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カテゴリ:後日談
11月16日(火)。
昨夜の雨は既に上がり、朝から日が差した。三多摩の府中のアメダスによれば、朝の最低気温は3.3℃、日中の最高気温は12.5℃。かなり冷え込んだので、コートを羽織って出勤。 職場では、授業2コマを担当したほか、11月8日(月)以来の、物品を1階から2階へと運ぶ作業などに従事した。この日の作業で、1階の資料室はすっかりガラ空きとなった。今まで収集してきた図書・雑誌・諸機関の紀要などの資料はすべて2階の空き教室に搬入したが、移設に多大な労力を要する書棚の一部はひとまず1階の通路などに並べて仮置きされた。 11月17日(水)。 曇り時々小雨。三多摩の府中のアメダスによれば、最低気温は7.4℃とさほどではないものの、日中の最高気温が8.7℃までしか上がらず、肌寒い一日となった。 職場では、授業1コマを担当したほか、旧資料室を一般教室に復元すべく、コルクマットの敷設などに従事した。その敷き詰め作業はすぐに終わったが・・・今までは書棚の陰に隠れていて気づかなかったけれども、壁の汚れが予想以上にひどく、素人が雑巾で擦った程度では落ちないという事実が発覚。そこで、2階の使用中の教室(=新資料室となる予定)は当面「教室」として維持することが決まり、その黒板を1階の旧資料室に運び込む作業は中止された。私は11月8日(月)の記事で、 どうしてこのタイミングで作業する必要があるのか。計画性のカケラも感じられず、単なる思いつきとしか思えない。まっこと、ワケが分からんぜよ。と書いたが、まさにその通りの展開となり、自分でも苦笑せざるを得なかった。 職場に1通のハガキが届いていた。10月29日(金)に返信した教え子からの再返信であった。以下、原文をそのまま引用する。 せんせいこんにちは,お元気ですか清濁の区別などは相変わらず困難である。言いたいことはおおむね理解できるとはいえ、(相手が日本語のド初級である、という属人的文脈を忘れて)文面だけを読むと「上から目線」の表現が多く、儒教的な教育文化にどっぷり染まった教師には腹立たしく感じられるかもしれない。 しかし、問題は・・・日本語の表現というよりも、むしろ別のところにあった。ハガキのおもて面は、上1/4に宛て先(私の郵便番号・住所・氏名)、下3/4に上述の本文と差出人の氏名・郵便番号・日付。そして広々とした裏面には、差出人の住所のみが記されていたのである。教え子の故国では、こういう書き方をするのであろうか??? 職場から帰宅すると、自宅にも1通のハガキが届いていた。11月5日(金)に届いて以来の、国庫金振込通知書である。今回は文化庁の「出席旅費」3件であるが、今一つ理解しかねる点があるので、以下に主要部分のみを転記してみよう。 上から順に、9月28日(火)10時からのWG、10月4日(月)10時からの説明会、10月26日(火)14時からの小委員会をそれぞれ指しているものと思われる。が、その間の10月18日(月)15時30分からのWGが飛ばされている上に、WGと小委員会の「550円」の格差って何? まあ確かに、座席の配置からして両者に格差があるのは否定できないけれども、それはあくまで「謝金」の問題であって、「旅費」そのものが変動するわけではあるまい。うーむ、よく分からない・・・。 11月18日(木)。 職場では、1階の通路などに放置された書棚を見た所長が、朝からお冠であった。いわく、明日は学生の故国の政府の担当官が来訪するし、再来週には我が国の厚生労働省の担当者も視察に来る。そんなときに、この有様ではみっともない、という主張であった。 ああ、それで急いでいたのか・・・と、いまさらながら私は納得したのであるが、そうであれば作業の期限と理由(そもそもの目的)を明確に提示すべきであった。所長から中間管理職には提示していたのかもしれないが、現場の「兵隊」にまで情報共有が徹底されていなかったせいもあって、積極的な問題解決を図ろうとする動きに結びつかなかったのである。まさに「動機づけの失敗」と言えよう。日本語教師なら、こういうミスを犯してはならない。 とはいえ、中間管理職の1人が「そんなことを言っても、人(労働力)の割り当ては容易でない」と、縄張り主義を前面に掲げて反発。所長も強く主張しなかったので、うやむやになってしまった・・・。 波頭亮(2010/06)は、 官僚機構とは変化を排除しようとする本能と肥大化しようとする本能を持つものである。(p.183)と書いているが、役所的な組織・団体(あるいは人物)が最大の抵抗勢力となる事例の一つとして、上のエピソードを指摘しておきたい。 