|
カテゴリ:後日談
3月2日(水)の続き。
夜。20時から21時までNHKのBSプレミアムで放送された『英雄たちの選択』「戦国最弱?それとも最強?小田氏治の乱世サバイバル人生」を録画しておき、後日、自宅に帰ってから見る。 続いて、21時から21時50分までNHKのBS1で放送された『千鳥のスポーツ立志伝』「銀メダル&賞金女王 ゴルフ・稲見萌寧選手」を録画しておき、後日、自宅に帰ってから見る。 画像初出:2021年8月7日(土)の段 さらに、22時30分から23時15分までNHKの総合で放送された『歴史探偵』「天下統一 秀吉の一夜城」を録画しておき、後日、自宅に帰ってから見る。 また、スマートフォンのYouTubeであれこれ検索していたら、次の動画に遭遇する。記述の都合上、この日以前に見たものも合わせて掲げておく。 2022年3月3日 魚座新月 編 ~「魚座的アクション」で収入を引き寄せる~いずれも明日の未明02時35分ごろ魚座13度(数え)で起きる新月の話。 ちなみに私のネイタル・チャートでは、月が乙女座13度に、火星が射手座13度に、それぞれ位置している。ゆえにこの新月は180度(衝=オポジション)や90度(矩=スクエア)[つまり、これらでTスクエア]の角度を作ることから、私個人にとってはかなり強烈な影響(というか、刺激?)を及ぼす可能性もある。 あと、ネットサーフィンをしていて、こんな記事が私の目に留まる。 1)資産運用のポートフォリオ「コア・サテライト戦略」とは? 世界No.1投信評価会社のトップが教えるおすすめ上場投資信託コメントは省略。 3月3日(木)。 晴れ時々曇り。日立の日最低気温は2.3℃(06:27)、日最高気温は12.9℃(14:21)。また、相馬の日最低気温は-3.5℃(05:06)、日最高気温は11.0℃(09:55)。 昨日の夕方から、茨城県日立市に滞在していた。 当地の地名の由来に関しては2020年9月9日(水)の段でも記したが、改めて再掲しておくと、 この「日立」という地名は、当地を訪れた水戸藩2代藩主徳川光圀公が海から昇る朝日の美しさに「日の立ち昇るところ領内一」と称えた、という故事に由来するらしいという歴史的経緯を踏まえて、今回はわざわざ(?)日立駅から少し歩いた場所にある“オーシャンビュー”のホテルを選択した次第であった。 では・・・見せてもらおうか、“海から昇る朝日の美しさ”とやらを! 朝。通路から見える海側の景色と、部屋から見える山側の景色。うん、まあ、悪くはないかな。 さて。茨城県内での転居先候補地を探る旅の2日目である。今日はどこで何をするか・・・については、ざっくりとした旅行プランを事前にいくつか策定していて、1日目の視察結果に応じてさらに深掘りしてみたい場所へ赴くつもりでいた。もし見るべき箇所が多い場合は、どこかでもう1泊できるよう、中型スーツケース(シリウスブルー)には2泊3日分の用意を詰め込んでいた。とはいえ、昨日のあの朝日を見てしまったら、万一の事態に備えて早めに相馬の自宅へ帰還するしかあるまい。ゆえに延泊のオプションは見送って、今日の過ごし方を決めるだけであった。 で、昨日の段でも示唆した通り、あくまで個人的な印象点ではあるものの、 ◎茨城県立図書館のような結果になったため、本日は“茨城県立図書館へのアクセスが良好な場所”をさらに深掘りすべきであろうと考えた。ただ、繰り返しになるが、昨年3月27日(土)などの段でも言及してきたように、少なくとも「水戸市内」は私個人と今一つ“波長が合わない”と感じる。そこで、今回は「水戸市に近接する他の市町村」を見て回りたいと思う。 加えて言えば、未明に魚座新月を迎えたばかりのタイミングなので、“海”とか“川”とかに縁のある場所を訪れるのも一案かと。それなら、私の中では、もはや一択のみ。「ひたちなか市」である。 というわけで、前置きが長くなったけれども、今日の行程は以下の通り。 ホテル[朝食]昼前。ホテルをチェックアウト。 スーツケースを牽引しながら、日立駅へと向かう。 「青春18きっぷ」2回目に今日の日付を押印してもらい、日立駅の有人改札を通り抜ける。 高萩始発水戸行きの常磐線に乗車。って、昨日と全く同じ時刻の列車か。 勝田で下車し、改札外のコインロッカーにスーツケースを預ける。 すぐに改札内へと戻り、1番線ホーム手前にあるひたちなか海浜鉄道の有人改札(窓口)で「湊線1日フリー切符」を入手。 当駅始発阿字ヶ浦行きのひたちなか海浜鉄道湊線に乗る。この路線を利用するのは、2019年4月27日(土)に国営ひたち海浜公園を訪れたときに勝田から阿字ヶ浦まで全線を1往復して以来、ほぼ3年ぶりらしい。 終点の阿字ヶ浦で降りて、駅の周辺をチラッと眺めてから、折り返しの当駅始発勝田行きに再乗車。 