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吾が輩は野良猫である

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その他

2014.08.18
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テーマ:ブログ中毒(771)
カテゴリ:その他

 

ビーチサイド.JPG

 

残暑お見舞い申し上げます。

お盆休みも終わり吹く風も何処となく秋の気配が漂っておりますが、皆さま如何お過ごしでしょうか。

私は、1月から2月に掛けて入院生活を送りましたが、その後は何とか現状維持のまま現在に至っております。厳しい食事制限、水分制限、タンパク質制限で中々厳しい日々を送っております。

さて、楽天ブログの更新がすっかりストップしたままになっておりますが、画像容量、トラックバックなどの諸問題で、現在FC2ブログにて記事を展開しております。

楽天ブログを閉鎖するつもりはございませんが、今後はFC2ブログをメインとして活動して行きますので、読者の皆様、宜しくお願い致します。

ビーチサイドの人魚姫 ←こちらをクリック願います。

コメントを頂ければそちらにお伺いしてレス致しますので宜しくお願い致します。

管理人:神戸 俊樹

 







Last updated  2014.08.18 13:11:46
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2014.01.04
カテゴリ:その他
喪中.jpg

  先ずは新年早々、喪中の記事でスタートする事になってしまい申し訳なく思います。昨年12月15日、故郷の藤枝にいる伯母の「ふさ枝」が他界致しました。訃報が従姉から届いたのは年の瀬も押し迫る暮れ近くの事でした。

 従姉の話しでは、風邪をこじらせ暫く床に臥せっていたようですが、苦しむ事なく眠るように逝ったとの事。働き者で病気一つした事のない丈夫だった伯母の思い出は尽きませんが、わたしの事を自分の子どもたちと区別する事なく我が子のように可愛がってくれた事。

  小学生になって初めての母親参観に来てくれたのも伯母でした。綺麗な着物を着飾って後ろの方からわたしに微笑み掛けてくれた姿が今でも鮮明に心に焼きつい ております。わたしの大好物だったカレーライスの時は必ず家に招いてくれ、お腹がはち切れるほど食べさせてくれました。

  家に米がなくひもじい思いをしている時などは、それを察して袋に3合の米を入れ持たせてくれました。父の葬式の時もわたしの傍らに寄り添い、子どもの時と 同じように優しい言葉を掛け頭を撫でてくれたのです。わたしはもう18歳だと言うのに伯母からみればわたしはやはり我が子同然だったのかも知れません。

 伯母の存在のお陰で母の居ない寂しさを紛らわす事が出来たのだと思います。大好きだった人たちが次々とこの世を去って行く、それはとても悲しい事ではありますが、大切な思い出となって心の中に生き続けてくれる事でしょう。

 皆さん、大好きな人はいますか?いますよね…。いつまでも大切にしてあげて下さいね。慌ただし中で自分が喪中であった事をすっかり忘れてしまい連絡が遅れてしまった事をこの場を借りてお詫び致します。







Last updated  2014.01.04 18:25:30
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2013.05.22
カテゴリ:その他

二人の神田川.jpg

 

あなたと眺めた神田川

春のそよ風に触れて

今日も静かに流れてる

あなたと出逢った神田川

二人の想い出作りも

ここからだったわね

橋のたもとに腰掛けて

手と手を重ね見つめ合う

ファーストキスもここだった

キラキラ光る神田川

あなたキラキラ星の川

空の果てから見つめてる

わたし独り見つめる神田川

優しいあなたの神田川

さよならわたしの神田川







Last updated  2013.05.22 16:37:07
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2012.07.20
カテゴリ:その他
翼.jpg
 
空に一番近いこの場所で

少年は想っていた

ボクの見詰める視線の先は

この汚れた地上でなく

何処までも自由が広がる

この青い空だった

この澄み切った空には

ボクが抱える

苦しみや悲しみは

存在しないだろうと

だからこの空の

一部になりたかった

翼の生えた少年は

自由を求めて

空高く舞い上がった







Last updated  2012.07.20 16:50:54
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2012.07.15
カテゴリ:その他

 

アンケート.jpg
 

 

