Heart of Life

2005/02/01(火)23:26

細やかなものは寿命が長い

第四番目の微細な身体であるメンタル体は、第三番目の微細な身体であるアストラル体をさらに精妙にしたものであることに、昨日、触れました。今日は、もう少し、OSHOのことばを参照しながら、この第四身体、メンタルボディの中身である“思考の波”の特性を詳しく見てゆきたいと思います。 ---------------------------------------------------- メンタル体については、様々な研究が進んでいる 科学者たちは心理学、特に超心理学の分野で研究を深めており メンタルエネルギーの一風変わった すばらしい法則を次第に把握しつつある 宗教では、はるか昔に理解されていたことが 科学においても多くの事柄が明らかになってきた (OSHO『奇跡の探求2』第五章より……) ----------------------------------------- 様々な超常現象にまつわる科学的な調査のもとで、想念の力と物質世界との関連が少しづつ明らかになりつつありますが、『水は音楽を聴いている』の著者、江本勝氏は、『気の森』34号の特集記事「波動医学の時代がやってくる」の中で、身体の不調に関して次のような興味深い発言をされています。 ---------------------------------------------------- 「身体の不調とは波動の乱れである」ということです では人の波動とは何でしょう 私はつい一週間前にそれは「素粒子である」と定義しました。 それでは、自身をよい波動に保つにはどうしたらよいのか これは「素粒子に届くものは何か?」という問題でもあります 素粒子には物質の最小限単位も入れません 私は、素粒子に届くものは「人の意識、マイクロクラスター、水、音楽」 と仮説を立てているのです (2003年春『気の森』34号の特集記事、江本氏の発言より) --------------------------------------------------- 昨日の日記に引用した講話でOSHOは「アストラルの原子を分解すると、それは思考の波となる。考えられたこともないことだが、量子と思考の波との間には、非常に似通った点がある」と語っていますが、人間のメンタル次元における思考の波が量子的な領域、素粒子的領域と深い関係にあるとすれば、上記の江本氏のコメントもかなりポイントをついているのではないかと思います。ただ、2003年春になされたという「それが素粒子である」という仮説が当たっているとして、その領域に届くものが「マイクロクラスター、水、音楽」と並べて「意識」とあるところこそ、この一連の日記の中で提起している第四次元と第五次元の混同、明晰な識別を欠いたカテゴリーエラーの課題を免れてはいない感もあります…… 意識と呼ばれるものと、思考の領域との間の明晰な識別がなされるためには、思考を超えた領域への体験……少なくともそうした領域への一瞥がなければならないということになると思います。 さて、もう少し、この第四身体の次元、メンタル体における思考の波の特性について、OSHOの言葉に耳を傾けてゆきましょう…… -------------------------------------------------- 私たちの思考の波は物質に触れ それを変容させる あなたのハンカチを渡しただけで あなたに関するおおよそのことを まるで会ったことがあるかのように語れる人々がいる これはハンカチがあなたの思考の波動を吸収するためだ こ波動はとても細かいので アレキサンダー大王のハンカチですらいまだに その人格に関する事実を保ち続けている 思考の波はあまりにも細かいため 物体が消え去るまでに 何百万年という年月を要する 墓所やサマーディが建築されたのもここに理由がある (OSHO『奇跡の探求2』第五章より……) ------------------------------------------------- 「墓所やサマーディが建築されたのもここに理由がある」……そうしたメモリアムの物質には、目覚めた人の実存の波動だけでなく、彼のメンタル体が放つ思考の波も刻み込まれているということです…… ------------------------------------------------- 思考は無限の可能性を秘めている しかしそうは言っても物質的だ だから、考える事柄に気をつけること 細やかな思考の波は 肉体が滅びても、あなたのもとに留まるのだから この細やかな波動の寿命に比べれば あなたの体の寿命などはるかに短い (OSHO『奇跡の探求2』第五章より……) ------------------------------------------------ 粗いものは寿命が短く、細やかなものは寿命が長い……一見すると、この地上世界においては、細やかなものはすぐに過ぎ去り、粗いものが長く居座っているというのが通例のように見えなくもありません。けれども実相は、細やかなものの寿命の方が長く、粗いものの寿命が短いと言うのです……。 家族の座やプロセス心理学におけるワールドワークのようなグループワークが成り立つ背景には、おそらく、こうした微細な思考の波の領域におけるエネルギーパターンが作用していると見なすことで、そのシステムの理論的な背景が見えてくるようになるでしょう。 ------------------------------------------------ 地球からの思考の波は 他に発生した波動と同様 数限りない惑星に向かって放出されてゆく もし先まわりしてそれを捉えたとしたら それはまだ、ある意味で生きている 人は死んでも、思考はすぐには死なない 人の命は短いが、思考の命はとても長い (OSHO『奇跡の探求2』第五章より……) ------------------------------------------------ 受け手としてなら、我々人間は、今も、果てしない遠くの星々や銀河団から放たれた「あらゆる年代の光のカタログ」(宮沢賢治)を現に受け取っているわけですが、物質の中に波動としてイン-プリントされたまま長期に渡って保存される場合と、空間的に果てしなく遠くへと広がり続けることで存続する面……つまり、この第四次元における粒子的収縮の側面とは波動的拡散の側面の両方があるというのがわかります。 ------------------------------------------------ これも憶えておくといい…… 表現しなかった思考は、表現した思考よりも長く生き続ける なぜなら、そちらの方が粒子が細かいからだ 粒子が細かければ細かいほど、その寿命は長くなり 粗ければ粗いほど、寿命は短くなる (OSHO『奇跡の探求2』第五章より……) ----------------------------------------------- 表現された思考よりも、表現されざる思考の方が長く生き続ける……まるで圧縮保存されたデータが壊れにくいのに似ていなくもありません。発散浄化してゆくカタルシス的技法の意味が、こうしたレベルでも働いているのを理解できると思います。 ---------------------------------------------- 前に話したように オームを唱えると、砂にある模様が形づくられる 模様そのものはオームではない…… しかし、この特定の模様がオームによって生じたことがわかれば いつの日かこの模様を、オームに変換できるだろう 模様の形態に従えば、オームの音はきっと再生される 模様とオームは、同じものだとみなせる レコード盤には言葉がない…… 言葉の音の衝撃によってつくられた溝があるだけだ 溝に針が触れると、相当する音に変換される ごく近い将来、思考のレコードを作れるようになるだろう 思考を衝撃については理解されているため 記録できるようになるまでに長くはかからないだろう (OSHO『奇跡の探求2』第五章より……) -------------------------------------------- ここでは砂に描かれる文様とオームという響きの関係を、レコード盤と再生された音の関係になぞらえて説き明かされているのですが、実際には、このような固定的で物質的な溝のようなものをイメージするよりも、ホログラム的な干渉波的記録と捉える方が近いのではないかと思います。大元には、ホログラム的な光と音の周波数的な干渉波記録があり、それに応じた音や光のパターンがあり、それをかたどるようにして音が生まれ、また文字の形として書き記される、ひとつには、そんなプロセスを辿ってきたように思われるのです。

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