[BON VOYAGE+1951] 後日談/第3日前編。法隆寺&中宮寺へ。思惟男あをによし(?)。
9月21日(木)。曇り時々晴れ一時雷雨。奈良の日最高気温は32.0℃(15:42)、日最低気温は23.8℃(20:16)。また、水戸の日最低気温は21.9℃(04:37)、日最高気温は29.3℃(14:35)。「京奈阪神紀行」2泊3日の第3日すなわち最終日の朝を、近鉄奈良駅近くのホテルの部屋で迎えた。というわけで(?)、本日の行程は以下の通り。ホテル[軽食]近鉄奈良駅06:12→(奈良交通バス2系統、市内循環・外回り行き)→春日大社表参道06:16春日大社[参拝]春日大社表参道07:04→(奈良交通バス1系統、市内循環・内回り行き)→近鉄奈良駅07:09ホテル[朝食]奈良08:45→(JR関西本線大和路快速、天王寺行き)→法隆寺08:56/法隆寺駅09:12→(奈良交通バス72系統、法隆寺参道行き)→法隆寺参道09:20法隆寺[参拝]中宮寺[参拝]法隆寺前10:53→(奈良交通バス72系統、法隆寺駅行き)→法隆寺駅11:00/法隆寺11:11→(JR関西本線大和路快速、天王寺行き)→天王寺11:33韓国料理bibim' MIOプラザ店[昼食]四天王寺[参拝]近鉄百貨店あべのハルカス近鉄本店 大北海道展[軽食]天王寺15:20→(JR大阪環状線内回り普通、鶴橋・京橋方面行き)→大阪15:41/15:52→(JR東海道本線快速、網干行き)→三ノ宮16:19/三宮16:28→(神戸新交通ポートライナー普通、神戸空港行き)→神戸空港16:46たもん庵 神戸空港店[夕食]神戸空港19:20[1分早まり19:19発]→(SKY186、茨城空港行き)→茨城空港20:30[7分遅れて20:37着]/21:00→(関東鉄道バス、水戸駅南口行き)→水戸駅南口21:40明け方。05時から05時30分までNHKのBS1で放送された『Core Kyoto』「みそ~発酵が育む 古都の風味」を録画しておき、後日、自宅に帰ってから見る。朝。“朝飯前”(?)の散策を楽しむべく、身支度を整えて、ホテルの外へ。 近鉄奈良駅のバスのりばから、市内循環・外回り行きの奈良交通バス2系統に乗る。春日大社表参道でバスを降りる。 バス停のすぐ目の前には「飛火野」と呼ばれる芝生の原が広がる。私個人としては、2008年1~3月にTVドラマ化された『鹿男あをによし』の数々の場面を思い出してしまうよ。鹿に話し掛けられたりして?そう言えば、昨日も移動中に感じたけれども・・・京都盆地や奈良盆地の東方にそびえる山々が、今朝も少し霞んで見える。湿度が高いのかな? 案内板の前に鎮座する鹿が“門番”っぽい(?)。また、鬱蒼とした林の中には鹿の群れがたむろしていた。何にせよ、本日の第1チェックポイントである春日大社へ向かって、やや上り坂の参道を進んでいく。 二之鳥居、祓戸神社、慶賀門、西回廊、榎本神社、南門、砂ずりの藤などを見て回りながら、幣殿・舞殿の前で参拝。 内侍門から下った場所には、「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 御蓋の山に いでし月かも」の歌碑がある。当地から遣唐留学生として海を渡り、現地で朝廷に仕えて要職を歴任した後、日本へ帰る途中の蘇州で阿倍仲麻呂が詠んだ歌。ところが船が難破して安南に漂着し、結局帰国できないまま長安で客死するとは・・・さぞ無念であったろう。その“望郷の思い”に、ちょっとしみじみしてしまう。 それから総宮神社や一言主神社などにもご挨拶を申し上げる。 そして再び春日大社表参道に戻り、市内循環・内回り行きの奈良交通バス1系統に乗車して近鉄奈良駅で下車。すぐにホテルの部屋へ帰って、NHKのBSプレミアムで放送された連続テレビ小説『あまちゃん』(148)「おらたち、いつでも夢を」を部屋のテレビで見る。 次はホテル内のカフェスペースに赴き、朝食をとる。このホテルを営むのは地元の老舗パン屋なので、モーニングセットは「トースト(トッピングはバター・たまご・あずき・ジャムから選ぶ)+サラダ+ドリンク(ホットコーヒー・アメリカン・アイスコーヒー・エスプレッソ・ホットミルク・アイスミルク・オレンジジュース・アップルジュース・コーラから選ぶ)」のみ。