 事の重大さに漸く気付いたか、或いは世論の反応に促されたかは知らないが、滋賀県警による強制捜査のメスが自殺した少年の通っていた中学と教育委員会に入った。

 これまで少年の親が再三に渡り警察に被害届けを提出していたにも関わらず受理されることもなく、警察の対応は冷たく門前払いの繰り返しだった。

 警察の職務は一般市民の安全や命を守る事であるが、その一般市民には当然ながら子どもも含まれる。仮に親が地元の政治家や警察官だったとしたら、真っ先に学校、教育委員会、警察は真相究明に向けて動き出しただろう。

 何処にでもいるありふれた一市民は上記のような特別な存在ではなく、その他大勢の類いとして差別化されるのである。

  この世の中が如何に不公平に満ち溢れているか、このいじめ問題が歴然と物語っているだろう。教育の現場に警察の捜査が及ぶのは過去に例がなく前代未聞のこ とではあるが、この異例とも呼べる捜査はある意味に於いて『いじめは犯罪』である事を実証しているものとも受け取れる。

 13歳の少年がマンションから飛び降り自殺をしたのは昨年の10月、学校側は10月と11月に渡り全校生徒を対象にしたアンケートを実施したが、その内容について全面公開に至らずアンケートの一部分しか公表していなかった。

  2回目のアンケートに至っては、そのアンケートそのものが隠蔽されており、教育委員会の事無かれ主義と隠蔽体質が根深い事を浮き彫りにした結果となり、世 論から批判の声が殺到し、マスコミもこの問題を大きく取り上げ、9カ月も経ってから漸くわたしたちの元にも届くに至った。

  男子生徒がクラスメートから殴られたり、ズボンをずらされるなどの暴行を受けていた事実はアンケート結果によって判明した事ではあるが、2度目のアンケー ト結果では『自殺の練習と称して首を絞められた』、『葬式ごっこ』などの重大ないじめの回答があったにも関わらず、市教委はそれを『見落としていた』など とうそぶく始末。

 子どもたちの事より自分たちの立場を優先し、責任を取ろうとしない未熟な大人たちを見ていると、怒りを通り越して吐き気さえ催してしまうのである。

 少年をいじめた生徒はもちろん悪いが、それ以上に性質が悪いのはいじめを見て見ぬ振りをする傍観者たちである。その意味から言えば生徒も大人たちも同罪ではないだろうか。

 自殺した少年に『告白』する勇気があったなら、死なずに済んだかも知れないと思うと無念でならないのである。

 然しながら、中学生ともなれば思春期の入り口であり、多感な年頃でもある。最も信頼出来る親にさえ話せないのは親に心配を掛けたくないと言う優しさでもあるが、命を絶つ事によってしか解決の糸口を見出せなかったのであれば、それは余りにも悲し過ぎる事ではないだろうか。

 わたし自身も小中校時代、辛いいじめに苦しんでいた時期があったが、わたしはそのいじめから逃げる事なく敢然と立ち向かい、いじめ地獄から脱却した経験がある。

 昭和30~40年代の頃は、クラスに必ずいじめを止めに入る子どもが存在していた。忘れもしない、その子は『中村正子』と言うクラスメートだった。いじめグループ数人に取り囲まれ、わたしは彼らに突き飛ばされ、足を踏まれるなどしていた。

 その場にやって来た彼女は「あんたたち、そんな事して何が面白いの、止めなさいよ」と教室中に響き渡るほどの大声でいじめグループを一喝した。

  その言葉にしらけてしまったのか、いじめっ子たちはわたしから離れ散り散りになった。教師による暴力が日常茶飯事で許されている時代でもあったが、そこに は生徒と教師による信頼関係の証もあったし、生徒から見れば教師は絶対的存在でもあったが、いじめについては教師の力を借りて解決する事は一度もなかっ た。

