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2005年05月27日
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たまには、最近読んだ本を取り上げてみる。

ネット上ではハンドルネーム「アルルの男・ヒロシ」で登場している中田安彦の「処女作」である『ジャパン・ハンドラーズ』を読んでみた。彼は「ジャパン・ハンドラーズとアメリカ政治情報」というブログも立ち上げているので、そこで今後のフォローをしていくようである。

私は、アルルの男・ヒロシ氏が「分析」されたネット上での投稿(言論)を好んで読んでいる読者でもあるので、『ジャパン・ハンドラーズ』を買ってみた。「情報」としては、私にとって目新しいものがなかったのが残念であるが、「監修のことば」で副島氏が「この本は対日グローバリスト名鑑である」と書いているので「資料」的な意味合いが強いのだろう。何かを「暴いている」といった印象もなかった。

内容について批評するのではなく、第5章「世界を動かすインナー・サークルと国際金融資本の正体」のなかでロックフェラーのことが書かれている部分を資料としてここに転載(紹介)する。文中のリンクや写真は、私(HEAT)が加えたものである。

なお、この本の「解説」が「今日のぼやき」サイトの「665」に載っているのでそれも紹介しておく。

今日のぼやき
http://snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi



ジャパン・ハンドラーズ
日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たち(中田安彦・著)


なぜ日本はアメリカに逆えないのか!? アメリカの対日戦略を立案するシンクタンク・大学・政府機関の全貌を完全網羅。気鋭の評論家がアメリカ帝国「繰りの手口」を実名250人を挙げて解説する。





アメリカの“貴族”ロックフェラー家

アメリカには「貴族社会」というものは存在しないと思われているが、ロックフェラーやモルガンなどの“オールド・マネー”出身のエリート名家が、貴族のような存在となっている。彼らは欧州貴族たちの「カウンターパーツ」でもあるが、その中でもロックフェラー家は、日本との関係が深い。

(略)

現在のロックフェラー家の一応の当主は、デヴィッド・ロックフェラー・ジュニア(62歳)で、初代当主の石油王ジョン・D・ロックフェラー一世(スタンダード石油創始者)から数えて、五代目に当たる。

この父親が詳しく後述するデヴィッド・ロックフェラー・シニア(1915年~)だ。彼には、他に4人の兄弟がおり、デヴィッドは5番目の末弟にあたる。上から順にいえば、ジョン・D・ロックフェラー三世(1906~1978年、アジア・ソサエティ創設者)、ネルソン・ロックフェラー(1908~1979年、フォード政権副大統領)、ローレンス・S・ロックフェラー(19010~2004年、リーダーズ・ダイジェスト、マグダネル・ダグラスの両社と深い関係)、ウィンスロップ・ロックフェラー(1912~1973年、アーカンソー州知事、クリントン元大統領の“実父”説あり)が彼の兄弟たちだ。彼ら5人は、二代目当主のジョン・D・ロックフェラー二世(1874~1960年)の息子に当たる。


ジョン・D・ロックフェラー三世と日本

戦後、日本を含むアジアとのかかわりを再開したのは、ジョン・D・ロックフェラー三世である。彼は、吉田茂首相らが出席して行なわれたサンフランシスコ講和条約調印(1951年)の時にも、民間人なのに調印団の中の一員として立ち会っていた人物だ。

彼は、第二次世界大戦が終わった1940年代後半に、ロックフェラー家のお抱え弁護士でこのときは対日講和団使節団長をしていた、ジョン・フォスター・ダレス(のち国務長官、CFRメンバー)に同行し、日本の指導者たちと親交を深めた。その中には、昭和天皇ご一家も含まれている。

ただ、ジョン・D三世はただ単に、日米のエスタブリッシュメントと知的交流だけが目的で戦後間もない時期にアジアとかかわりを持ったのではない。

もちろんそういうエリート同士のネットワーク作りという目的もあったが、実は本当の目的は、「反共の砦」をアジアの各地域に作るとともに、戦前からロックフェラー家が日本に作った投資資産の保全をしようというものだった。

彼は、1907年にニューヨークと日本に設立された、日本との交流窓口であるジャパン・ソサエティ(一説には日本海軍にスタンダード石油が石油を売るための営業窓口だったという)を復活させ、独自にアジアの美術を収集するという、いかにも貴族趣味がうかがわれる目的で、アジア・ソサエティを1956年に設立している。

さらに、日本においては、松本重治(元同盟通信編集局長)や、松本が記者をやめてから助手を務めた高木八尺東大教授、左翼・リベラル派の都留重人、新木栄吉(駐米大使、日銀総裁)ら数十名のメンバーが集まって設立した国際文化会館の設立に、深くかかわっている。

(略)


「小沢革命」の黒幕!? ジェイ・ロックフェラー

三世が復活させた日米人脈は、その後、三世の息子であるジョン・D・ロックフェラー四世上院議員(ジェイ・ロックフェラー)に引き継がれる。


JOHN D "JAY" ROCKEFELLER IV

ジェイは、1955年の国際文化会館の設立式にも両親(母親は、ブランシェット・ロックフェラー)とともに立ち会っている。これが初めての訪日だった。彼は1961年にハーバード大学(極東言語・歴史専攻)を卒業する前の3年間を、父の友人であったライシャワーのアレンジで、日本のICU(国際基督教大学)に留学している。どうも、ハーバードでの学生生活がうまくいっていなかったのが原因の一つのようだ。