私のチョイスは「あずき」と「アイスコーヒー」。うん、いかにも関西っぽい厚切りのトーストと小豆のコンビネーションが実に美味しかった。饅頭をヒントにあんパンを考案した木村屋總本店の創業者って偉大やね。もっとも“名古屋めし”の「小倉トースト」や「あんバター」のようにマーガリンまたはバターを塗って小倉餡を乗せたものは、個人的にあまり興味がない(?)。ちなみに隣のテーブルでは、欧米系の家族4人(中年夫婦+10代と思しき子2人)が全員「ジャム」を選択していた。まあ好みは人それぞれかと。朝食後。07時45分から08時までNHKのBSプレミアムで放送された『にっぽん縦断 こころ旅』「朝版 1206日目 北海道北見市」を部屋のテレビで見る。北海道の旅3日目で、北見市の常南ビーチ海水浴場からカーリングホールを経てサロマ湖畔までのコース。続いて、NHKの総合で放送された連続テレビ小説『らんまん』第25週「ムラサキカタバミ」(124)を部屋のテレビで見る。その後。ホテルをチェックアウト。中型スーツケース(シリウスブルー)を牽引しながら、徒歩でJR奈良駅へと向かう。 途中で「開化天皇 春日率川坂上陵」なる場所の前を通り過ぎる。こんなマチナカに天皇陵があるとは意外。というか、第9代の開化天皇って、実在が裏付けられていたっけ?やがてJR奈良駅に到達。中央右手の立派な建物はかつての駅舎で、現在は奈良市総合観光案内所との由。 当駅始発天王寺行きのJR関西本線大和路快速に乗る。1駅ごとに乗客が増え、車内は徐々に混雑してきた。沿線は大阪方面へのベッドタウンと化しているのか、通勤(または、ビジネス)客なども少なくなさそうな様子であった。 私自身は法隆寺で降りて、まずは駅構内(改札内)のコインロッカーにスーツケースを預ける。ロッカーの個数が少ないので心配していたけど、空いててよかった、みたいな。 昼前。法隆寺参道行きの奈良交通バス72系統に乗車する。が、大学生と思しき若者を中心に乗客が妙に多く、車内は既に混雑していた。ここが始発なのに、空席がないどころか立つスペースも残り僅かで、肩をすぼめて入り込むのがやっと。って、目的地はどんだけ人気のスポットなのやら。本当にみんな観光なの? 通学とかアルバイトとかじゃなくて? 終点の法隆寺参道で下車すると・・・駐車場で大型バスから降りてきた小学生の団体が、私の前方を歩いていく。その一部は6年生よりも幼く見えたため、修学旅行というよりは遠足なのかも。小旗を掲げたバスガイドが先導し、30名程度の児童が続き、しんがりには担任と思しき大人が見守る。今日は教案を作成しないで済むって、先生も気楽やね。というか、境内はこういう学校関係者ばかりじゃん。人数で言えば拝観客の8~9割ぐらいが小学生では? もはや“小学生のメッカ”かと。ともあれ、本日の第2チェックポイントである法隆寺へと向かう。南大門を通り抜けて、中門の前まで来た。 回廊の中へ進み、拝観券を入手する。 最初に西院伽藍(五重塔、金堂、大講堂)を見て回る。五重塔を撮影しようとしてカメラを構えた直後に、雲の隙間から日が差し込む・・・という劇的な(?)瞬間に遭遇。「ダイヤモンド五重塔」ってか。後日談ながら、自宅に帰った後で、過去に録り溜めた関連番組を“復習”していて気づいたけれども・・・エンタシスの柱をじっくり観察するのを忘れてしまった。ああっ。 次は大宝蔵院へ。「玉虫厨子」という名称には聞き覚えがあるので、私自身はかつて中学校の修学旅行でここに来たことがあったような、なかったような。記憶が定かでない。しかし・・・小学生の団体が、大して時間を掛けずに次々と通り過ぎていく。しかも、引率するバスガイドの説明が歴史用語をずらずら並べるだけの木で鼻を括ったような(?)話法で、小学生がすんなりと理解できるレベルではないと私は感じた。まあバスガイドにはそうした教育的な役割が期待されていないのであろう。そもそも学校関係者は、修学旅行または遠足で“児童に何かを学習させよう”と考えていないような気もする。1クラスに1人ずつ専属のカメラマンが張り付き、屋外で写真を撮りまくっていた(おかげで、たまたま一緒に歩いていたルパン三世ならぬ一般男性の私もなぜか被写体となった)のも、その証左かと。