ロスチャイルド家
現在のアメリカに動く資産の大部分は、昔の大財閥から生まれ、政権とCIAの人脈も同じ大財閥に育てられた。これら当主は、大部分が第一線のビジネスマンから退き、遺産相続人として巨大な資産を有する投資家に変貌している事実を見てきた。ところがこの広大な地球上に、たったひとつだけ、一族の直系相続人が多数、第一線のトップ・ビジネスマンとして活動を続ける大財閥ファミリーがある。それはアメリカに生まれた一族ではなく、ヨーロッパに誕生し、全世界の金融、石油、情報機関、原子力、軍事、政治、食品、メディアを支配するロスチャイルド家である。ナポレオンの時代から活躍してきた一族が、20世紀末のコンピューター時代にも現役で活動している姿には、驚くべきものがある。その役職や邸宅の一部を記すと以下の通りである。◇イギリス家当主 ジェイコブ・ロスチャイルド男爵1936年生まれ。80年以後のファイブ・アローズ証券会長。J・ロスチャイルド・ホールディングス社長。ロスチャイルド投資信託(RIT)キャピタル・パートナーズ会長として、ジョージ・ソロスらの金価格操作やヨーロッパ各国の企業買収、CIAレポートなどに暗躍。◇アムシェル・ロスチャイルド〔ジェイコブの異母弟〕1955年生まれ。世界一の酒造業者ギネス家の令嬢アニタ・ギネスと結婚し、ロンドン・ロスチャイルド銀行の資産運用会社ロスチャイルド・アセット・マネージメント会長として、世界貿易の背後で大掛かりな投資活動を展開していたが、96年7月8日に謎の自殺を遂げた。◇エマ・ロスチャイルド〔ジェイコブの妹〕1948年生まれ。ストックホルムのオロフ・パルメ記念財団理事。◇エドマンド・ロスチャイルド〔ジェイコブの父ヴィクターの再従弟〕1916年生まれ。ロンドン・ロスチャイルド銀行会長(70~75年)、重役(75年以後)として中心的に活動。タバコ会社のダンヒルとロスマンズのほか、アライアンス保険の重役をつとめ、ウラン・カルテルを形成したカナダ開発の中核として、ブリンコ副社長、ファイブ・アローズ証券の重役を歴任。イギリスのサウザンプトン近くにエドマンドの父ライオネル・ロスチャイルドが1919年に土地を買って22年かけて巨大な造園工事をおこない、エクスベリー・ガーデンと呼ばれる夢のような庭園をつくる。ライオネルは「趣味で銀行家をやっているが、本業は庭師だ」と語ったが、ヨーロッパ全土の力を集めても庭師の資産に勝てなかった。以来そこに、代々一族が受け継いできた邸宅エクスベリー・ハウスがあり、敷地が10万坪の広大な田園に、しばしばエリザベス女王も訪れる。森と湖ばかりか狩猟、乗馬、何でもできる天国。ここに10の館が聳えて、みな一族が住む。エドマンドの娘シャーロットは1955年生まれで、自称オペラ歌手だが、歌声はともかく、体格と資金は5代前の金融王として全ヨーロッパを支配したネイサン・ロスチャイルドそのままの女性。◇レオポルド・ロスチャイルド〔エドマンドの弟〕1927年生まれ。ロンドン・ロスチャイルド銀行重役、サン・アライランス保険重役のほか、70~83年にイングランド銀行理事を歴任して、サッチャー首相の経済政策について事実上の支配者となる。◇イヴリン・ロスチャイルド〔エドマンドの従弟〕1931年生まれ。99年現在ロンドン・ロスチャイルド銀行会長として、毎朝、全世界の金価格を決定。ニューコート・セキュリティーズ社長、デビアス重役、ファイブ・アローズ証券重役、パリ・ロスチャイルド銀行重役、金塊業者ジョンソン・マッセイ大株主、経済紙エコノミスト会長など、数多の金融機関と企業幹部を兼務。