 わたしもこの自殺した少年のようにズボンを脱がされた事がある。昼休み、いじめっ子の一人から声を掛けられた。

 「神戸君、ちょっと見せたい物があるから体育館の裏に来なよ」そう言って彼はわたしを無理矢理連れて行った。

 そこにはいつものいじめっ子たちが数人待っており、数人でわたしを体育館の壁に押し付け、手足が動けないようにきつく締め付けて来た。

 そしていじめっ子のボスがわたしの半ズボンに手を掛けると、一気に足の先まで摺り下げたのである。わたしは涙を堪え、声も出さず眼を閉じ必死でその屈辱に耐えていた。

 いじめっ子数人が口を揃えて「くっせぇー、きったねぇー」と連呼…。そしてそのパンツさえもずらしたのである。

 下着を買って貰えないほどわたしの家は貧しかったので、一枚のパンツを裏返しにしたりして何日も履き続けていたのである。

 当時、いじめに会う対象の子どもは現代とは違い、明らかに見た目などの差別化があった。毎日同じ服を着、風呂にもまともに入っていなかったからわたしの身体から異臭がしていたのは事実であった。

 隣の席の女子生徒がいきなり先の尖った赤鉛筆でわたしの手を思い切り刺して来たり、フォークダンスでは手を繋いでくれなかったり、床屋に行く金がなく髪を伸ばし放題にしていれば、「女だ、女だ」と男子生徒から罵声を浴びるなど言葉のいじめも多かった。

 いじめについて、わたしは父に一度も相談した事はなかったが、ある日、顔に青あざを作って家に帰ると、それに気付いた父が「喧嘩でもしたのか?」と訊いて来た。

 「うん…」「勝ったのか?」「負けた…」いじめによる痣ではなく喧嘩によるものだと嘘を付いた。「喧嘩は先手必勝だぞ」「やられる前にやっちまえ」次の日、わたしは父の言葉を実行したのである。

 複数を相手にすれば敵わないのは分かっていたので、いじめっ子たちを一人ずつ呼び出した。最も効果的だったのは生徒全員が揃っている教室でいじめっ子の一人を床に叩きつけた事である。

 それ以来彼らはわたしに対しいじめをぴたりと止めた。わたし以外にいじめられている者がいれば、そこへ割って入りいじめを止めさせた。

 わたしは暴力という手段によっていじめを克服したが、痛い目に会わなければ分からない人間が多すぎる。暴力を肯定する気持ちは爪の垢ほど持ち合わせていないが、それは時と場合による。

 学校や大人が子どもを守れないのであれば、子どもはどうすればよいのだ…。全国のいじめられっ子たちよ、今こそ勇気を奮い起し立ち上がるのだ。

 自分の身は自分で守れ、行政はいじめ問題に対しあれこれ対策を立ててはいるが、一向に減らないのが現状である。

 何の罪もない子どもたちが、これ以上無責任な大人たちの犠牲になってはならない。学校はいじめ問題を必須科目として授業の中に取り入れ一週間に一度でよいから、教師も交えて徹底的に論議する必要があるだろう。







Last updated  2012.07.15 18:18:46
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2012.05.04
テーマ:ニュース(89597)
カテゴリ:その他

 

2006070810_1306393543.jpg

 

  世界広しと言えども『土下座』をするのは日本人くらいのものであるが、その土下座という行為そのものは日本の文化である。

長い日本の歴史の中で、古くは邪馬台国の時代から受け継がれて来た儀礼であったが、時代の流れと共にその意味合いが微妙に変化して行った。

 陳謝や懇願の意を表す行為という意味に於いては特に変化はないものの、現在に至っては保身の為に行われる究極の危機回避術の体として用いられるようになったと捉える事も出来よう。

 企業の不祥事は兎も角として、国の治安を預かる警察は国家権力の象徴とも言えるが、その警察組織が危機的状況に追い込まれている。

 今年に入ってから立て続けに起こる警察官による不祥事、ニュースにもならないような話題性のないものから、マスコミがこぞって取り上げる問題まで大小様々であるが、わたしの知る限りでは1月から4月の間に起きた件数は約40件にも上っている。

 女子高生のスカートを捲くり尻を触るなどの痴漢行為、誤認逮捕、証拠品紛失、虚偽報告、暴行、下着泥棒、買春容疑、警察手帳偽造、隠蔽工作、現金窃盗、被害届先送り、飲酒運転等など数え上げたら限がないのとその内容に呆れるばかりである。