つまり、クラスの“思い出作り”というか、モンスターペアレント対策としての“アルバム作り”が、校外活動の最大の目的となっているのではないか? ふっ、日本の学校教育って一体、誰のため何のために行われているのかな。大宝蔵院を出て境内を歩いていると、かなり甲高い鐘の音が聞こえてきた。ああ、柿を食わねばなるまい(?)。 そして東大門を経て、最後に東院伽藍を訪れる。「夢殿」の八角円堂が印象的。その形からアーケードゲーム『ゼビウス』(XEVIOUS)を想起するのは、きっと私らの世代だけやね。 その後。必ずしも計画していたわけではないものの、時間に余裕があったため、東院伽藍に隣接する別の寺院「中宮寺」へも足を運んでみることにした。ところで。8月28日(月)の段でも示唆したように、この中宮寺では予期せぬメッセージを頂戴するという事件(?)が起きる。その顛末を語る前に、まったくの余談ながら、私自身の過去の記憶を呼び覚ましておこう。あいにく私の感受性は鈍いようで、神仏などの“目に見えない存在”から直接メッセージを頂戴する、という機会はめったにない。強いて言えば1994年3月10日(木)、まだ湘南の実家に住み教養学部を卒業する記念旅行として太宰府天満宮に人生2度目の参拝をしたとき、おみくじを引かずに帰途に就いたら、ご祭神から「引かずに帰っちゃうのか?」と問われたりとか。あとは三多摩在住時代の2010年2月11日(木・祝)に箱根神社を訪れた際、ご祭神から「君はスタンプのためにわざわざここに来たの?(ニヤリ)」と突っ込まれたりした程度かと。メッセージでなく、むしろビジュアルイメージが私の脳内に降りてくることは、たまにある。その代表例としては、 三多摩在住時代の2009年7月26日(日)、ミューザ川崎シンフォニーホールでモーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」の第1楽章の演奏を聴いているときに、上賀茂神社の映像が脳裏に浮かぶという“ジュピター降臨事件”や、 相馬在住時代の2022年4月8日(金)、水戸での“転居先候補地の物件周辺の視察”を終えて常磐線で帰途に就いていたときに、鹿島神宮の奥宮と要石の間の樹叢で見た、東の空から直線的に差し込む“木漏れ日”を思い出すという“東国の逆襲”などが有名(?)であろうか。いずれにしても。東国から奈良へ赴いた男が“何者か”に話し掛けられる展開って、リアル『鹿男あをによし』っぽいかも(?)。というわけで、前置きはこのぐらいにして、本日の出来事に戻ろう。この中宮寺の入山受付で拝観料を納め、ぐるっと回って本堂に至る。ご本尊は国宝の「菩薩半跏像(伝如意輪観音)」。あれこれ調べてみると、本来「弥勒菩薩」として作られたとの説も見受けられるが・・・それはさておき、既に5~6名の参詣客が床に座って仏像をじっくりと拝んでいたので、私も中に入って座る。“正座”するのは何年ぶりであろうか。足が痺れるのを恐れつつも、飛鳥時代の最高傑作にして「世界三大微笑」とも称する(って、誰がそう名付けたのか?)ご本尊と対面。私は「日々のお働き、ありがとうございます。どうか今後とも、衆生をお救いくださいますよう、よろしくお願いいたします」と手を合わせて念じていたら・・・この菩薩からの予期せぬリプライが、私の脳内に到来したのである。いわく、「それはソナタの仕事ぞ」と。え? なんですと?全身の体温が一瞬で1~2度ほど上昇するのを感じた。すごく恥ずかしい思いをしたときに体が火照って顔も真っ赤になるのと同じメカニズムの生理現象っぽい。やべえ、マジかよ。メッセージが降りてくること自体、非常にレアなのに、その内容がとにかく尋常でなく、私としては困惑を覚えてしまった次第である。うーむ。まあ、思い当たる節が全くないわけではない。昨今の私は「持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)」にやや懐疑的であるとはいえ、その根幹にある「誰一人取り残さない(leave no one behind)」という理念には強く共鳴している。あるいは宮沢賢治が『農民芸術概論綱要』の中で述べた「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉にも深く感じるものがある。