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─ 灼熱 ─

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2006年03月27日
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いまから約半年前に日露戦争終結からちょうど100年を迎えたが、それと合わせるように昨年11月に『日露戦争に投資した男』という本が出版された。内容は、「日露戦争を国際的視点で理解するための地図を埋めるキーパーソンが・・・ドイツ生まれのアメリカ人銀行家ジェイコブ・シフである」…とまえがきにあるように、当時の金融界の巨人クーン・ローブ商会のジェイコブ・ヘンリー・シフについてである。

シフは叙勲のため日本に招待されたわけだが、そのときにシフが見た日本が「日記」に描かれてるので、日本近代史の一面をユダヤ系アメリカ人の視点から書き残しているのが本書に訳出された「日記」である。このシフが書き残した「日記」は、本書が初めて日本に訳出紹介したものだという。

明治天皇が外国の民間人を宮廷での食事に招いたのはジェイコブ・シフが初めてと言われている。この「ミカドの謁見」が行なわれたのが、1906年3月28日であった(明日でちょうど100年)。

ジェイコブ・シフはユダヤ系ドイツ移民の銀行家であるが、シフのことについて書かれた文書は多くあるのでここでは簡単にシフという人物を説明して、あとは「シフ滞日記」を取り上げることにする(予定)。


1904年、日銀副総裁の高橋是清は深井英五(のち日銀総裁)ただ1人を同行して、日露戦争の戦費調達のためにニューヨークとロンドンに向かった。高橋は米国内で公債を発行することは無理だと判断し、すぐにニューヨークを発ってロンドンに渡った。当時の世界の金融センターはロンドンである。ここで高橋が出会ったのがクーン・ローブ商会の代表ジェイコブ・シフだった。

ジェイコブ・シフは、1847年1月10日にドイツ・フランクフルトで5人兄弟の次男として生まれた。次の画像にあるように、シフ家は1400年代まで系図を遡れるようなので、シフ家は少なくとも5百年以上の歴史を誇る。


画像クリックで拡大
ジェイコブ・シフは下から2列目の左から3番目


フランクフルトの旧ユダヤ人街でシフ家の祖先は、1軒の家をロスチャイルド家と共有して住んでいた。シフの家の側には船(Schiff)が、ロスチャイルド家の側には赤い盾が描かれてあり、両家の姓はこれに由来している。

シフがフランクフルトを出発しニューヨークに着いた1865年8月という時代は、南北戦争終結から4ヶ月ほどが過ぎたころだった。ここでシフは、株式仲買業者のフランク・アンド・ガンズ社に雇われ頭角を現わす。そしてシフがヘンリー・バッジと共にバッジ・シフ商会の共同経営者となったのは、シフが20歳を迎える前のことだった。シフが帰化したのは1870年である。

1872年、共同経営者のバッジが家庭の事情でドイツに戻ることになると、バッジ・シフ商会は解散した。翌年、シフは母国ハンブルグにあるウォーバーグ銀行に誘われるが、シフの父モーゼスが亡くなったことからフランクフルトに戻った。ここでエイブラハム・クーンに誘われたのが、ニューヨークのクーン・ローブ商会である。1875年にシフは再びニューヨークに戻ってクーン・ローブ商会に入った。そして同年、シフは同社の共同経営者ソロモン・ローブの娘と結婚した。上の系図にあるように、シフには1876年に娘フリーダが、翌77年には息子モーティマーが生まれている。

1839年にアメリカに来たクーン・ローブ商会の創業者エイブラハム・クーン(ドイツ系ユダヤ)は、10年後、インディアナ州で衣類の卸売業を経営していたときに縁戚のソロモン・ローブを呼び寄せた。ソロモンはエイブラハムの妹と結婚し、共同経営者となる。1867年、ふたりはニューヨークに移って金融業者クーン・ローブ商会を設立。そして1875年に加わったのが、ジェイコブ・シフである。

クーン・ローブ商会が「比類なし」と称されるほど急成長したのは、シフとその人脈にあったと言えるだろう。クーンが引退し1885年にローブが亡くなると、シフがクーン・ローブ商会を受け継いだ。この時代の多くのユダヤ系の銀行が自分の名を社名にしていたのに、シフがそうしなかった理由はわからない。わからないが、シフはクーン・ローブ商会の“代名詞”である。のちにFRB創設の主役ポール・ウォーバーグが合流することになる。

クーン・ローブ商会は国債を取り扱いながら鉄道事業に参入していく。鉄道事業ではハリマン家と組み、ここに日露戦争後の満州における鉄道利権も動き出す。

「定説」では、ロンドンで高橋是清とシフが出会ったことやシフが公債を引き受けてくれたのは“偶然”とされているようだが、これは違う。シフは日本の公債を引き受けるために高橋のまえに現われたのである。シフは日露開戦前の1904年2月上旬にシフ邸で開かれたユダヤ人指導者の会合で「72時間以内に日露間で戦争が勃発する。日本の公債引受の問題が提起されているが・・・」と語っている。シフは日露開戦を事前に知っており、日本の公債引受の打診さえ受けていたのだから。

「わが政府は、シフがしたことをけっして許しも忘れもしない。彼ひとりがアメリカ市場における日本の資金獲得を可能にした。海外でわれわれに敵対するもっとも危険な人物である」と、1911年にロシアの大蔵大臣ココフツォフは語った。日露戦争の戦費は17億2121万円と日清戦争の9倍に達した。

1920年にシフが亡くなるとクーン・ローブ商会も徐々に衰退していったように見えるが、この金融界の巨人クーン・ローブ商会を“吸収”したのがリーマン・ブラザーズである。