1駅戻って、磯崎で下車。案内表示に従って、てくてく歩いていく。 駅から徒歩10分弱で、本日の第1チェックポイントである酒列磯前(さかつらいそさき)神社に到達。この神社は856(斉衡3)年の創建で、1702(元禄15)年に現在地に遷宮されたという。参道には樹齢300年超のヤブツバキ[ツバキ科ツバキ属]やタブノキ[クスノキ科タブノキ属]の古木が点在し、さらにオオバイボタ[モクセイ科イボタノキ属]・スダジイ[ブナ科シイ属]・ヒサカキ[ペンタフィラクス(サカキ)科ヒサカキ属]などの常緑広葉樹も生育しているとの由。海洋性気候のおかげで割と温暖なのか。何にせよ、見事な樹叢(じゅそう)であった。 参道の左手にある、海の見える鳥居。眼下には磯崎漁港、遥か彼方には茨城港(常陸那珂港区)付近の工場や発電所など。 少彦名命(すくなひこなのみこと)と大名持命(おおなもちのみこと)を祀る社殿(拝殿・本殿)の前で参拝。ご祭神の神徳が広くあまねく行き渡ることを通じて、当地のますますの安寧と繁栄を祈願した。 境内社、「幸運の亀」の石像、クスノキ[クスノキ科クスノキ属]と思しき大樹、御神輿が安置されている神楽殿、神馬舎などにもご挨拶。 その後。酒列磯前神社の境内から退出して、同じ道をたどって磯崎駅へと戻り、阿字ヶ浦始発勝田行きのひたちなか海浜鉄道湊線に乗る。 昼過ぎ。次は那珂湊で降りる。また案内表示に従って、てくてく歩いていく。 駅から徒歩15分ほどで、那珂湊漁港へとやってきた。 魚座新月にふさわしい(?)本日の第2チェックポイントは、漁港前に軒を連ねる那珂湊おさかな市場。海産物販売店の店先を“冷やかし”でぶらぶら見て回ると、「旬の真ガキ」「涸沼・宍道湖産のしじみ」「中国産 活あさり」などが並んでいた。ああ、時節柄「熊本産」などとは表示しにくいからね。元来は中国産であるとしても、この市場へ来る前は日本国内のどこかの干潟で“畜養”されていたはず。そうした流通のトレーサビリティをしっかりと確立できればいいのに。もっとも、既得権益を侵されて打撃を被る業者なども少なからずいるであろうが。 空腹を満たすべく、ここで昼食をとることにした。“地物”をいただくのは当然としても、“海鮮丼”よりは“にぎり”を頂戴したい気分であったため、海鮮すしの店に入って「那珂湊 浜の地魚にぎり」12貫(税込2,618円)を注文。地魚・冬魚が5貫、ほかに大とろ・うに・いくら・ふっくら穴子・生しらす・こぼれ中落ち・玉子。いやはや、めっちゃ美味しかった。久々(?)に極上の食事を堪能したぜよ。 その後。本日の第3チェックポイントである那珂川河口へと赴く。川を挟んだ対岸は大洗町で、アクアワールド茨城県大洗水族館などが目と鼻の先にあることも見て取れよう。 なお、私自身が「川」に並々ならぬ関心を有していることは1月7日(金)の段で長々と語った通りであるけれども、那珂川(150km)は利根川(322km)・鬼怒川(177km)・荒川(173km)に次ぐ関東第4[海に注ぐ川としては関東第3]の大河であり、しかもその源流は那須岳の山麓に発する。この川の上流部と下流部に所在する縁で、栃木県那須塩原市(旧・黒磯市)と茨城県ひたちなか市(旧・那珂湊市)は姉妹都市協定を締結していたりもする。
上のような背景事情から、今日は是非ともこの那珂川河口へ足を運びたかったのである。うん、滔々と流れる川のせせらぎに耳を傾けていると、心が静かに落ち着くとともに、水の大循環にも思いを馳せることができるね。 それから那珂湊駅へと戻る途中で、湊公園という案内表示が目に入る。立ち寄ってみるか。 海を見張る日和山の小高い丘の上に広がる平場には、かつて1698(元禄11)年に水戸藩第2代藩主・徳川光圀公が「夤賓閣(いひんかく)」なる別荘を建て、歴代の藩主らによって酒宴や詩歌の会が催されたという。ちなみに「夤賓」とは、中国の『尚書』堯典にある「夤賓日出・・・」[夤(つつ)しんで日出(ひい)づるを導(みちび)く]からとられたもので、“謹んで客を迎える応接所”の意味らしい。1864(元治元)年に天狗党による元治甲子の乱で焼失した後、その跡地が1897(明治30)年に「湊公園」として整備されたとの由。 続いて、その近くに鎮座する天満宮にも参拝する。ご祭神は言うまでもなく菅原道真公で、当社は鎌倉時代の創建と伝わる。 こうして1時間20分余りを経て那珂湊駅へと帰ってきて、待合室でしばらく待ってから、またもや阿字ヶ浦始発勝田行きのひたちなか海浜鉄道湊線に乗車。 紙幅の都合上、続きは次回の記事へ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.03.30 17:59:46
[後日談] カテゴリの最新記事
|