午前中は晴れていたものの、昼過ぎから雲が多くなり、夕方には雨も降った。三多摩の府中のアメダスは、昨日09時10分のデータを最後に記録が途絶えていたけれども、今日の12時に復活。よって、日最低気温は不明であるが、日最高気温は12.5℃(13:30)であった。
さて、今日の本題に入る前に、まずは別件から。
例によって、私の目に留まったニュースなどである。
奈良を舞台とした歴史ネタが多いのは、『鹿男
あをによし』効果であろうか?
それとも、単にフジサンケイグループの宣伝戦略か?
それでは、今日の本題。
このドラマ『
鹿男あをによし』は昨夜が第8話で、残りはあと2回。いよいよ佳境に入ってきたが、その重要なキーワードが明らかになったので、それを調べてみよう。以下は私の
電子辞書からの引用である。
さんかく-ぶち-しんじゅうきょう【三角縁神獣鏡】 ‥ジウキヤウ
神獣鏡の一。縁の断面が三角形で、直径20センチメートルをこえる大型品が多い。日本の古墳から出土するが、魏帝が卑弥呼に下賜した銅鏡百枚にあてる説があり、また、すべて日本製とする説もある。『広辞苑』
さんかくぶち-しんじゅうきょう【三角縁神獣鏡】 ―シンジウキャウ
《名》
縁の断面が三角形をなす神獣鏡。日本の古墳から出土するもので、大型品が多い。魏王が卑弥呼(ひみこ)に贈った鏡とする説と、すべて日本製とする説とがある。『明鏡国語辞典』
三角縁神獣鏡[サンカクブチシンジュウキョウ]
古代中国の神話に登場する神仙や霊獣を浮彫風に表現した鏡のうち、周縁部断面が三角形状に突出する鏡をいう。直径20cmをこえる大型品が多く、後漢代の神獣鏡や画像鏡の流れを受けて3世紀に製作されたもので、景初3(239)年・正始元(240)年など、中国三国時代・魏の年号をもつ紀年銘鏡を含む。舶載鏡とされるものだけで330面以上が出土し、日本の古墳出土鏡中最も多いが、中国や朝鮮半島では出土例がない。京都府の椿井大塚山古墳からは33面以上が出土、奈良県天理市にある黒塚古墳からも33面が出土、各地に同じ鋳型から作られた同笵鏡が分布しており、当古墳被葬者を含めた近畿地方の複数の大親元を通じ、全国の首長に配布が行われたと考えられている。『魏志倭人伝』には、景初3年、魏に朝貢した邪馬台国の女王卑弥呼に銅鏡100面を下賜した記事が見えるが、三角縁神獣鏡は、倭への下賜品として魏が特別製作した鏡であるという説が有力である。邪馬台国と魏の間には、以後も頻繁な交渉が続いており、秦始2(226)年には台与が西晋に朝貢している。三角縁神獣鏡は型式変化の点からも、これら一連の交渉に伴い複数のタイプが継続的に輸入されたと考えられる。近年、三角縁神獣鏡の国産説・呉の渡来工人製作説なども出されているが、定説をくつがえすにはいたっていない。『ブリタニカ国際大百科事典』
さんかくぶちしんじゅうきょう【三角縁神獣鏡】
神獣鏡のうち、縁が厚く、その断面が三角形をなすもの。紀年銘のある鏡は少ないが、銘文から中国製で、三国の魏のものとし、卑弥呼に贈られたとする説と、大陸での出土例がないことから日本製とする説などがある。日本の古墳から出土し、分布や同笵(どうはん)関係、銘文などから古墳時代研究の史料として重要。【ぼう】製(ぼうせい)鏡が多く作られている。『百科事典マイペディア』
さんかくぶちしんじゅうきょう【三角縁神獣鏡】
縁の断面が三角形で、神や獣の文様を刻んだ古墳時代の銅鏡
前期古墳の副葬品として出土する。大阪府和泉市黄金塚古墳出土の銅鏡など、景初三年(239年、『魏志』倭人伝に邪馬台国が朝貢したと伝える年)を鏡の銘文に記すものもある。しかし中国では三角縁神獣鏡は出土せず、中国製か日本製か学説が対立している。多数の同笵(どうはん)鏡が各地の前期古墳から出土しており、大和政権が服属した各地の首長に配布したものと考えられている。『日本史事典』
うーむ。このドラマは、最後の最後まで目が放せないかもしれない。
「目が奪われた」というのは、まさに、このことか・・・。