1939年にはシフの孫ドロシーが36歳でニューヨーク・ポストを買収し社主となった。ドロシーはルパート・マードックに同紙を売却するまで37年にわたって社主として君臨していた。

ロックフェラーの財政顧問は、ユースタス・マリンズによると、クーン・ローブ商会のルイス・シュトラウスが務めており、ロックフェラーの投資はクーン・ローブ商会の承認を受けていたようである。シュトラウスの後任がJ・リチャードソン・ディルワースで、彼もクーン・ローブ商会の共同経営者であり、ディルワースはロックフェラー一族全体の財政担当となり、ロックフェラーセンタービルの56階で1981年までロックフェラー家の口座のすべてを監督していたという。

ジェイコブ・シフ(クーン・ローブ)もクーン・ローブ商会を吸収したリーマン・ブラザーズも連邦準備制度(FRB)の本源と言えるニューヨーク連邦準備銀行の株主であるが、ジェイコブ・シフが生きた時代こそ、世界の金融センターがロンドンからニューヨークに移植された時代であった。



以下に本書から「ミカドの謁見」の様子を紹介する。

ジェイコブ・シフがニューヨークから日本に向かって旅立ったのは1906年2月22日で、途中ハワイにも立ち寄りながら横浜に到着したのは3月25日。日本側の気の使いよう便宜のはかりようも、相当なもんである。

シフが横浜に到着し、必要な手続きを終えたあとの「シフ日記」にはこうある。

「この手続きが終わると、たくさんの人間が船上にやってきて、その中にニューヨークですでに会っている高橋(是清)氏の私設秘書深井(英五)氏の姿を認めた。深井氏は、北島(亘)氏を連れていた。深井氏の説明によると、北島氏は日本銀行から派遣され、日本滞在中すべての行程に同行して便宜をはかり、何ごとも計画どおりになるよう手配してくれるとのことだった。北島氏の下に、さらにガイドが2人ついていた」(3月25日)

次は3月28日の日記から抜粋する。

「わたし個人にとっては大きな祝祭の日である。ミカドの謁見が11時半と予定され、そのあと昼食が供されることになっていた。天皇が外国の民間人を宮廷で食事に招いたのは今回が初めてと聞いた。これ以前は、わずかに外国の王子たちがこの栄誉に浴しただけである。阪谷蔵相が後見人となり、わたしを謁見のために皇居に案内することになっていた。
(中略)
まず、大きな客間に通されると、長崎宮中顧問官が出迎えた。流暢な英語を話し、天皇はわたしひとりを謁見すると蔵相に告げた。彼は部屋を退出するとほどなく戻り、わたしに旭日章を授与するよう陛下の思し召しがあったと告げた。天皇が慈悲深くも下さるというのだ。よって、彼はわたしが昨年受けた勲二等瑞宝章をはずし、勲二等旭日重光章のふたつの勲章に替えた。
つづいて長い廊下を抜け、小ぶりな接見の間に入ると、天皇が立ったまま出迎えた。彼は軍装で旭日章とさまざまな勲章を付けていた。長崎氏が通訳として傍にいた。天皇は手を差し出し、日本の危機に際して重要な貢献をしたと聞いている、こうして会って感謝する機会が得られて喜ばしいと歓迎の挨拶をした。
わたしは、自分の役割が過大評価されていると思うが、当初から日本の動機を正義と信じていた同志とともに、その共感を実際に証明する機会が来たので、喜んで応じたのですと答えた。・・・何よりも心から暖かく謁見して下さったことで十分報われましたと言葉を続けた。
天皇はわたしの言葉に感謝の意を表し、このあと午餐会の席で会おうと述べた。わたしは退席し、ご一家専用の食堂に案内された」


翌3月29日には華族会館(旧鹿鳴館)で日銀幹部が晩餐会を開いた。出席者は、首相の西園寺侯爵をはじめ閣僚のほとんど、金融界と産業界を代表するひとびとなど。ホスト役を高橋是清が務め、晩餐会の終わり近くに高橋がスピーチをしたが、文字数がオーバーするので省略。高橋のスピーチ後に謝辞としていくつか話をしたあとのことについて、シフは日記にこう書いている。

「謝辞としてふさわしい逸話をいくつか話してから、わたしは真剣に、新たな起債をして国家に過重な負担を負わせることの危険を忠告した。とりわけ、日本に価値ある資産がないことは、高い信用がないことと同じだという事実を詳しく説明した。信用は、日本が世界の市場で重ねて得てきたもので、周到に守るべきものなのだ」


前半が長くなったので予定通りには「滞日記」を紹介できなったけど、この辺で終わりにする。明日は「ミカドの謁見」からちょうど100年である。ジェイコブ・シフという金融家についての“評価”を、見直す必要があるのではないかと考察してみるのもよい機会かもしれない。クーン・ローブを“内包”しているリーマン・ブラザーズは、今後3年で日本の人員を倍増させるってさ(記事はコメントに転載する)。



『日露戦争に投資した男』
ユダヤ人銀行家の日記


第1章 ウォール街の巨人ジェイコブ・シフ
第2章 シフ滞日記 ―─Our Journey to Japan──


日露戦争に投資した男―ユダヤ人銀行家の日記―
http://book.shinchosha.co.jp/cgi-bin/webfind3.cfm?ISBN=610143-2

日露戦争に投資した男(まえがきはこちらで読める)
http://book.shinchosha.co.jp/books/html/4-10-610143-2.html



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最終更新日  2006年03月27日 16時55分54秒
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