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カテゴリ:日本語教育
大学通りのソメイヨシノが、ほぼ満開を迎えている。以下の画像は今日の昼過ぎに撮影したものである。
![]() ![]() とは言え、オオシマザクラは5~7分咲き、ヤマザクラはまだ咲き始めといったところである。同じ通りにある桜でも、種類によって咲き方に差があるらしい。 それにしても・・・この桜並木のおかげで、大学通りは大混雑。 歩道を自転車で走行する者もいれば、自転車道を歩く歩行者もいる。行政による交通案内表示が不親切である(こんなところにこまごまとした文章で書いてあっても、自転車に乗っていたら見えないぞ! みたいな)ことも大きな原因の一つではあるが、桜の花を見に来る者も最低限の交通マナーはわきまえてほしいものである。 そう言えば、駅のホームでぼーっとしていたときに、ツバメが飛んでいるのを見た。季節はすっかり春である。ちなみに、今日の天気は晴れのち曇り。三多摩の府中のアメダスによれば、日最低気温は2.9℃(05:00)、日最高気温は16.5℃(13:34)であった。 さて、今日は、日本語教育学会の公開シンポジウム「生活者としての外国人に対する実践的な日本語教育の研究開発」が、東京都千代田区にある法政大学市ケ谷キャンパスで開催された。そこで、今日の記事では、その状況などを簡単に記してみよう。 この公開シンポジウムは、社団法人日本語教育学会が2007年10月1日に7,525,750円で文化庁から委嘱された事業に関して、半年間の進捗状況などを報告しつつ、今後の展望についての認識と議論を深めていくために開催されたものである。 フロアの参加者は、ざっと100名程度であろうか。400名収容(?)の教室には空席が目立った。 私は常々、言語教育学には(経済学のように)「マクロ言語教育学」と「ミクロ言語教育学」があると思っていた。後者のミクロ言語教育学は、シラバス(何を教えるか)・教授法(どう教えるか)・教材教具(何で教えるか)などのように、教室の内部で、学習者と教師の2項間だけで完結しうるものである。それに対して前者のマクロ言語教育学は、教室内の活動にとどまらず、学習者にしても教師にしても、日常的な生活の場としての家庭・職場・地域や、研究者・行政といった、教室外の存在との接点(役割分担もしく連携・協働)を視野に入れるものである。 今までの言語教育学はミクロ言語教育学ばかりに偏ってきたけれども、そうした学問手法には限界も見えつつあった。その一方で、マクロ言語教育学の研究成果が徐々に蓄積してくる中で、それがミクロ言語教育学にもフィードバックされるようになってきた。その結果として、「生活日本語」のようなものが注目され始めているのではないか・・・と、私個人は考えている。 そのような背景はさておき、今日の公開シンポジウムでは、いろいろと考えさせられることが多かった。 1)ゼロ・レベルからの初期日本語教育は、誰が担うべきか。 ところで、大学院のゼミで週1回程度お目にかかる先輩に、この会場で休憩時間に遭遇した。 私 「あ、どーも」と、なぜか名刺交換をするはめに。 私 「古い肩書きですけど、住所は当面そのままですので」みたいな、微妙な談話を展開してしまった。 まあ、この業界で人脈を形成しておくことは、決して損にはなるまい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.30 17:46:59
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