午後は、10月7日(木)以来となる今期3回目の交流実習を実施。もっとも、今回は「日本語交流会」ではなく「学生の母語による交流会」で、ゲストの顔ぶれが前回とは異なり、学生の母語を学習している日本人が参加した。普段の力関係では(日本語が上手でない)学生のほうが下になるが、今回は(学生の母語が上手とは限らない)ゲストのほうが下になる。そうした場合にどうやってコミュニケーションを展開するか、学生にもゲストにもそれなりの工夫が求められるわけである。 この交流実習が終わった後でゲストだけ残ってもらい、感想を尋ねる機会があった。そこで、 ゲストA: 「参加して毎回思うんだけど、特に若い世代は、故国でいい暮らしをしているのに、なんでわざわざそれを投げ捨てて日本に来るんだろう。いつも、それが分からない。」といったやりとりがあった。いろいろと考えさせられるコメントである。 夜。仕事が終わってから、都内某所で「塾」の有志の打ち合わせに参加。今回はかつての分科会メンバーのみが出席し、分科会の残務(?)の進め方について意見を交換。それぞれ多忙なので、締め切りを先延ばしする方向で調整が図られた。 11月19日(金)。 50歳以下の学生は「職業訓練校見学」のため通常の授業がなく、今日は高齢者クラスのみである。そんな中で、学生の故国の政府の担当官が、昼前に職場に来訪。この一行の中に、来期(つまり、2か月後に)入所予定の一時帰国者が含まれている・・・と、当日になって急に連絡があった。たまたま私は高齢者クラスのその時間の授業コマを担当していたので、視察が入ることは覚悟していたけれども、将来の学生が来ると知って俄然やる気になり(?)、新たにフラッシュカードを作成するなど授業の質を高める準備をしておいた。それほど気合いが入っていたせいか、担当官の1人が授業の様子を写真撮影した際に、思わず「カメラ目線」になってしまったような気もする・・・。 1階の通路などに放置された書棚に関して、今度は総務課から「非常口付近を塞ぐのは防災上問題があり、消防署に指導を受けかねない」とクレームがついた。実は私も同じことを危惧していた。大学生のときに某百貨店でアルバイトをしていて、消防署の査察が入る前に非常階段などに置かれた物品を一時的に撤去するという、その場しのぎの経験があったからである。 結局、書棚も2階(の通路)に移すことになり、手分けして午後はその作業に従事した。まったく、この職場には、計画性というものが皆無なのか・・・。 そのほかに午後は、来週の時間割を作成して教案を準備したり、スクーリング講師研修会の残務処理をしたり、文化庁の「宿題」をメールで受け取ったりして、何かと慌ただしく過ごした。 夜。前回の記事で触れたように、本郷三丁目の本格ベトナム料理店で「同期会」を開催。 美味しい料理に舌鼓を打ちながら、さまざまな話題に花を咲かせた。その中で、今日職場に来た某国政府の担当官が、明日は都内の通信教育スクーリング施設を視察に訪れることが判明。この一行は秋葉原や御殿場(のアウトレット)にも立ち寄るとのことで、元同僚は「一体、何しに来てるんだよ」と、半ばあきれ顔で語っていた。 うーむ。向こう側の要求なのか、こちら側の思いやりなのか、共犯関係なのか、判断材料がないので何とも言えないけれども・・・両国とも「役人天国」であることを考えれば、一種の「官官接待」なのかもしれない。 なお、逆説的な余談ではあるが、この両国が「官僚主導」の体制を維持する限り、両国間の紛争は回避されるに違いない。両国は国民がまともな政治教育を受けていない点で共通しているので、メディアが短絡的なナショナリズムを煽るなど、何らかのヒステリー状態に陥って官僚が事態をコントロールできなくなると、かえって紛争勃発の危険性は高まるであろう。 「官僚と国民の関係」を「親と子の関係」になぞらえれば、子(としての国民)が幼い間は親(としての官僚)が支配的にふるまうのはやむを得ないとしても、いつまでもそうであるわけではなく、やがて子は自立して親と対等の関係(パートナーシップ)を築くことになる。そのための準備が絶対に必要であり、官僚と国民の関係に戻して言えば、まともな政治教育を普及させ、中長期的に国民を自立させて官僚と対等な関係を築いていくべきである・・・と、私は思ってしまう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.11.21 05:05:19
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