 そしてそれにとどめを刺すが如くに起きた京都府警亀岡署での情報漏洩問題。この事件はつい最近の事であるから皆さんの記憶にも新しい筈である。

 京都府亀岡市で起きた無免許運転の少年がハンドルを握る軽自動車が暴走し、小学校の児童ら10人が死傷した痛ましい事故であった。

 マスコミのカメラに自ら顔を晒し、「お腹の中の子どもは人じゃないんか…」と慟哭を必死で堪えながら語っていた父親の姿に思わず涙してしまった。

 その一方で部下を引き連れ謝罪に訪れていた亀岡署長の口からは言い訳めいた言葉ばかりで、謝罪とは程遠いまさしくその場凌ぎの言い逃れとしか映らなかった。

 被害者側の了解も得ずに、10人の住所や携帯電話の番号などを犯人(少年)の父親に教えてしまうという行為は決して許されるものではないのだが、その行為そのものに悪意はなかったと言う事だけは付け加えておくべきだろう。

 昨今蔓延っている『個人情報保護』という壁が時と場合によっては大きな障害になっているのも事実であり、正しく扱われて然るべき情報がその方向性を見失い、必要以上に過敏に反応する現代社会の職図を垣間見ているようで、歯がゆい思いをする事もしばしばである。

 日本の法律は被害者よりも加害者側の視点に重きを置くように作らているような気がしてならないと思うのはわたしだけではない筈である。

 亀岡署の事件で被害者の父親が心の底から訴えているのは法律の改正であった。同じような思いをしている遺族はおそらく全国に大勢存在している事だろう。

  法律は何の為にあり、そして誰の為のものなのかを今回の事件を通して今一度振り返ってみる必要がある。そしてまた、日本の警察は世界一優秀であったと過去 形になってしまっている現状を打破する為に、警察組織の大改革が必要に迫られている事を関係者は殊更強く認識しなくてはならない。

 







Last updated  2012.05.04 14:34:56
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2012.04.13
テーマ:花見(119)
カテゴリ:その他

 

桜

 

 4月6日、東洋大学の入学式(娘の)に出席する為、武道館へと足を運んだ。都営新宿線の九段下駅に降りた時点から既に混雑が始まっており、警備員が声を張り上げ誘導していた。

 混乱を避ける為の処置なのかエスカレーターが動いておらず、地上までの長い階段を上るはめになってしまったが、心臓の悪いわたしやお年寄りなどにとってみれば、階段昇降が苦痛の何ものでもない事は確かであり、少々配慮の欠ける対応に焦慮感を抱いてしまうのは当然だった。

  東京に住んで30年近くになるのだが、実はわたしが武道館へ出向くのはこれが初めてであった。1966年日本武道館で行われたビートルズのコンサートで、 初めて武道館の存在を知った訳であるが、それ以来わたしにとって武道館は東京タワーと同じく東京の象徴として心の中に焼き付いていた。

 人の波は途切れる事なく整然と一カ所を目指して続き、わたしもまたその流れに乗り迷う事なく目的地に着いたが、満開の桜が舞う中を歩くのも実に久しぶりの事であったし、娘の入学を祝うかのように降り注ぐ花弁の乱舞にわたしの心も躍動感に酔いしれていた。

 娘が選んでくれたネクタイを締め、スーツを着、息子の勇樹が誕生日プレゼントに購入してくれた靴を履き、ほぼ1年ぶりの正装は娘の新しい門出と同様、わたしにとっても人生の再スタートと言ってもよいほどであった。

  入学式は元自民党議員で東洋大学の総長でもある『塩川正十郎』氏の名誉博士授与式で幕を開けた。新入生約7千人とその保護者たちを合わせ1万4千人を超す 人々で会場は満席。養護学校出身でしかも中卒であり、教育というものに殆ど縁のなかったわたしからみれば、大学はまさに雲の上の存在のようなものである。

 その大学の何たるかを僅かでもよいから享受してみたいという願望も少なからずあったのは確かであるが、あらゆる価値観を持った者たちが集い学ぶ場所の頂点が大学であるとわたしは思っている。

  その尊い場所で多くの人々と出会い、中には人生を左右する運命の場所になる事もあるだろう。人生の師と呼べる人物との出会いや一生を共に分かち合う仲間も 出来るかも知れない。大学生活の4年間を自分の為、そして人の為、社会の為に悔いのないよう使って欲しいと願わずにはいられない。