82年3月1日の国籍をスイスに移し、以後しばしばチューリッヒのロスチャイルド銀行が関与したと噂されるインサイダー取引き事件で疑惑が浮上。◇フランス家当主 ギイ・ロスチャイルド男爵1909年生まれ。戦時中はドゴールの密使をつとめたが、49年に父の死後パリ・ロスチャイルド銀行の資本金の半分を握って頭取就任。ニューヨーク・ロスチャイルド証券会長、メリル・リンチの中核細胞となったニューコート証券社長、日本に進出したファイヴ・アローズ証券会長、リオ・チント・ジンク重役を歴任して全世界のウラン・カルテルの頂点に立つ。フェリエールにある歴代の邸宅はギイの手で大改装され、敷地は地平線の彼方まで広がる領地で、農民600人が住む。18世紀ロココ調の邸内はクリスタル・ガラスと黄金の格子細工のシャンデリアのほか、至る所に宝石がちりばめられ、浴室の蛇口は純銀、金の象眼細工、ゴブラン織、鼈甲細工など財宝の山に囲まれる。ギイの2人目の妻マリーエレーヌは、直系のロスチャイルド一族。彼女の祖母エレーヌ・ロスチャイルドは、あり余る資金を使って、オランダで最も有名なデ・ハール城をユトレヒト郊外に再建した。14世紀の古城を復元するその工事は1892年から1912年まで20年の歳月を費やし、アムステルダム中央駅や国立博物館を設計したオランダ随一の建築家ペトルス・コイペルスが指揮するなか、数百人の芸術家と職人が従事した。内部は建築というよりルイ王朝風の芸術品の宝庫で、絢爛豪華な大ホールの彫刻、柱と壁の文様、調度品、ステンドグラスなどに圧倒される。邸内の敷地には厩舎から教会、バラ園、乗馬コース、テニス・コート、レストランのほか、鹿が走り回り、運河まであるひとつの村。城内には発電機もあり、ギイの義弟にあたるハーヴァード大学出の現代当主ティエリーがそこに住む。◇ダヴィッド・ロスチャイルド〔ギイの息子〕1942年生まれ。92年以来ロンドン・ロスチャイルド銀行副会長。ロスチャイルド・ヨーロッパ社長、ロスチャイルド・カナダ会長、ジュネーヴのバンジャマン&エドモン・ロスチャイルド・ホールディング顧問など兼務。◇バンジャマン・ロスチャイルド〔ギイの再従弟エドモンの息子〕1963年生まれ。父エドモン・ロスチャイルドは、1926年生まれで97年に死去したが、パリ・ロスチャイルド家の数えきれぬ遺産を受け継ぎ、ナポレオン三世が愛人のために建てたパリのシャンゼリゼの大邸宅に住み、ミュージック・ホールのダンサーだった妻ナディーヌはしばしば来日して有名。デビアス重役のほか、ロスチャイルド財閥の持ち株会社である北部会社、世界一の観光会社である地中海クラブ、イスラエル・ジェネラル銀行、フランスのスーパーなど数多くの大会社で重役を兼ね、フランスの長者番付の常連だった。スイスのレマン湖のほとりにシャトーがあり、邸内はレンブラント、ゴヤ、ルーベンス、チェリーニなど美術品の宝庫で、フランスにも城のような邸宅があった。エドモン死後、息子のバンジャマンがこれら一切を相続し、デビアスの支配権も握る。ジュネーヴのバンジャマン&エドモン・ロスチャイルド銀行会長のほか、チューリッヒのロスチャイルド銀行重役をつとめる。つまり彼らは、世界金融の総本山を成す財閥であって、シャトーに住んで150年前のワインをたしなむ男爵家の富豪であり、同時に、200年間も第一線のビジネスマン、ビジネスウーマンとして驚異的な活動を続けてきた。ウォーバーグのようなユダヤ系の大金融業者でさえ、「ロスチャイルド家と共に事業をできることは生涯の夢であり、それが叶った時には狂喜したものだ」と述懐している。