こうして「(自分だけでなく、また年齢・性別・人種・民族・国籍など諸々の属性には一切関係なく)みんなを救いたい」と願い、その思惟の過程で我々人類が自分たち自身を自己救済するための一つのツールとして『和を以て貴しと為す』のキーワードに着目したからこそ、今回の旅を思いついたけれども・・・私のこのような発想は、そもそも“大乗仏教”との親和性が高かったのかもしれない。ゆえにチャンネルの周波数がピッタリ一致してしまい、この場でお言葉を直々に聴くことができたものと推察する。『沈黙の艦隊』における「3MHzにセットだ!!」「イエス・サー!!」みたいな・・・って、分かる奴だけ分かればいい(?)。ついでなので(?)、今回のメッセージをどう解釈するかについて、蛇足の考察をもう少し加えておく。私は何か特権的な地位を与えられた、とは思わない。そうではなくて「働け!」とのお導きなので、私に問われるのはシェイクスピアの戯曲『ハムレット』における“To be, or not to be,”(であること)ではなく、“To do, or not to do,”(すること)こそが“that is the question.”なのであろうと思う。気をつけなければならないのは、思いが強すぎる者はしばしば“自己陶酔”に陥りやすく、現実的な効果を度外視しがちで(時に真逆の悲劇的な結末に至る場合さえも)ある点。「働け!」ということは、己の思いを満たすよりも、地に足のついた思考と行動が求められるに違いない。このとき、私1人だけで働くのではなくて、数多くの神仏(の眷属)たちとともに働くことになるはず。今回のご縁からして、まずは周波数の合う(?)如意輪・観音・菩薩などとの連携協力を図るべきかと。“祈る側”にとどまらず“祈られる側”の視点にも立ち、みんなを救うべく私もお手伝いをしていくしかあるまい。以上の記述ではまだまだ“舌足らず”で、私の思いについてもっと書きたいことはあるものの、ひとまずこの辺で元の世界に帰ろう。私を含む6~7名で床に座っている間に、本堂で我々を見守っていた案内人がタイミングを見計らって、寺に関する一通りの説明をしてくれた。その後。中宮寺から退出して、法隆寺の境内を再び通り、先ほどのバス停へと戻っていく。その際にまたもや小学生の団体と合流して一緒に歩いていたら、突然パラパラと“にわか雨”に見舞われる。1分間ぐらいですぐに雨は止んだけれども、「ダイヤモンド五重塔」といい、この「禊の雨」といい、神仏からの歓迎サインなのか? 法隆寺参道のバス停で少し待ってから、法隆寺駅行きの奈良交通バス72系統に乗り、終点の法隆寺駅でバスを降りる。 改札内のコインロッカーに預けたスーツケースを回収した上で、今度は加茂始発天王寺行きのJR関西本線大和路快速に乗車。昼前11時台という中途半端な時間帯のせいか、車内は朝08時台の奈良~法隆寺ほど混雑していなかった。やがて(大阪環状線の外回りループに突入する前の)天王寺で下車する。画像初出:2022年10月11日(火)の段画像初出:2023年4月11日(火)の段私が大阪府内に足跡を残すのは、米沢在住時代の2017年10月18日(水)以来、ほぼ6年ぶりか。 MIO本館改札を出て、すぐの場所にあるコインロッカーにスーツケースを預ける。大型は残り僅かで、ギリギリセーフであった。要するに、インバウンドが多い土地柄なのかな。館内の通路を歩いているうちに、窓際でこんな光景に遭遇。本年11月に開業予定の「麻布台ヒルズ」(東京都港区)とやらが高さ330メートルとなり、“日本一の高さのビル”の称号を明け渡したばかりであるが・・・この高さ300メートルの「あべのハルカス」を撮影するのは、アングル的に難しいね。いつもロクな写真にならない。 で、私は「あべのハルカス」でなく「天王寺ミオ プラザ館」へと足を運ぶ。大阪なので(?)韓国料理店に入り、昼食として「冷麺ハーフキンパセット」+日替わりおかず5品が食べ放題の「ランチバイキング」を注文。冷麺はおそらく本場韓国風で、微妙な弾力の麺は噛み切るのにやや苦労する(ゆえに最初から短めに切ってある)けれども、梨の果汁を程よくブレンドして甘すぎず酸っぱくもなく爽やかに仕上げたスープが最高に美味しかった。キンパがなかなか出てこなかったので冷麺に箸をつけてしまい、料理の写真を2枚に分割せざるを得なかったのは残念。人気のある店らしく、昼過ぎには店の前に順番待ちの行列ができていた。 