 桜の木々を見下ろすように建っている銅像は『品川弥二郎』であるが、九段坂・牛ケ淵お濠沿いの九段坂公園内にある。

 戊辰戦争の際、新政府軍が歌った『トコトンヤレ節』(宮さん宮さんお馬の前にひらひらするのはなんじゃいな…)の作詞者であるとされているが定かではない。

 然し、この軍歌を何故かわたしも知っており、今でも口ずさむ事が出来るのは、おそらく小学生の時の社会科の教科書にでも出て来たのだろう。

 桜の花びらが散るように、戦争で多くの命が散って行ったのを懐かしむかのように見つめる弥二郎の視線の先には、東北の被災地がどのように映っているだろうか。

 心安らぐ本当の春、桜が東北を優しく包む日はまだ遠く、訪れはしない。桜が桜でいられるように、わたしたちも皆、人としてあり続けるように一日でも早く被災地の復興を願わずにはいられない。








Last updated  2012.04.13 18:24:48
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2012.03.26
カテゴリ:その他

 

休眠

 

 春を呼ぶ声が野山を駆け巡り雪解けの音が聞こえてくれば、野生動物たちも長い冬眠から目覚め、新しい季節の到来と共に活動を始める。

 昨年の大震災から一年が過ぎ、東北の地から元気な声が少しずつ届き始めて来たとは言え、地震と大津波の傷跡は今もなお色濃く残り、復興の足取りが順調に進んでいるとは言い難い状況である。

 その様な中で急浮上したのが『休眠口座』。これを巡り、銀行側と政府が対立の度合いを深めているが、復興財源の捻出に四苦八苦している政府の思惑と、金融業界の言い分を傍観していて思ったのだが、まるで獲物を横取りするハイエナを連想してしまった。

 10年以上に渡って預金の出し入れがない所謂、金銭が休止した状態の現金の事であるが、この休眠預金について、早速わたし自身も自分の通帳をかき集めてみると、静岡銀行、太陽神戸銀行、第一勧業銀行、三和銀行、城南信用金庫、みずほ銀行、三菱東京UFJ銀行...これら7行の通帳が見つかった。

 静岡から東京へ引っ越しし、更に都内各地を転々とした生活を送っていたので、それに伴い通帳も増えて行ったのだが、給料が手渡しから振り込み式に変わって来ると、嫌でも自動的に口座を開設せざるを得なくなる。

 わたしの様に職場を転々とすれば更に通帳は増えて行く。現在使用中のメインバンクは問題ないが、過去に作った通帳については銀行そのものが統廃合などにより名称が変わってしまい、口座の残高など煩雑な手続きを踏まなければ結果に辿り着く事さえ出来ない。

 通帳を放置したまま金銭管理を怠った者にも責任はあるが、1万円以下の預金口座に対し、銀行側からのアプローチが手薄というのも考えものではある。

 毎年900億円という莫大な現金が休眠という形で発生している現状に対し、金融機関や政府そのものが何の手立ても打たず、民法や商法に基づいた形で預金者の権利喪失として銀行側の利益に回し、蔵の中に眠らせておくという埋蔵金と、それを掘り出したい政府の台所事情が如何に切迫しているかがよく見えて来る。

 何れにせよ『ゆうちょ』の分も含めれば、1千億円を超える現金が活かされないまま冬眠から目覚める事なく今後もこのまま続くとなれば、預金者自身が一斉に解約へと突き進む事になるやも知れぬが、既にその予兆は現れ始めており、銀行のコールセンターはその対応にてんやわんやだそうである。

 ある銀行OBの話によると、「通帳一つ作るのに約2千円のコストがかかる」らしい。それを前提にこの休眠口座を捉えてみると、『10年過ぎれば口座忘れる』で銀行側の利益として当然と言う、意図的な放置とも受け取れるのである。

 このデジタル一色の時代に、銀行口座管理においてのオンライン管理が10年までであり、それ以降はアナログの紙伝票に化けてしまうというのも納得の行かない話である。

 休眠口座を活用しているイギリス、韓国などからも情報を得て、銀行と政府から独立した休眠口座専用の窓口システムを創設し、出来る限りの早い段階で有効活用へとリサイクル運用すべきではないだろうか。







