─ 灼熱 ─

2005/04/07(木)15:38

広島に投下された原爆はナチス製だった?

ちょいと前の話だが、先月16日の中日新聞(東京新聞)に興味深い記事が掲載されていた。ナチスが核実験を行なっていたという新説を紹介した本がドイツで出版されたことで論議を呼んでいるという内容である。 以前から、広島に落とされたウラン型の原爆「リトル・ボーイ」は、米国製ではなくナチス製だったという話がある。つまりナチスの原爆が米国に流れたということ。これを横流ししたのがロンメル将軍で、これが発覚したため、ロンメル将軍はゲシュタポに検挙され“処罰”されたという。 広島に落とされたのがウラン型、長崎に落とされたのがプルトニウム型である。 私は原爆について詳しくないので参考にしたサイト(最後に示す)の言葉を借りながらになるが、ニューメキシコ州アラモゴードで世界初の原爆実験に成功したといわれているのが広島投下1ヶ月前の1945年7月16日であり、これはプルトニウム型である。 米国はウラン型の原爆実験をしていないのだ。なぜだろうか。 1938年12月にナチス・ドイツの科学者オットー・ハーンとシュラウスマンは、世界に先駆けて「原子核分裂」を発見する。1940年3月、世界最初の「実験原子炉」がベルリン・ダーレムに設置された。当時のナチスの原子核研究は、米国を遥かに凌いでいたようである。 1940年6月、ドイツ軍がパリ入城。この時にジョリオ・キューリー博士の「原子核研究装置」を没収。更にドイツ軍は、ベルギー・オランダ・ルクセンブルグを攻撃し、地球上のウラン産出地域を占領したので、ウラン資源が米国側に渡ることもなく原爆の製造条件は、全てドイツの手に独占されていたようでもある。 米国はどうして日本に2つのタイプの原爆を投下したのだろうか。しかも先に投下したウラン型の原爆は、実験すらしてないのに。ウラン型原爆は現在開発されていないので、広島に投下された原爆は、人類に対する最初にして最後の原爆だったという。核実験はプルトニウム型だけである、と。 さらに不思議なのは、なぜドイツではなく日本に原爆が投下されたのかということ。ドイツと戦っている段階で米国は原爆投下目標地点を日本(日本軍)と決めていたのである。科学者らは、ナチスを潰すために原爆開発に協力したのに、それがなぜドイツではなく日本なのか、と。こう抗議したが、米国政府はこの抗議を無視。 原爆開発は「マンハッタン計画」として天文学的な資金を飲み込み、ここに「水爆の父」エドワード・テラーが参加しながら「SDI計画」、さらには「冷戦」をも産み出したといえるだろう。 「マンハッタン計画」がスタートしたのはルーズベルト大統領のもとであるが、この責任者だったのはボーンズのヘンリー・スチムソンである。日本への原爆投下は、このスチムソンの決定と言える。そして、最終的なゴーサインを出したのがトルーマン大統領となる。 トルーマン大統領は、「私は広島・長崎の原爆攻撃を指令したあとに、良心のとがめを少しも感じなかった。これからも万一の場合、水爆使用はたしかだ」と語っている。 トルーマン政権以降のアメリカとソ連は、熾烈な核軍拡競争に明け暮れ、20世紀の末までに米ソ両国は合わせて4万発以上の原爆・水爆を製造し、1700回以上の原爆・水爆実験を実施した。 では、2回の世界大戦とはなんだったのか。ナチとはなんだったのか。そしてヒトラーは何者だったのか。 ヒトラーの家系図 本当かどうかは知らないが、ナチ(NAZI)の本当の意味は、国際シオニスト連盟(National Association of Zionist International)だという「話」もある。つまりナチは、シオニストの別働隊だったのではないかという疑惑になる。 ヒトラーを「戦争代理人」だったと理解している私としては、ナチもそのために誕生したという理解になり、「そのため」とは、世界大戦のことである、となる。ナチス・ヒトラーを支援したのが、オッペンハイマー家やウォーバーグ家、シュローダー家などであり、そして「I・G・ファルベン」なんかとも繋がる米国の資本家たちがいて、その代理人の筆頭がダレス兄弟という構図になるだろう。 弟アレン・ダレスは、ハーバード大学出身の法律家・弁護士出身で、1916年から外交官職にあり、1920年にベルリンのアメリカ大使館第一書記に選ばれ、第一次大戦ドイツ賠償問題など多数の軍事外交に関与。のちに長年にわたってドイツのシュローダー男爵の銀行「J・H・シュタイン銀行」の理事を務め、更にアメリカの「スタンダード石油」の顧問弁護士も務めていた。「ITT」のベーン会長とアメリカ軍との間をとりもち、ベーン会長を背後から操っていた。戦後も「ITT」との深い関係は続いた。 兄のジョン・フォスター・ダレスも、同じくハーバード大学出身の優秀な弁護士として鳴らし、ウォール街の法律顧問を務め、「BIS(国際決済銀行)」の創立者の1人として活躍。アメリカが参戦する前はドイツの「I・G・ファルベン社」の重役陣に名を連ね、アメリカきってのドイツ通の1人であった。パリ講和会議では叔父の国務長官ロバート・ランシングの秘書官を務め、ジャネット・ポムロイ・エーヴリーとの結婚によりロックフェラー家の一員となり、ロックフェラー財団の理事長も務めた。 1936年に誕生したニューヨークの新会社「シュローダー・ロックフェラー商会」の法律顧問には、アレン・ダレスとジョン・フォスター・ダレスの兄弟が、コンビを組んで就任した。 