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カテゴリ:後日談
前回の記事では、私の担任クラスでの「騒動」の、第1日の様子について述べた。
今回は、「第2日」以降の展開について述べよう。 第2日。4月27日(火)。 B家の第1世代の2人が、28日(水)までの2日間、欠席することになった。30日(金)は休講のため、結果として連休明けの5月6日(木)まで授業に出ないことになる。 なお、欠席の理由は、持病のある一方が「高血圧・めまい」、もう一方が「その看病」とのことであった。昨日の昼になじられたとき、反論して事を荒立てた自分の配偶者に対しても腹を立てたという報告も聞いている。血圧が上がるのも無理はなかろう。 これを受けて、所長と総務課医療班との間で、やりとりがあったらしい。 総務課医療班は時として、事実を大げさに誇張して伝える傾向がある。が、着任して間もない所長は(この現場に長年いたにもかかわらず)そうした言動には不慣れで、「高齢者の持病は深刻な状態」という言葉を真に受けてしまったようである。 午後になって、所長がついに重い腰を上げ、鶴の一声を発した。 持病を抱える高齢者に万一のことがあってはならない。うーむ、そう来たか・・・。 もはやクラス替えを実施してもしなくても、万一のことがあれば彼女の責任にされるのは必至であろう。というより、万一の場合に「何もしなかった」と批判されて首が飛ぶのを恐れた所長が、自己防衛のために決断したのでは・・・と、私は勘ぐってしまった。 以前の記事でも述べたように、私の判断としては、彼女は上のクラスに移ってやっていけるほどの実力を有していない。ゆえに個人的には反対であったが、「健康第一」という大義名分には従わざるを得なかった。 こうして、あっけなく前言を翻し、方針転換へと動き出す。 渦中の本人を乙クラスに移すにあたっては補習体制を組む必要があり、比較的余裕のある先生なども動員することが決まった。全くもって、人使いの荒い職場である。 連休明けに気分を一新するためには、連休に入る前に決着を図っておく必要があった。 そこで、本人への説得工作は、翌日の早い時間帯から始めることにした。 第3日。4月28日(水)。 朝、方針転換を伴うため担任ではなく上司+通訳が、本人(A2b)とその夫(A2a)に説明。 しかしながら、その場ですぐには結論が出ず、すべての授業が終わった午後に改めて回答してもらうことになった。 そして午後、本人たちが下した結論は「NO」。 乙クラスに移ったら学習についていけなくなるし、それを見たB家が笑うに違いない、と。 以前の豪語はどこへ? と疑いたくなるが、この背景には、家族間の根深い対立に加えて、「不満があるなら面と向かって直接言えばいいのに、陰でこそこそ言うのは道義に反する」という怒りがあり、「連中の言いなりにはならない」との強い決意が見え隠れしていた。 上司たちは「今のクラスでは居心地が悪いのでは?」と説得工作を続けたらしいが、どのクラスにいても居心地が悪いのは同じで、もはやそんな空疎な言葉で本人の気持ちが動くはずもなかった。とはいえ、本人の夫は「われわれの主張はこうであるが、先生方が全体を見たうえで判断すれば、それに従う」と、一応は下駄を預ける形となった。 一方、B家の第1世代の健康状態は、昨日よりは落ち着いてきたらしい。 所長もようやく事情が理解できたのか、現場の中間管理職に判断を任せることになった。 結局、上司たちは「彼女を動かすのは無理」との結論に達した。 振り出しに戻る・・・といった感じであろうか。 ただ、そうなった場合、B家やC家は黙っていまい。 上司たちは夕方に宿舎に赴き、要望書に記名した5人に対して、「クラス替えはしない」という再度の説明に乗り出した。 ところが・・・上司たちが職場に戻ったのは、およそ2時間後。 学生たちの説得に失敗し、当面の対応として、予想外の「お土産」を持って帰ってきたのである。 1)丙クラスは第1世代と第2世代に分割する。いやはや・・・タフな交渉に臨んだ上司たちには頭が下がる。けれども、これはクラス編成の時点で教員の配置をケチったことも一つの遠因であって、ある意味では「自業自得」とも言える。 ともあれ、余計な仕事が増えた担任の私としては、「貧乏くじ」以外の何物でもなかろう。 来週以降の分割クラスをどう運営していくか。それが問題である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.05.03 10:47:47
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