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NOと言える三多摩~言泉「やまと」後悔日誌

NOと言える三多摩~言泉「やまと」後悔日誌

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言泉「やまと」

言泉「やまと」

2008.03.16
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カテゴリ:読書
晴れ時々曇りといったところ。三多摩の府中のアメダスによれば、日最低気温は10.5℃(06:20)、日最高気温は19.1℃(15:00)。妙にマッタリとした暖かさである。

さて、まずは別件から。私の目に留まった社説対決を取り上げてみよう。
社説:宙に浮く年金 不信解消の道がまた遠のく
(毎日jp 2008年3月15日)
社説2 年金記録回復、粘り強く丁寧に
(NIKKEI NET 2008/3/15)
【主張】年金記録照合 今後もあらゆる手尽くせ
(MSN産経ニュース 2008.3.15 03:39)
年金の記録―いつまで足踏みするのか
(朝日新聞社説=asahi.com 2008年03月16日)
年金記録名寄せ 権利をしっかり確認したい
(読売新聞社説=YOMIURI ONLINE 2008年3月16日01時23分)
この件に関しては、各紙はあまり対決していない。政治の世界の言葉に重みがなくなり、一段と信用が失われていく状況(言葉と信用のデフレ・スパイラル)に対して、警鐘を鳴らす内容となっている。
このままでは、もはやガラパゴス化やマダガスカル化にとどまらず、海中に沈没してしまうのではないか・・・といった危機感を覚えるのは、私だけであろうか。



それでは、今日の本題である。
2月20日(水)に川崎で購入した新書3冊のうち、2冊目をようやく読破した。そこで、その印象などを述べてみたい。

多田容子氏の『自分を生かす古武術の心得』(集英社新書)である。
第一章 手裏剣術との出会い
 甲野善紀先生の関西稽古会
 見ても分からない世界
 新しいものは古く、古いものは常に新しい
 マンツーマン手裏剣術教示
 世に伯楽あり、然る後、千里の馬あり
 老若男女に実践可能
第二章 指南法を工夫する
 実技は半分
 日常と稽古の架け橋
 言い方は優しく、内容は厳しく
 褒めて、おだてて、やってみせ
第三章 稽古者の心理と型の理解
 恐怖心に気づく
 一打に責任をもつ
 フォームは無数で、型は五本
 基本の型は最後にできたもの
 同じ型ほど差がみえる
第四章 武術で身体を見直す―軸と重心の話
 二十代で六十代といわれた身体
 やっかいな筋肉ブレーキ
 四股の意味とは
 腰痛をネタに動作を工夫
第五章 身体内外の環境とストレス
 衣類と健康の関係について
 外反拇趾にも勘違いが!?
 心理的イライラと体感
 赤ちゃんがぐずる訳は?
 ちょうどよく、ふさわしいということ
 腹式呼吸の「順」「逆」二種
 リトマス試験紙にならないこと
第六章 古武術健康法
 膝を痛めない足さばき
 自己流、肩凝りの治し方
 腰痛の改善をあきらめない
 最近の気づき―足と腰のつながり
 外反拇趾、O脚にも五本の軸
第七章 新境地を得る心の持ちよう
 「脱皮する」とはどういう意味か
 刺さり過ぎる「病」、書けてしまう「病」
 手裏剣教室
 教えることの醍醐味
 「目から鱗」を取り続ける
本書の帯には、女性ながら武道袴姿で木刀を構えている著者の写真がある。正直に告白すると、この凛々しい著者の写真がなければ、私は本書を手に取っていなかったに違いない。

それはともかく、著者は実は私と同年生まれ。京都大学経済学部を卒業し、数年間の会社勤めを経た後に、時代小説作家に転じたという才媛である。剣豪小説を書くうちに、柳生新陰流を習ったり手裏剣術に熱中したりした(いや、今もしている)経験から、そこでの発見を記したものである。

「古武術」というタイトルからは、身体の動かし方についての秘伝を期待してしまう。確かに、そうした記述もある。しかし、それだけにはとどまらなかった。
身体をうまく動かすためには、身体感覚を静かに研ぎ澄ますことが不可欠らしい。いわば、動と静の双方が必要なのである。さらに、身体の動静は、心の動静と密接にかかわっている。執着心があると身体の動きも固定して伸びなくなるというような、身体の動きと同様に心のありようについても、示唆に満ちている。以上は個人の内面に属する指摘であるが、「個人と個人の関係」あるいは「個人と環境との関係」に関しても多くの言及がある。

このように、古武術は、実にさまざまな「理論」を内に含むものらしい。
とは言え、そうした理論は、何かの教典のように、必ずしも文字化されていない。身体の動きや感覚などは文字で伝えきれるものではなく、弟子の実際の様子を見ながら、その理解度に応じて、経験豊富な師匠が口伝によって指導していくことになる。

うーむ。奥が深い。
その奥の深さの一端を、本書は示してくれるはずである。

私にとってとりわけ興味深かったのは、やはり学習とか教育といった側面であろう。
著者は単に教えを受けるだけではなく、自ら教室を開いて初心者を指導したりしているが、そのくだりから一部を引用しておく。
 「習うこと」「自ら工夫すること」「教えること」―この循環を、総合的に行うと、稽古は加速するようである。自らが主宰する稽古会をもつとき、一方通行で教えるだけか、自分の研究にも役立てるかで、長年のうちに大きな差が出そうだ。
 講師としてやっていると弊害もあり、ついつい先生などといって立てられることに安住したり、逆に、実力を見せなければとプレッシャーを感じたりして、心が不自由になりやすい。だが、考えてみれば、受講者に何かヒントを提供できたり、本人の技が伸びたりすればよいだけで、別に絶対的な上下関係を築く必要もないし、完全な技を商品のように売る必要もない。完全な技などこの世に存在するとはまず思えないし、そういうものを求めて、自分の芸の落ち着き先を探すと、たいていは視野が狭くなり、稽古は滞るようだ。<p.194>
ともあれ、本書は身体と心を健康に保つためのヒントが多く、日常生活のあらゆる場面で応用できそうな含蓄に富んでいる。そういうことに興味のある人には、ぜひ一読を勧めたい。





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Last updated  2008.03.17 06:30:51



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