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カテゴリ:後日談
まず、話は5月21日(金)に遡る。
この日はニューズレターの原稿の締め切り日であった。私自身は前日およびその前日に睡眠時間を削って自宅でどうにか書き上げたので、この日の朝に提出した。 しかし、とある書籍を紹介する記事については、編集長からダメ出しを食らい、出版社に事実関係を確認する必要が生じた。私には一体いつ、そんなヒマがあるというのか・・・。 夕方になり、職場の上司たちが長い会議でまだ戻ってこない中で終業時刻を過ぎ、講師が次々に退勤していく。しかし、何かとトラブルを抱える3クラスの担任は、残業モードに突入していた。 私を含むこの3人は、とあるプロジェクトチームのメンバーであったが、プロジェクトが予定通りに進捗していないことに関して、「クラスがこんな状況では、とてもではないが、プロジェクトをやっている余裕はない」という見解で一致し、近いうちに上申することになった。 で、そのときに、「明日と明後日は、みなさん早稲田(大学で開催される、日本語教育学会の春季大会)に行くんですか」という話になった。早稲田大学大学院日本語教育研究科出身の同僚は「行かなきゃ破門される」とのことであった。 ここしばらくタイトなスケジュールをこなしてきたので、正直なところ、土日はだららんと過ごしたかった。 とはいえ、かつての学友(の出世頭)が学会で発表することもあり、それは見ておきたい気もしていたし、そのほかにも個人的に興味深い発表がいくつかあった。また、ニューズレターの記事で取り扱う出版社が学会に来ることも知っていたので、そこで取材できれば一石二鳥となる。 というわけで、大会1日目の5月22日(土)は、昼前に自宅を出発。 途中、新宿で下車して、昼食を取ったり買い物をしたりしながら、早稲田へと足を運んだ。 会場に到着すると、最初のパネルセッションが既に始まっていた。 国際会議場3階にある第2会場と第3会場は、満席を通り越して多数の立ち見でいっぱいになるほど、大盛況であった。 では、どうするか・・・と考え、まずは出版社への取材を試みることにした。 出版社のブースは目立つ場所にあったので、すぐに見つかった。ホームページのプリントアウトを提示しながらインタビューを開始すると、的確な答えが素早く返ってきた。 こうして、用事を一つ片付けてしまった。実にあっけない。 再び会場を覗き込むと、相変わらずの混雑ぶりであった。が・・・会場の入り口で、次に発表するかつての学友にばったり遭遇。中には入れそうもなかったので、「頑張ってね」と一声かけて、私はその場を後にした。 もはや3階に座れる場所はない。どこかで時間をつぶそう・・・と思って、1階へ移動。 第1会場の井深大記念ホールにはまだ空席があったので、そこでパネルセッションを拝聴することにした。 「移動する子どもたち」のことばの学びをどう支えるかエジプトで生まれた後、両親に連れられて来日し、名古屋で育ったというフィフィ氏(タレント)のユーモアあふれる経験談が興味深かった。また、インタビュー調査や親としての経験談などを通じて、さまざまなケースが紹介された。 で、久々に私の眼を開かせたのは、次のような指摘であった。 「日本人=日本国民=日本民族=日本語話者」という図式(幻想)を共有する日本社会では、「日本語話者になること」は「日本民族に同化すること」と同義であり、こうした集団規範からの逸脱は許されない。その結果、多様な日本語を認めない言語純化主義も手伝って、日本語学習者には無言の同化圧力が働くことになる。 たとえば英語は、地域差や個人差が大きく、多様な言語形態(なまり)があるけれども、そういう多様さを容認する度量こそが、諸言語の中でグローバル・スタンダードとしての地位をもたらしているのかもしれない。 それに対して、「正しい」とか「間違っている」とかにこだわる日本語って・・・出る杭を打ってよそ者を排除したがる島国根性の所産であろうが、少なくとも言語教師には「自戒」が求められるはずである。 一度座席を確保してしまうと、その後の移動が面倒になる。 次のパネルセッションも個人的には関心のあるテーマであったため、そのまま同じ会場に居座ることにした。 日本語教育における教師研修のあり方を再考する義務教育未修了者に学習の機会を与える夜間中学校や、EPAで介護福祉士候補者を受け入れる老人福祉施設といった、日本語教育のノウハウを必要とする現場からの報告を受けて、学会(の教師研修委員会)として何ができるのかを考える・・・という内容であった。 衝撃的(笑劇的?)であったのは、紹介されたNHK青森放送局のニュース映像。 青森県内のとある施設では、受け入れているインドネシア人介護福祉士候補生に対する日本語教育のノウハウが全く分からず、中学校で国語を教えていたという元教員をボランティアで登用していたが・・・「清少納言は名探偵」などという、学習ニーズにはまるでマッチしそうもない文章を音読させていたのである(絶句)。 このEPAスキームには言語教育の面で制度設計上の重大な欠陥があることを示す逸話ではあるが、その一方で日本語教育業界が社会の中でいかに認知されていないかという事実にショックを覚えた次第であった。 話題がやや脱線するのをお許しいただきたいが、私自身は学会員ではない。 というのも、年会費10,000円+大会参加費(会員)4,000円と、高額な出費を強いられるからである。まあ大して高額ではないけれども、日本語教育に携わる人々の中には無報酬のボランティアなども少なくないのに、そうした立場を一顧だにしない高飛車な態度が気に食わない・・・というのが真相であろうか。 「象牙の塔」と揶揄される学問の世界(官僚的な高等教育機関)が今一つ好きになれず、博士後期課程への進学を選択しなかった私自身にとって、日本語教育学会はまさに権化のような存在であった。 ところが、最近では日本語教育振興法法制化WGの動きに見られるように、現実社会との接点を模索する方向へと、学会の中でも風向きが変わってきたような印象を受ける。 このパネルセッションも、私のそんな印象を強化することになった。 学会に求められるのは、「日本語教育のニーズがある現場」と「政策・制度の設計者」の双方に対して、具体的なソリューション(解決方法)を提案していくことではないか、などと思ったりもした。現場に対しては、どのような教授法・教材教具・カリキュラムが最適かを分析して、アドバイスやコーディネートを行うこと。他方、制度設計にかかわる部署に対しては、現行制度の問題点を指摘しながら、望ましい手法を提言していくこと。 ともすれば予算配分や人的措置を要求するだけの「クレクレタコラ」運動に陥りかねないけれども、「専門家集団」であればこそ、問題解決に向けての具体的な示唆ができるようになりたいものである。 結局、かつての学友の発表は、見ないまま終わってしまった。 が、個人的には、得るものが大きかったようである。 で、この日は、Amazonからの荷物を自宅で受け取る必要から、あらゆる誘惑を断ち切って直帰した。私が自宅に到着してから、ヤマト運輸が玄関に現れるまで、わずか5分間しかなく、手に汗を握るギリギリのサスペンス・ドラマ(?)を味わうことになった。 なお、大会2日目の5月23日(日)は・・・もはや気力と体力を使い果たしていたので、翌日以降の職務に備えて、自宅でゆっくり休養することにした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.05.24 22:06:13
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