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稲川会の三代目会長が29日に病死(敗血症)した。 稲川会は稲川角二(聖城)氏が一代で築き上げた東日本を代表する組織。昭和60年に稲川角二氏は会長から最高位の総裁に就任し、石井進(隆匡)氏が二代目会長の座に就きました。平成2年(90年)、総裁の実子である稲川土肥(裕紘)氏が三代目会長に就任し、現在に至っていました。その三代目会長が亡くなったわけです。 毎日新聞の記事によると、四代目会長には、実子の稲川英生氏が就くらしい。まだ30歳(確か大卒)という若さである。もちろん年齢は関係のない器量重視の世界だろうけど、「山口組」の渡辺五代目や司若頭、「住吉会」の西口総裁や福田会長(小林会)との“バランス”を考えると……世襲も考えもんかもとか思ったりします。先日も取り上げた「日本財団」も世襲だしねえ。そんなに“血が重要”なのかねえと思ったりも。世襲による不満が悪い方向(分裂や抗争)へいかなければいいのかもしれないけど、考えられる問題は多いんじゃないのかな(無関係の私が考えたり言う必要のないことではありますけれども)。 今後の「稲川会」にも注目していこうと思います。 指定暴力団・稲川会会長が死去 警視庁組織犯罪対策3課によると、指定暴力団稲川会の稲川土肥(とい)会長(64)が29日朝、入院先の東京都内の病院で死亡した。死因は病死とみられる。 同課の調べでは、稲川会は東京、北海道と18県に勢力があり、構成員約5100人、準構成員約4400人。本部事務所は港区六本木にあり、暴力団対策法に基づく指定の代表者は父親の稲川角二総裁(90)。 (2005年5月30日3時9分 読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050520ic01.htm 稲川会:3代目会長が病死 警察当局、警戒強める 指定暴力団稲川会(本部・東京都港区)の稲川土肥(とい)3代目会長(64)=通称・裕絋(ゆうこう)=が29日病死したことが警察当局に入った情報で分かった。4代目会長には実子で英生(ひでき)本部長(30)が就くとみられる。稲川会長は、父で同会トップの稲川角二総裁(90)=通称・聖城(せいじょう)=と共に同会を率いてきた絶対的存在だっただけに、同会内部の混乱や他団体の攻勢などの可能性もあり、警察当局は警戒を強めている。 警視庁によると、稲川会は92年に都公安委員会から指定された指定暴力団。20都道県に360組織、構成員約5100人、準構成員も含めると約9500人(昨年12月現在)で、山口組、住吉会に次ぐ全国3番目の規模。戦後、角二総裁が静岡県熱海市を拠点に結成し、2代目は佐川急便事件で暗躍した故・石井進元会長。土肥会長は90年10月に3代目に就き、96年9月に山口組の渡辺芳則・5代目組長と「同盟」を結ぶ「五分の盃(さかずき)」を交わしている。 葬儀会場については、熱海市との見方が強いが、まだ正式には決まっておらず、警察当局は情報収集に全力を挙げて警戒している。 毎日新聞 2005年5月30日 3時00分 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050530k0000m040121000c.html 稲川会の会長が都内の病院で死去 指定暴力団、稲川会の稲川裕紘こと稲川土肥会長が、29日、東京都内の病院で、敗血症のため 死去しました。 稲川会長(64)は、稲川会を創設した稲川角二総裁(90)の長男で、1990年、会長に就任しました。しかし、数年前から肝臓病を患い、入退院を繰り返していて、29日朝、東京都内の病院で、敗血症のために死去しました。 警視庁によりますと、稲川会は山口組、住吉会に次ぐ、国内3番目の指定暴力団で、構成員は周辺者も含めておよそ1万人、勢力範囲は1都1道18県に及んでいます。 稲川会をめぐっては、今年1月、東京・浅草寺周辺で系列暴力団の組長ら6人が、偽の旧1万円札を使ったとして逮捕されたほか、3月には最高幹部の一人である理事長補佐(62)が、競売妨害の疑いで逮捕されています。