気温と日最低気温は、以下の表の通りである。
地点10/26(金)10/27(土)10/28(日)
大阪(大阪府) 21.0℃(13:34)
17.5℃(22:48)
 
京都(京都府) 20.6℃(14:16)
16.1℃(23:25)
 
豊橋(愛知県) 18.7℃(11:40)
16.1℃(21:50)
22.3℃(15:10)
14.3℃(21:40)
浜松(静岡県)  25.1℃(12:05)
13.0℃(06:26)
府中(三多摩)17.8℃(19:10)
14.9℃(06:50)
17.5℃(04:30)
13.0℃(23:10)
24.8℃(13:30)
10.4℃(05:20)
26日(金)から27日(土)にかけては、雨が降ったりやんだり。夕方、三河安城付近と豊橋では、虹を見ることができた。
28日(日)は台風一過で快晴。豊橋を出て静岡県内に入った頃からは、雪化粧した富士山の山頂を遠くに望むこともできた。その後、さらに東に移動して富士駅を過ぎる頃になると、富士山は突如厚い雲に隠れてしまい、夕方の神奈川県内では急に肌寒く感じたほどである。



さて、それでは、昨日の記事で予告したように、[VOYAGE-326]以来となる博物館・美術館ネタである。

最初の1館目は、大阪歴史博物館NHK大河ドラマ特別展「風林火山 信玄・謙信、そして伝説の軍師」。山梨県立博物館(笛吹市)、新潟県立歴史博物館(長岡市)での巡回を経て、この大阪が最後の展覧となる。
プロローグ 伝説の軍師 山本勘助
第1章 信玄と謙信
第2章 「風林火山」の時代-戦国の武と文化-
第3章 決戦川中島
第4章 軍学と軍師伝説
エピローグ 語り継がれる山本勘助
内容としては、武田信玄や上杉謙信らを描いた画像や、彼ら自身が残した書状や愛用した文物・武具、さらには川中島の戦いなどを描いた屏風や地図、山本勘助らを記述した書物や歌舞伎の役者絵などが展示されている。

興味深かったのは、信玄と謙信の書状である。信玄の筆跡は一画一画をしっかりと太く書いているものが多かったのに対して、謙信の筆跡はさらさらと流れるように細い字が連なっているものが多かった。両者の対照的な性格がにじみ出ているのかもしれない。

で、私の一番のお目当ては、川中島合戦図屏風であった。
今の期間は岩国美術館蔵と和歌山県立博物館蔵の2双が展示されているが、とりわけ見たかったのは後者である。この屏風は確か1992年に和歌山県の旧家で発見され、1993年にNHK総合テレビの『歴史発見』という番組で取り上げられていたのを記憶している。江戸幕府が成立して間もない頃、将軍家の徳川秀忠と紀伊家の徳川頼宣は仲が悪かった。というのも、弟の頼宣が相当な切れ者であったため、兄の秀忠は自らの権力基盤が危うくなることを恐れるあまり、治めるのが難しいとされる紀伊に弟を追いやって隙があれば改易(お家断絶)してやろうと考えていたほど、両者は緊迫した関係にあったからである。秀忠は甲斐・武田氏の軍学者を多く召し抱えたが、それに対抗して頼宣は越後・上杉氏の兵法を採用した。上杉氏の軍師とされる宇佐美駿河守定満(←大河ドラマでは緒形拳氏)の曾孫を名乗る定祐を召し抱え、その軍学書『北越軍記』の記述に基づいて描かせた・・・と見られるのが、この屏風である。
朝イチで見に行ったおかげで観客は少なく、先頭を進む私は数分間、この屏風を「完全に独占」して眺めることができた。合戦の様子が大画面の中に細かく描写されていて、実に見事なパノラマであった。余(←って、誰?)はすっかりご満悦である。



そして2館目は、[VOYAGE-329]でも触れた京都国立博物館特別展覧会「狩野永徳」
章立ては必ずしも整理されていないが、
墨を極める
永徳と扇面画
為政者たちのはざまで
時代の息づかい―風俗画―
桃山の華―金碧障屏画―
壮大なる金碧大画
といった小見出しが付けられている。

27日(土)の11時30分ごろに会場に到着すると、「30分待ち」の表示が出ていた。大行列の最後尾に並び、ひたすら待たされること60分強。12時30分過ぎにようやく博物館の入り口に到達することができた。中に入ると、しばらくはスムーズに鑑賞できたが、途中で再び大渋滞に遭遇。目玉の洛中洛外図屏風を最前列で見るためには、ここに並ばなければならないらしい。しかし、この列に並ぶと、ほかの作品は遠巻きに眺めるだけで、間近で見ることができなくなるではないか。
動線がなっていないぞ!
と、心の中で叫びつつ、列に並ぶこと30分強。ようやく私のお目当ての作品にたどり着いたものの、
本日は大変込み合っておりますので、歩きながらのご鑑賞にご協力お願いいたします
との係員の声を受け、やむなくその指示に従った次第である。
東京国立博物館で開催された特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ」のときは、客寄せの目玉である受胎告知だけを別の建物で最初に展示し、しかも最前列の通路を低くしつつ、後ろの通路は高くするといった工夫がなされていた。ところが・・・この展覧会では、そうした工夫はほとんどない(仮にあったとしても、機能していない)ように思われた。

展示方法には不服があるとは言え、作品自体には文句の付けようがなかった。
最初に国宝の花鳥図襖琴棋書画図襖竹虎図壁貼付といった墨で描かれた襖絵が並び、いきなり私を圧倒した。いかにも中国的な文物をモチーフとした水墨画もあり、素晴らしいものばかりであった。
次は扇の形(または扇そのもの)に描かれたものや、織田信長などの肖像画が続いた後に、お目当ての洛中洛外図屏風が来る。吉野山風俗図屏風などを含めて、描写が緻密な風俗画は本当に「見事」の一言に尽きる。
また、四季花鳥図屏風秋草図屏風といった豪華絢爛の金碧画もさすがであった。

うーむ。総合的な印象としては、潤沢な資金力にモノを言わせてスター選手をかき集めておきながら、チームとしては今ひとつ機能せずに優勝を逃してしまう某球団のような感じであろうか。

いずれにしても、高速バスの座席で長時間過ごしてエコノミークラス症候群の一歩手前に陥っていたところに、この90分強の待ちぼうけを食らい、足が棒のようになってしまったのである。京都から豊橋まで移動する際に在来線ではなく新幹線を選んだ理由は、こういう事情にあった。
とは言え、その翌朝、まさか足が筋肉痛に襲われるとは思ってもいなかったけれども・・・。





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Last updated  2007.11.21 21:32:47



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