昼過ぎ。次は本日の第3チェックポイントである四天王寺へと向かう。参道からして高野槇・ロウソク・数珠などを売る露店が並び、とにかく参詣客が多くて、えらく賑わっていた。どうやら「秋季彼岸会」と毎月21日の「お大師さん」が重なるという絶妙なタイミングのせいらしい。へぇ~、若き日にこの寺で修行した弘法大師の月命日も縁日なのか。ちなみに寺を創建した聖徳太子の月命日は毎月22日。つまり2日連続で縁日に当たるという。そんな基礎知識もないまま来てしまったよ。私自身は「石鳥居」から境内に入り、「引導石」を見てから「極楽門(西大門)」を通り抜け、「親鸞聖人像」を遠目で拝みつつ「義経よろい掛け松」の前を進む。六時礼讃堂の「仮堂」でご挨拶を申し上げた後、「北鐘堂」の脇を経て「石舞台と(保存修理工事中の)六時礼讃堂」を眺める。ああ、なるほど。お焚き上げの品々を持参した人々が“納骨・祈祷・回向”受付の前で長い行列を作り、梵鐘の音が頻繁に鳴り響き、かつ境内のあちこちでお香の匂いが漂う・・・のを見聞きして、ようやく事情を察した。秋季の彼岸なので、先祖供養を目的とした参詣客が大挙して押し寄せているのね。“観光”でなく“信仰”で活気のあるお寺って、久々に見たような気もする。お盆や彼岸に墓参りをする習慣がない(のに加え、仏壇すらもない)実家で育った私としては、ちょっと感動(?)した。 続いて、境内の北東側に位置する本坊の「極楽浄土の庭」へと赴く。案内板の説明文を以下そのまま引用しておこう。 この庭は、中国の僧侶である善導が「散善義」で説いた「二河白道(にがびゃくどう)」のたとえ話を基に改修、造園されています。 二河白道のたとえ話は以下のとおりです。 二河は「水の河」と「火の河」を指しています。水の河は人生の順境にあるときの貪(どん)(むさぼること)であり、火の河は人生の逆境にある時の瞋(しん)(怒り恨むこと)であります。この二河は生き地獄であり、二つの河にはさまれた「白道」を極楽浄土への道(仏法)とたとえているのです。 二河という地獄の真ん中に、極楽浄土に至る道が細くのびていますが、我々凡欲な者にはこの道が見えません。しかし、極楽浄土への往生を真に願う者には見え、白道を進むと極楽浄土に達し、往生できるという教えなのです。庭に入ると、人々は入口で釈迦三尊にみたてた庭石にむかえられます。 ここで、人々は「さあ、極楽浄土を目指しなさい」という釈迦三尊の励ましの声を聞き、前に進みます。前方には、二つの滝(釈迦の滝、薬師の滝)から流れ出た水がつくりだす池(瑠璃光(るりこう)の池)が広がり、それに向かって道(白道)が通っています。道の右側には貪(むさぼ)りを象徴する「水の河」、左側は瞋(いか)りを象徴する「火の河」で、二つの河が地獄をあらわしています。道はさらにのびて、阿弥陀三尊にみたてた庭石がうかぶ池(極楽の池)に至ります。 人々は、阿弥陀三尊に招かれて極楽浄土に到達し、季節の花が咲き乱れる庭園の美しさと相まって、極楽浄土へ往生したかのような感動を味わうことができるでしょう。ふーん、仏教的な世界観を体得させるというコンセプトで造られた庭なのか。確かに、奥の「極楽の池」にはフヨウ(芙蓉)と蓮の花が咲いていたね。 次は中心伽藍(五重塔、金堂、講堂)を訪れる。通常なら西重門からの内側は有料エリアであるが、「毎月21日の大師会と22日の太子会、3月の春季彼岸会と9月の秋季彼岸会は無料で開放」との由。いやはや、ありがたい。もっとも・・・先祖供養の参詣客で賑わう境内とは異なり、ここはむしろ相対的に人が少ない。先ほどの法隆寺よりもじっくりと見て回ることができた。あべのハルカスを背景とした新旧ランドマークの揃い踏みが印象的かも。 それから、天王寺蕪(かぶら)が信州の野沢菜のルーツであることを示す「野沢菜原種 旅の起点」記念碑、大工技術の始祖としての聖徳太子(曲尺太子)を祀る「番匠堂」(世界最古の企業「株式会社金剛組」の名も見える)、聖徳太子の実父・用明天皇を祀る「用明殿」、ややマイナーな(?)収蔵品を展示する「宝物館」、“萬民豊楽”の小さな文字を掲げる「役行者像(大聖大悲不動明王・南無神変大菩薩)」、池の中央に浮かぶ島で辯才天を祀る「亀遊嶋辯才天」、最後に「東大門」などにも立ち寄る。紙幅の都合上、続きは次回の記事へ。