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カテゴリ:後日談
半年間、私の職場で日本語などの研修を受けてきた学生たちが、ついに退所の日を迎えた。
私自身にとっては4回目(担任クラスを持つようになってからは3回目)の別れである。 退所する修了生の中には飛行機や新幹線で新天地に向かう人たちもいて、一番早い家族は新所沢駅始発07時23分の電車で旅立っていった。われわれ講師は駅で見送った。 その後、自治体が用意した送迎車で旅立つ修了生を見送るため、われわれは宿舎に移動。 私はクラスの学生たちの部屋を訪問し、私の連絡先を記したメモを渡しながら、軽く歓談した。 やがて身元引受人や自治体の職員らが次々と到着し、退所の手続きが始まったので、宿舎の玄関の近くにみんなで集まって、最後の別れを惜しんでいたら・・・そこに某テレビ局の取材班が出現した。 個人情報に抵触する恐れから、これまではブログでの記述を意識的に避けてきたのであるが、どうやら書かざるを得ないようである。 実は、学生たちの中には、日本に来る前から継続的な取材を受けてきた家族がいた。 その波乱に満ちた一家の軌跡を紹介するドキュメンタリーは昨年11月に放送されているが、番組自体は「昨年8月に成田空港に到着した場面」で終わっていて、その続き(つまり、日本に来てからの様子)は今年の6月ごろに放送する予定らしい。 というわけで、昨年10月2日(金)には研修施設にも取材班が入って、授業の様子などが撮影された。本当はこの1月にも取材の申し入れがあったけれども、そのときはクラスのほかの学生たちがなぜか同意しなかったため、再度の授業の撮影は実現しなかった。 しかし、先週の修了式の際には、NHKさいたま放送局とは別に、この取材班も撮影していたのである。このとき、私と取材班との間で、次のようなやり取りが交わされた。 取材班のスタッフ同士が、ひそひそと話している。修了式を撮影した後は、機材を本人の部屋に移して、いろいろとインタビューをしたらしい。 で、この取材班が、彼らの退所の様子を撮影するために、3日ぶりに宿舎にやって来たのである。 幸か不幸か、この取材対象の夫婦は、どちらも私が担任であった。 学生が「これが私の先生です」と紹介したことから、私自身も簡単なインタビューを受けるはめになってしまった・・・。 この日の私は自宅を出るのが朝早かったこともあり、取材班は来ないと思っていたので、服装や髪型などにほとんど気を遣っていなかった。 ちょっと後悔しつつも、学生とのツーショットで、カメラの前に立つことになった。 インタビューの後で、「クラスの担任がとてもいい先生だった、と●●さんが言っていましたよ」と、取材班スタッフの1人から声をかけられた。名刺を交換すると、先方の肩書きは番組制作会社の「取締役/プロデューサー」となっていた。なるほど、その肩書きであれば、修了式の席を変えたくなるのも道理である。 ん? ちょっと待った。 この学生は、インタビューで、担任の私を一体どのように評したのか??? きっと、こちらが恥ずかしくなるくらいに、持ち上げてくれたのであろう。 ちなみに、クラスの学生たちが担任を高く評価してくれていることは、私自身も聞いている。 10月23日(金)の小手指、10月30日(金)の池袋、12月17日(木)の新宿、といったクラス単位の外実習に対する満足度が高かった。が、とりわけ彼らを感激させたのは、全クラス合同で富士・箱根・伊豆方面を周遊する国立公園地域体験実習などに際して、行程の詳細や地図を記したプリントを配布したことであるらしい。旅行や地理ネタが好きな私としては、ある種の道楽としてプリントを作成したのであるが、ほかのクラスではそうした形での情報提供がほとんどなかっただけに、「俺らの担任はこんなサービスをしてくれる!」と、クラスの学生たちにとっては、自慢のタネであったようである。 ![]() ![]() このような経緯もあって、昨年12月には私のクラスの学生から「感謝信」(要するに感謝状)をもらったりもした。 なにやら「思い出話」めいてきたので、時間軸を今日に戻そう。 ともあれ、次々に退所していく修了生の車を見送ってから、11時過ぎに研修施設へと戻った。 午後からは、次の期の学生を受け入れるための打ち合わせ(事務の引き継ぎ)と、今期の各クラスの運営などについての反省会が行われた。 うーむ。それにしても。 授業はないとはいえ、妙な仕事が山積みで、今週はまだまだ忙しいらしい・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.01.30 10:47:07
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