http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc300.html BIS(国際決済銀行)が積極的にナチス・ドイツへ融資を行なった窓口だったのだから、「ヒトラー・ナチス」と「BIS」と「I・G・ファルベン」と「シュローダー家」と「ロックフェラー家」と「ゲーレン機関=CIA」……などなどの全ての結びつきを説明してくれる代表例が、ダレス兄弟の存在ということになるはずである。 そして、「自殺説」を流してヒトラーを地下官邸から連れ出したマルチン・ボルマン。ヒトラーは自殺などしていない、エバ・ブラウンも…とする説。アイヒマンも含めてナチの高官らは南米に逃げたとする説。 なぜテストすらしていないウラン型の原爆が広島に投下されたのか。 そして、その原爆はナチス製だったんじゃないのか、ナチスは核実験を実施していたとする説は本当だったんじゃないのか、という疑惑。 創設当初のナチ党に100万マルクを支援した2人のユダヤ人、オッペンハイマーとウォーバーグたちは、ナチ党の崩壊と同時に西ドイツ政府から賠償金20億ドルを逆払いさせているのだから、“おいしい投資”である。 「ナチスが核実験」 ドイツの歴史家が新説 【ベルリン=熊倉逸男】ナチス・ドイツが核兵器開発を実用化直前まで進め、核実験も実施していた-との新説を紹介した本「ヒトラーの爆弾」が十四日、ドイツで出版され、信ぴょう性をめぐり論議を呼んでいる。 著者のベルリン・フンボルト大学講師の歴史家ライナー・カールシュ氏によると、ナチスは一九四四年から四五年にかけベルリン近郊に原子炉を設置し、濃縮ウランを使った小型核兵器を開発。四五年三月三日、ドイツ東部テューリンゲンで核実験を行った。被害は半径約五百メートルにわたり、近くの強制収容所の収容者ら約五百人が犠牲になった。開発は、ヒトラーらナチス指導層も承知していたという。 新たに発見された旧ソ連軍の史料や証言記録、実験場所とされる土壌から放射能が検出されたことなどを「核実験説」の根拠としている。 ドイツでは一九三〇年代から核開発が進められたが、ナチスは兵器化に熱心ではなく、ナチスの核兵器保有を懸念した科学者らの訴えを聞いた米国が先んじて、原爆を開発した-というのがこれまでの定説だった。 独メディアは新史料発見を評価する一方、「核実験説」の説得力不足を指摘している。 中日新聞 - 2005年3月15日 http://www.chunichi.co.jp/00/kok/20050316/mng_____kok_____001.shtml …………………… このドイツの歴史学者ライナー・カールシュ氏は、主にロシア、旧東ドイツ、西側などの公文書館で発見した「新史料」に基づいて本を書いたとのことである。 彼の説の概要は、以下のようなものであるという。 ◆ドイツの核兵器開発計画は主流派のハイゼンベルクよりも、非主流のディープナーの下の小グループの手でより実り多く進められていた。 ◆ベルリンの南、ゴットウ村の陸軍研究施設に建設されたディープナーの原子炉が運転を開始した。 ◆1944年10月、バルト海リューゲン島で核実験が行なわれた。 ◆1945年3月、テューリンゲンのオードルーフ演習場で核実験が行なわれ(「閃光と高熱、放射能」を伴う2回の爆発)、捕虜数百名が死亡した。 ◆ドイツが核兵器を実戦に投入しなかった理由は、量産が困難だったことと、起爆装置と運搬手段に重大な問題が残されていたためである。 http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc111.html 【ベラスコの告白】広島原爆はナチス製だった ベラスコの告白(第7章まで) http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc101.html 「ヒトラー逃亡説」の実態 http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc350.html 半生を、ナチの逃亡者と戦犯の追及に費やしたシモン・ヴィーゼンタールは語る。 「マルチン・ボルマンの謎は、単純な生物学的な方程式に還元されるだろう。彼は、十分に保護されている。いかなる国もこれ以上、第2のアイヒマン事件を起こそうと考えていない。ボルマンも、やがてある日、最期を迎えることになる。10万マルクの懸賞金は、けっして支払われることはあるまい。死は、金を必要としないからである。」 南米に逃げたナチ残党 http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc400.html ウィーンのユダヤ人大富豪ロスチャイルドを逮捕したヒトラー http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc621.html ロスチャイルド家の代理人 チャーチルの反撃 http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc622.html

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