Last updated  2012.03.26 18:30:56
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2012.03.08
カテゴリ:その他

 

防衛

 

 先月、心不全のため自宅静養中に有り余る時間を持て余しており、日中の時間潰しの積りでNHKの国会中継にチャンネルを合わせると、田中直紀防衛大臣と野党の間でおかしな珍問答を繰り広げていたのでつい見入ってしまった。

 普段であれば退屈極まりない議員たちの他人事のような国会答弁などに見向きもしないのだが、田中防衛相のお笑いトーク番組ばりの陳腐な的外れ答弁と、野党議員たちの嘲笑的な追究にしどろもどろする田中氏が国会中の晒し者になっている様子に、同情を通り越して憐れみさえ抱いてしまった。

 然しながら、国の防衛を司る要衝のトップに位置する防衛大臣として、日本が抱える普天間基地移設問題や自衛隊の国外活動(PKO)等について余りにもその知識が欠如している事に、国民目線から見ても明らかに田中氏を防衛相に任命した野田首相の人選ミスとしか言いようがない。

 更に呆れたのは、審議の最中に無断で約20分以上も『行方不明』になるという前代未聞の『珍事件』とも言えるような行動に審議が中断するというハプニングまで引き起こす始末。

 小学生でも授業の途中で具合が悪くなったり、トイレに行きたくなれば教師に断ってから離席するというもの。

 国会審議や政治そのものの重要性について全く理解していないと思われても致し方ない、まさに消えたり現れたりする存在感の無さは亡霊そのものだとは言い過ぎだろうか。

 田中直紀氏を支持する人たちには悪いが、この人は全く政治家に向いていない、政治家ではあるがこのような人を『うどの大木』と言うのかも知れない。

 夫人の田中真紀子氏がいなければ、おそらく政治家にはなれなかっただろうし、本人も政治家の道を歩むような事はなかったのではと思える。

 もちろん、彼は彼なりに努力はしているだろうし、田中氏の長所とも言える人の良さは個人の人間性を際立たせるものではあるが、視点の置き場所が大きくずれているような気がしてならない。

 おそらく防衛大臣というポストではなく、彼の長所を最大限発揮出来る場所が残念ながら現在の日本の政治の中には存在しないのかも知れない。

 それはさて置き田中防衛相の素人振りに対し、自民党のいじめにも似た専門用語を次から次へと並べ立てる様はクイズ番組か果ては学力テストかとさえ思わせるようで、日本の低レベル政治の行き着く場所が不毛地帯と言うのは余りにも虚しすぎるのではないだろうか...。







Last updated  2012.03.08 16:38:28
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2012.03.03
カテゴリ:その他

 

火の用心

 

空気がカラカラに乾燥する冬場は、春や夏など他の季節と比べて火災の発生件数が圧倒的に多い。放火、不審火、自然発火などは別として出火原因は様々であるが、不注意による人為的なものが大半を占めている。

 原発事故が発生した昨年以降は節電モード一色に染まり、電気使用量を減らす為にエアコンの使用を止めて、倉庫の奥に仕舞い込んであった石油ストーブが暖を取る主役に変わるなど、日常生活そのものが大きく変化し始めている。

 新品を購入した場合は特に問題はないのだが、古いストーブなどを使う時、手入れを怠りそのまま使用して思わぬ事故を招いてしまうというケースも目立っているようだ。

 先頃、大阪市北区角田町の市営地下鉄ホーム内にあるゴミ集積倉庫で火災が発生し、一時、駅構内が騒然となり当時ホームにいた乗客約3千人が駅員の誘導で全員避難、御堂筋線の上下で運行を一時ストップし、約12万人に影響が出た。

 その後の調べによると清掃作業員らが「火が出る30分ほど前に倉庫内で煙草を吸った」と証言しており、確証はないものの出火原因が煙草の火の不始末による公算が大きいと思われる。更に、倉庫で煙草を吸う行為そのものが日常的になっていた事実も判明しており、一歩間違えれば大惨事を招いた可能性もある事から、清掃業務を委託した側として、橋下大阪市長自らが最終的責任を果たし、然るべき対応を考えていくものと思われる。