(30日 10:49 ) http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news1201386.html 指定暴力団・稲川会会長が死去 2005年05月30日11時08分 指定暴力団稲川会の稲川土肥(とい)(通称・裕紘)会長(64)が29日朝、東京都内の病院で、死去したことが分かった。警視庁によると、稲川会長は、病気で長期入院中だったという。30、31日に静岡県内で通夜・告別式が開かれるため、警察は警戒を強めている。 稲川会長は稲川会を創設した初代会長・稲川角二総裁(90)の長男で、90年10月に就任した。 組織犯罪対策3課によると、稲川会は港区六本木7丁目に本部事務所を置き、勢力範囲は東京や北海道のほか、神奈川、静岡、愛知など18県。構成員・準構成員は約9500人で、山口組、住吉会に次ぐ3番目の規模。 http://www.asahi.com/national/update/0530/TKY200505300123.html?t 【平成15年末現在】 組織別 構成員 準構成員 合計 構成比率 山口組 19600 17300 36900 43.3% 稲川会 5100 4600 9700 11.4% 住吉会 6500 5800 12300 14.4% これが、2005年02月03日の読売の記事によると、2004年末時点で、 山口組が 39200人で全体の45.1%を占めていて、 稲川会が 9500人で、 住吉会が 12600人とのこと。 山口組の増加と割合(比率)が圧倒的ですね。 【稲川会】 暴力団稲川会は、東京都港区に主たる事務所を置き、平成11年末現在の勢力範囲は1都1道22県に及び構成員(組員)約5300名、準構成員(準組員)約4100名、合計約9,400名を擁するといわれ、東日本有数の広域暴力団です。 この稲川会は、現総裁、稲川角二(聖城)が一代で築き上げた団体です。 稲川角ニは、大正3年横浜で生れ、昭和14年、25歳のころ神奈川県下で1、2を争う博徒、堀井一家三代目(通称片瀬一家)親分、伝兵衛こと加藤伝太郎に実力を見込まれ子分盃を受け、博徒として第一歩を踏み出したといわれています。 昭和16年に至り、当時関東一の親分と称されていた網島一家二代目、通称鶴岡一家親分、鶴岡政治郎の代貸となりましたが、終戦後の昭和23年、静岡県下の温泉郷、熱海市内でいわゆる戦勝国となった不良連中が横暴を極めた際、地元を縄張りとしていた博徒山崎一家の要請を受けた鶴岡政治郎の命により、熱海入りした稲川角ニは、またたくまにこれらを制圧しました。その功績を買われて山崎一家の縄張りを譲り受けた稲川角二は、熱海、湯河原一帯に縄張りを確立、熱海市を本拠として「稲川組」を誕生させたのが、現在の稲川会の始まりといわれています。 その後、名称を「鶴政会」「錦政会」「稲川一家」と改称しながら各地に進出して勢力の拡大を図り、昭和47年11月に現在の「稲川会」に改称しています。なお、その間、昭和34年には稲川興産(株)の看板を掲げ東京都内の進出も果たしています。 さらに、昭和60年10月、組織改編を断行、稲川角二は会長から最高位である総裁に就任、二代目会長には石井進を指名しましたが、平成2年10月には、稲川角ニの実子、稲川土肥が三代目会長となって現在に至っています。 このように稲川会は、稲川角二が一代で確立した組織だけに、絶対的な権力を有する総裁のもとで統制をされており、一枚岩の団結を誇っていますが、一方、他団体に比較し厳しい上納金徴収制度を取っているともいわれ、傘下団体の中には、上納金の捻出に苦しみ、不義理や滞納によって降格、破門などの事態も出ているといわれています。 なお稲川会も現在、暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律に基づき、東京都公安委員会から「指定暴力団」に指定されています。 http://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini34.htm 五代目山口組の若頭が決定した http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200505110000/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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