吾が輩は野良猫である

2011/02/11(金)16:50

ドクターストップ。

 どれほど優れた効果のある薬を飲んでみても病気が良くなる事はない。毎日大量の薬を飲む事が日課の一つになり、慣れ親しんだことであったとしても時々弱音を吐きたくなる。  言い知れぬ不安と孤独に押し潰され、希望が尽く手の平から零れ落ちていく。昨年12月に心不全のため緊急入院し、約3週間あまり治療を続けた後に退院を果たしたが、その一週間後には再び心不全が増悪し自宅安静を言い渡された。  わたしの場合心不全は慢性化しており、それを大量の薬で補いつつ心臓への負担を軽減しているが、これ以上の回復が望めず、リハビリを兼ねた仕事も断念せざるを得なくなった。  2月3日、循環器外来にて主治医から「仕事は無理」と告げられる。事実上のドクターストップであった。わたしは「まだやれる、頑張れる」と自分に言い聞かせ続けて来たが、右心不全の症状に悩まされながらの労働は心臓を更に悪化させるだけであった。  血液が身体の末端にまで行き渡らず、手足の指先は温もりを全く失っていた。内臓(特に腸)は激しく浮腫み、極度の便秘が一週間以上も続き、体重は更に増え心臓を圧迫する。  23年前に余命一年を宣告された時もドクターストップが掛かったが、希望を失う事は全くなく、死への恐怖感すら感じる事はなかった。手術をすれば元気を取り戻し健常者と同じように働く事も可能という生への「確約」があったからだった。  二度目のドクターストップでは「成す術なし」と言う現実を突き付けられ、さすがのわたしもショックを隠せず、心がバラバラに折れてしまった。  外来を終えた後、勤務先に連絡を入れそのまま港区にある会社へと向かった。約二ヶ月振りにわたしの姿を見た女性社員が「神戸さん、元気そうで良かった!」と笑顔を交えながら声を掛けてくれた。  見かけだけでも元気に見えるのは、他人に自分が病気である事を悟られまいとするわたしなりの精一杯の防御本能だった。  人事部担当者と一時間ほど面談を交わし、病気のため退職することを申し出た。  「元気になって働けるようになったら戻って来て下さい、神戸さんのスペースは残しておきますよ」  消えかけていた希望に灯りが点った瞬間だった。

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