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カテゴリ:後日談
昨夜は21時ごろに就寝し、今朝は00時50分にいったん目が覚めた。
ふと携帯電話を見ると、何やら点滅している。Eメールを2件受信していたことに気づく。 1件目は、実家の姉から。 明日から2泊3日で北海道へ行くので、実家を留守にするとのこと。 ああ、姉は父が70歳の古希を迎える機会に、両親に旅行をプレゼントするって言っていたっけ。いいなぁ・・・。 2件目は、かつて編入学した大学(2001年4月~2003年3月)の同期生から。 研究室の恩師が9月28日に海外派遣留学へ出発するので、その前に飲み会を開催したいとのこと。 日程は先生の都合により9月18日(土)・・・って、白銀週間の初日ではないか! 連休なら、もっと別の使い道があるのでは? (とはいえ、今年は「塾」の最終回が近いため、どこかへ旅行に出かけるのは難しいと予想されるけれども。) うーむ。回答はしばらく保留させてもらおう。 それから、いろいろと考え事などをした後で、05時30分ごろから仮眠。 30分程度で意識を回復させるつもりであったが、起床したのは06時50分であった・・・。 急いでシャワーを浴びて、髭を剃り、朝食を取ってから、08時15分ごろに自宅を出発。 国立からJR中央線で吉祥寺に出て、京王井の頭線で渋谷を経て、さらに東急田園都市線で三軒茶屋へ。 09時45分ごろ、昭和女子大学に到着。 大学の入り口では、警備員に行く手を遮られ「どちらへ行かれますか」と声をかけられる。女子大に男が入り込むのであるから、このご時世では無理からぬ対応であろう。が、私が「文化庁の日本語教育大会です」と答えると、サッと通してくださった。 さて、今朝は自宅で朝食を取ったころから、腹部に妙な痛みを覚えていた。当初は胃痛かとも思ったが、ちょっと違う感じであった。やがて、例の尿路結石の痛みのうちの、「腎臓が圧迫を受けることによる激痛」の始まりであるような気がしてきたので、大学のトイレでひとまず坐薬を使用して、様子を見ることにした。 何はともあれ、文化庁日本語教育大会である。 これは毎年この時期に開催される恒例のイベントで、8月10日(火)の記事で紹介したように、私自身はニューズレターの記事の取材のために職場から派遣されたのであった。 ![]() プログラムとしては、次の通りである。 10:00~10:05 開会あいさつ(文化庁文化部長)聴衆の主たる関心は当然ながら「標準的なカリキュラム案」にあったようで、午後の前半が最も混雑していた。まあ確かに、この話が一番お勉強になったのは事実である。日本語教育事業の事例報告などは、研究者というよりは現場の実践者による発表であったせいか、少々こなれていない印象を受けたりもした。 ただ、個人的には午前の特別講演もそれなりに興味深かったので、ここではそちらを紹介しておきたい。講演者は、羽衣国際大学准教授のJ.A.T.D.にしゃんた氏。スリランカ出身で、母語はシンハラ語。1987年に来日。京都YMCAで日本語を学んでから立命館大学に入学。本当は学部4年で就職したかったが「国籍条項」の壁に阻まれ、やむなく進学して経済学博士号を取得。2年前に結婚し、妻は福井出身の日本人。 ネイティブ並みの日本語を関西で身につけただけのことはあって(?)、ユーモアに富んだ話術が実に魅力的。多文化共生にかかわる小ネタを連発する様子は、『ダーリンは外国人』や『日本人の知らない日本語』に通じるものがあった。 以下、講演の中で私の印象に残ったことを、いくつか記してみよう。 ●居酒屋などで「日本語うまいね」「箸の使い方うまいね」と言われることがよくあるが、それは文字通りの意味ではなくて、「あなたと話したい」という信号。 ![]() ところで、私自身の体調については、相変わらず冴えなかった。坐薬を使用したとはいえ、激痛がわずかに残っていたのである。ゆえに、昼休みは、食事を取りたいという気分にはならず、座席を離れることなく軽く仮眠を取ったりして過ごした。 この日は夕方から永田町で「塾」および分科会の打ち合わせが予定されていたが、出席を断念。欠席する旨の携帯メールを送信し、大学近くの味噌ラーメン専門店「味噌一」三軒茶屋店で冷しぶっかけ味噌らーめんを食べてから、直帰した次第であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.08.29 16:16:48
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