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NOと言える三多摩~言泉「やまと」後悔日誌

NOと言える三多摩~言泉「やまと」後悔日誌

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言泉「やまと」

言泉「やまと」

2008.02.25
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カテゴリ:読書
今日も晴れ。三多摩の府中のアメダスによれば、日最低気温は-0.6℃(05:50)、日最高気温は8.5℃(14:00)。今季35日目の冬日を観測した。

さて、まずは余談から。私の目に留まったニュースを、ちょっとだけ。
桜便り、気象庁リストラ 測候所無人化で予測地半減
(asahi.com 2008年02月24日03時10分)
雑記帳:今日は鍋日和? 日本気象協会は…
(毎日jp 2008年2月25日)
今年の桜、早い?遅い?…激しさ増す開花予想競争
(YOMIURI ONLINE 2008年2月25日15時49分)

冷え込みの中、梅花祭開かれる 京都・北野天満宮
(MSN産経ニュース 2008.2.25 12:56)
粉雪舞う梅の北野天満宮にぎわう、25日は道真の命日
(YOMIURI ONLINE 2008年2月25日14時03分)
梅の花の下、舞妓さんがお点前 北野天満宮
(asahi.com 2008年02月25日17時11分)
上段は、民間気象会社のサービスをめぐる話題。
下段は、北野天満宮でご祭神の菅原道真公の命日を偲ぶ「梅花祭」が催された件。



では、今日の本題。2月1日(金)に購入した新書の2冊目、酒井信氏の『平成人(フラット・アダルト)』(文春新書)を読了したので、その感想などを記してみよう。
第一章 「平成人(ヒラのせいじん)」の時代
第二章 「平成人(フラット・アダルト)」の由来
第三章 「平成人」の価値
第四章 「平成人」の未来
著者は「平成元年度に小学校を卒業した」とある。私は平成元年(昭和63年度)に高校を卒業したので、著者と私との年齢差は6~7歳といったところであろうか。私自身はバブルがはじけつつもその余韻が残っていた時期にアルバイトを経験したりしているのに対して、この著者はそうしたバブルの恩恵に浴してはいないはずである。その意味では、世代が微妙に違い、根本的な部分で価値観が異なる可能性もある。

といった背景を踏まえた上で、本書を一読した私個人の印象を述べてみると。
内容自体としては、そんなに難しいことは書かれていない。とは言え・・・どことなくつかみどころがないといった感じで、結局何を主張したいのかがモヤモヤとしていて分かりにくかった。
「あとがき」には一応、次のような文章があるので、それを引用しておこう。
 平成という時代の風景から、立体的に論理が立ち上がるような文章を書きたいと思って、書いた。大げさにいうなら、平成の時代精神とでも言うようなものを、自分が生きてきた平成日本のとるに足りない風景から、批評という「文学」として立ち上げたいと思って、書いた。
 私にとって批評というのは、同時代の人たちの多くにとってとるに足りないような風景の中から、誰もが忘却しながら足下を絡めとられているような「論理」を紡ぎ出す「文学」に他ならない。

<中略>

 私たち「平成育ち」は、このような平成という時代の大きな変化の中で、意識的か無意識的か新たな価値観を形成してきた。そして今日では、このような価値観は、同時代を生きる「平成人」全体へと、老若男女を問わず浸透している。
 そして平成という時代が二十歳を迎えようとしている現在、私たち「平成育ち」だけでなく、同じ価値観を共有した「平成人」全体に成熟することが求められている。このため私はこの本を通して、第一に、新しい価値観が形成されるに至った条件を明らかにし、第二に、このような価値観が成熟していくための条件を明らかにしてきた。

<中略>

 とはいえ私たちは平成という時代の中で何もかもを失ったわけではない。昭和育ちの世代から見れば、「とるに足りない」と思われるかもしれないが、私たち「平成育ち」は、あふれかえるものや情報や人の荒波を、手に手を取り合って渡り生き残るための新しい価値観を練り上げてきた。本文中で記したように、この価値観は、外側に広がり行く世界の中で、内側に狭まり行くものであるが、「いき」という価値観を手がかりに、これから広がり行く世界の「外側」へと開いていくことができるものである。
 歴史的に日本は「外側」の世界をうまく受け容れることで繁栄してきた。私たち平成人が、「内側に引きこもる価値観」から「外側を受け容れる価値観」へと転換することも不可能ではないはずである。

<後略>
この部分を読むと、どうやら「新しい価値観」が一つのキーワードとなるらしい。
ただ、この「新しい価値観」が「成熟する」というのは、どういう意味なのか。本書では必ずしも明言していないようにも思われたが、引用部分の最後にある「価値観の転換」=「成熟」なのであろうか。
このあたりのことを、もう少しはっきりと言及してほしいような気がした。

さらに難癖を付けるとすれば。
私たち平成人」という表現自体が、実に象徴的かもしれない。個人として独立するのではなく、何かとすぐに周囲の仲間と「談合」してKYを避けたがる世代ならではの言い回しで、ちょっと苦笑を誘うものがあった。
その意味で、「新しい価値観」とやらが、ほかの世代にどれだけ浸透しているのか、疑問が残ってしまう。かなり浸透しているものと、さほど浸透していないものとに分けられるのではないか。

また、現在起こりつつあることは、本当に「平成」という時代に特有のものなのか、それとも「昭和以前」から引き継いできたもの(の変種)なのか。あるいは、本当に「日本」という空間に特有のものなのか、それとも「世界」的に広がりのあるものなのか。
そういう異なる時間・空間との対比において、何がどう新しいのかを検証する必要もあろう。

と、厳しい突っ込みを加えたものの、「グローバリゼーション」や「アメリカの自然」などの問題提起については、非常に鋭い視座を示しているように感じた。本書における数々の指摘が、いろいろと考えさせてくれることは間違いあるまい。





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Last updated  2008.02.26 00:21:39



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