(略)

現在のジェイは、アメリカの最貧州の1つで石炭・鉄鋼産業が盛んなウェスト・ヴァージニアの上院議員を1984年以来務めている。彼は2000年の大統領選挙に出ると噂されたこともある。

日本との関係でいえば、彼は日本のトヨタ自動車の工場を選挙区内に誘致するなどして、地元の雇用を拡大させていることがまず真っ先に挙げられよう。彼の公式ホームページを見ると、「今日どこそこに○○工場を誘致しました。これで3000人のアメリカ人の雇用が増えました」ということが誇らしげに書かれている。

また、ジェイは、小沢一郎民主党副代表の著書『日本改造計画』の英語版の序文を書いている。このことから、1990年代初頭の「小沢革命」の黒幕の1人として噂されたこともある。

この著書は、小沢議員の政策秘書を1988年から務めた、CIAの諜報員であったルイーザ・ルービンファインという人が“翻訳”した。彼女は、SAIS・ライシャワーセンターの研究員や、ジョージ・ワシントン大学補助教授を歴任し、現在は同大シグール・東アジアセンター研究員である。このルービンファインやロックフェラーと小沢議員のコネクションが健在なのかどうかはよくわからない。

ジェイは、父親からの流れを引き継いで、アジア・ソサエティの理事を務めたり、リチャード・サミュエルズ教授が議長を務める、日米友好基金の名誉会員でもあり、密かに日本とのつながりは残している。

しかし、数年後までは彼自身はいまの上院議員の任期が続くことから、雇用やテロ防止のための情報収集など国内問題に気を配らなければならないこともあり、世界のインナーサークルとの“交流”は主に、妻で、公共放送やペプシコーラなどの社外取締役を兼任しているシャロン・パーシー・ロックフェラーという女性に任せているようだ。(略)

彼女は、最近では1997年に、アメリカ内で開かれたビルダーバーグ会議に出席していることが、資料により確認できる。

Bilderberg 2005



デヴィッド・ロックフェラーの文化交流人脈

現在は91歳のデヴィッド・ロックフェラーもまた、ジャパン・ソサエティの名誉会長を長年務めた。彼自身が会長就任を受けたが、自ら前に出て行くことはせず、駐日米大使も務めたロバート・インガソルをジャパン・ソサエティの正式の会長にしたそうだ。彼自身が、「読売新聞」が91年に主催したソニーの盛田昭夫元会長らとの紙面での対話企画でそのように語っている。

現在もジャパン・ソサエティのレセプションには息子のデヴィッド・ロックフェラー・ジュニアとペアでしばしば出演するが、理事会の名簿には名前は見あたらない。

デヴィッドは、「日米財界人会議」などの「インナーサークル」のメンバーとして、日本の財界人とのビジネス上の交流にも熱心だったが、注目したいのはフジサンケイ・コミュニケーション・グループ(FCG)や皇族である故高松宮殿下とのかかわりだ。FCGはグループ企業として、現代彫刻を草原内に展示した「箱根・彫刻の森美術館」を持っており、「ニューヨーク近代美術館」の名作展を日本で主催したりもしている。

このニューヨーク近代美術館というのは、ロックフェラー二世夫人だった、アビー・オルドリッチ・ロックフェラーが1929年にニューヨークに設立した、現代アート中心の美術館である。
(略)
また、FCGは、1988年に、世界の芸術文化に造詣が深かった故・高松宮殿下のご意志を継ぎ発足した、「高松宮殿下記念世界文化賞」を後援している。この国際顧問として、中曽根康弘元首相、シュミット元西独首相、シラク仏大統領などの西欧著名人と一緒に、デヴィッド・ロックフェラー父子が名前を連ねている。

(略)


デヴィッド・ロックフェラーと日米欧三極委員会

このデヴィッド・ロックフェラーと日本政財界との関わりで、最大のものは日米欧三極委員会の設立だろう。当時、チェイス・マンハッタン銀行頭取の座にあった彼の頭の中には1つの構想があった。それは、経済的に勃興しつつある戦後日本とヨーロッパ(とりわけ西ドイツ)、アメリカを「世界の三極」として結びつけ、米国主導の安定した世界秩序を維持しようという試みである。

(略)

ロックフェラーは当初、経済大国となった日本をビルダーバーグ会議に合流させたいという考えをもっていたが、日本をメンバーに加えることに、西側の「大西洋同盟重視派」が反対し頓挫している。


結局、自ら三極委員会を設立して「対等なメンバー」として、日本を招き入れたということらしい。

実際、ビルダーバーグのメンバーと三極委員会の北米メンバーはかなりの部分で重なっているが、ビルダーバーグには今も日本人は1人もいない。

いわゆる秘密クラブの中で、この三極委員会は日本人に最も門戸が開かれていると言えるだろう。あまりマスコミに取り上げられることはないが、公式ホームページもあるし、会議の内容は毎年「トライアングル・ペーパー」というリポートとして発行されている。








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最終更新日  2005年05月27日 19時45分15秒
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