 この火災発生より数日前には、東京都板橋区で幼児2名が死亡した住宅火災があった。出火元とみられるリビングで、煙草の吸殻やライターが見つかっている事から、火の不始末、或いは火遊びが原因ではないかと思われる。

 死亡した姉妹の死因は一酸化炭素中毒とみられているが、「煙草を吸っていない、室内に火の気はなかった」と説明する母親の言葉に偽りがないとするならば、やはり姉妹の火遊び説が濃厚になって来る。

 2010年以降に義務化された『チャイルド・レジスタンス』は、ライターを原因とする幼児の焼死事故が多発した事が背景となっているが、この家で見つかったライターにはCR機構のない古い使い捨てライターだったようである。

 煙草を吸う吸わないに関わらず、ライターはどの家庭にも一つ位はあるものである。昔は火を起こすのにマッチが必需品であったように、現代ではその燐寸に代わりライターが主役となっている。発火原因となる物を挙げれば電化製品に囲まれた現代社会では、至る所に火災のリスクが潜んでいる事がよく分るだろう。

 皆さんも火元には十分気を付けて頂きたいが、わたしも実は過去に2度火災に遭遇している。過去の記事で話した記憶もあるのだが、1度目の火災は23歳の時、上京する前に横浜に半年ほど住んでいた時期があった。

 その年の暮も近い12月の事だったが、藤枝の実家が全焼してしまった。出火原因は神戸家の裏にある貸家に住んでいた住人の寝タバコであった。強い北風に煽られた業火がまたたく間に100坪近くあった実家を焼け野原に変えてしまったのである。

 然しそんな大火にも関わらず、燐家の『小川国夫邸』には一切飛び火せず、他の家にも影響は全くなかったのは不思議であったが、神戸家の庭には樹齢数百年と思われる大木が数本立っていたり、庭の中央辺りには『お稲荷さん』を祭ってあったのだが、なんと、このお稲荷さんだけが全く焼けずに残っていたのである。

 そしてこの火災が『お稲荷さんの祟り』だと言う噂が流れ始めたのであるが、祖父が他界してからというもの、お稲荷さんの管理を怠り、放置したまま荒れ放題になっていた事から、この祟り説が不気味な現実味を帯びて来たのは想像が付く。

 そして2度目の火災は33歳の時、大田区蒲田に住んでいた自分の部屋から出火し全焼...。この時もまた同じく他の部屋には全く影響はなく、自分の部屋だけが黒焦げ状態に。国から届いた援助は赤十字のマークが入った毛布一枚のみであった。

 この時、初めてわたしは『難民』の気持ちを理解したのである。出火原因は結局分らず、蒲田警察署に呼び出され、屈強そうなガタイの大きい刑事に散々説教を食らった時の事を鮮明に覚えている。

 然し、全焼した筈の黒焦げの部屋から、ある大切な物が燃えかすにもならず無傷のまま残っていた、それが『詩集・天国の地図』の手書き原稿であったのである。これはもしかするとこの詩集が世に出る為の執念を原稿自体が持ち合わせていたと言うある意味奇跡的な事象だったのかも知れない。

 現代社会の核家族が叫ばれるようになってから久しいが、わたしが子どもの頃によく聞いた『火の用心マッチ一本火事の元』が、今では殆ど聞かれなくなった。この世に火事ほど恐ろしいものはなく、自分たち家族だけではなくよそ様まで不幸の渦に巻き込んでしまう事に対し、地域全体で協力し合いながら災難を防ぐと言う防災の在り方が、昨年の震災以降には大きく見直されつつあるものの、東京のような大都会では、隣人の顔や名前さえ知らないという、『無関心』が孤独死や餓死などといった惨い状況を作り出している。

 「火の用心」カチカチと拍子木を叩く樫の木の音色が人の心に響くような社会になって頂きたいものである。

 因みに、『火の用心マッチ一本火事の元』は昭和28年(1953)に東京消防庁によって選ばれた標語である事をお伝えしておきたいと思う。そしてまた、『火の用心』は徳川家康の命を救った『本多作左衛門重次』という武将が戦場から妻へ送った手紙の内容『一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな 馬肥やせ』から来ている事も付け加えておく。







Last updated  2012.03.03 15:39:26
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