61 名前:カゼへぼー゙ら 投稿日:04/03/14 17:41
あくまで個人的な、僕個人の考えで言えば、ですが。
僕自身は 「後ろめたく無い」 し、「フィクションにおいて個人がどの様な嗜好を持っていても、それを後ろめたく感じる必要は無い」
という考えです。
まず大枠で言いますと、フィクションはあくまでフィクションです。
それがどんなに卑俗でくだらなく不健全で気分の悪いものであったとしても、フィクションです。
それらを好むという嗜好それ自体は、個人の意識の中にある限りに置いて、他者や社会によって侵される事柄では無い。
社会が、個人の意識の中にまで法や何らかの管理、支配を行う社会というのは、思想統制を行うファシズム社会と同じなわけです。
「憎たらしい。殺してやりたい」 と思うのは、「殺す」 という行為が法的、倫理的に社会に許容されずとも、
個人の意識の中で完結している限りは、「許容される」 事が望ましい。
不健全な嗜好、考えなんていうのは腐るほどあります。
近親相姦であるとか、不倫願望であるとか、フェチズム、同性愛嗜好、嗜虐または加虐嗜好その他諸々。
それらのうちいくつかは、倫理的な意味で否定される行為でしょうし、
またいくつかは民事又は刑事において法的に規制されている事でもあります。
(不倫は民事に置いては配偶者による損害賠償や離婚の差違の慰謝料請求に関わりますし、
近親相姦は近親婚の禁止に触れうる性的嗜好です。
加虐、被虐嗜好も度が過ぎれば暴行傷害に発展しかねない面もあります)
重要なのは、それらがどれほど 「倫理的、又は法的に非難される様な事柄であるかどうか」では無く、
「実行し、実際に被害と呼べるものが出ているかどうか」 であるハズなワケです。
であるハズ、というか、別の言い方をすれば、そこでしか判断出来ないという事です。
実行すれば犯罪になる、というのは、
実行しなければ犯罪ではない、という事の言い換えでもあるわけです。
62 名前:カゼへぼー゙ら 投稿日:04/03/14 17:44
ただ。
あなたの言いたいことも分かるし、あなたのその感覚、考え方というのは至極健全だと思います。
社会通念なんてのは結構いい加減ですし、それがどれほど普遍性があるかというと霞のようなものでつかみ所がない。
国、宗教、地域、そして時代によってころころ変わるし、ある時代ある社会で賞賛されることが、ある時代ある社会でさげすまれる事もある。
だからといって、今、自分が生きている社会に存在している道徳的、倫理的な社会通念を無視して良いという事にはならない。
ロリコン趣味、という部分に少し絞りますと、例えば、
「性的に未成熟な女性との性行や性的な行為を否定する考え方は、あくまで近代において産業革命後の市民の誕生と、
第二次大戦後の女権運動 (フェミニズム) の台頭等で “子ども” という概念が変化したことにより生まれた考えである」
という見解があって、それは多分一面的には事実であり正しい。
けれどもそれは、「だから現代社会に置いても “子ども” との性的な接触を認める事が正しい」 という主張の根拠には、あまりならない。
変化した先にあるものが絶対的に正しいとは限らないけれども、それが現代の日本に置いて社会通念として存在しているなら、
それは “暫定的に正しい価値観” として存在している。
そこは、意識しておかなければならないでしょう、と。
個人が、その個人の中で持っている性的な嗜好。
それが社会通念に置いてどのように位置づけられているかという事。
つまり自己と社会の間にどういうものがあるかという視点ですね。
“その意味” に置いては、“自覚” と、“覚悟” はもって置いた方が、多分良い。
63 名前:カゼへぼー゙ら 投稿日:04/03/14 17:45
異常と正常、健全と不健全の境界なんて曖昧です。
曖昧な事が不安な人は、自己と違うモノ、自分が認めたくないモノに “異常” のレッテルを張ることでその境界を明確にしようとする。
明確な境界線の、“正常で健全” な枠に入りたくて、差別主義に陥る。
それがまぁ、上で書いたスケープゴートを作る心理です。
けど、社会通念も境界も曖昧だという事を前提として、個人が社会通念と合致した正常などになり得ないと自覚して、
その上で、“誰の中にも存在しうる異常性” と向き合う “覚悟” があれば。
「それなりに巧く生きてゆける」
性的嗜好ってのはやっかいなモンですよ。
何せ、脳の中の回路がそういうカタチに出来上がってしまっている。
意外と多くの人が自覚していませんが、“性欲” が脳の中の古い部分の持つ、“本能” に近いモノだとして、
けれども “性的嗜好 (フェチズム)” というものの多くは、生まれ落ちてから成人する間での間に
“脳の中で作られて行く” ものなわけです。
そして一度出来上がると、意識して変える事なんかまず出来ない。
それがどんなに、世間的に不健全だとか、異常だとか言われるものであっても。
罪悪感とか、後ろ暗さ、というのは、人の心にとっては本来毒なんです。
自分で自分の心を責め立て、弱めて、痛めつけてゆく毒。
毒だけれども、人はそもそも不健全だから、少しは毒を飲んで置かないと、社会に巧く合わせていけない。
けれども毒だから、多く飲み過ぎれば死ぬか狂うかする。
64 名前:カゼへぼー゙ら 投稿日:04/03/14 17:46
だからその “毒の致死量を見誤ってはいけない”。
それを見誤ると、悲劇に行き着くから。
性的嗜好がどうしようもなく変えられないものである以上、それを責め続け、“毒を飲ませ続ける” 事は、その量を見誤りやすい。
(もちろん、性的嗜好に限ったことではありませんけれどもね。外見、国籍、人種、履歴学歴職業その他何に関しても)
多すぎる毒は、人を絶望に追いやる。
絶望に陥った人は、「自分を傷つける/殺す」 か、「誰かを傷つける/殺すか」 という悲劇に向かいやすい。
社会の健全さ、倫理、正義、そういう概念の元にある言動。
それらはその裏側で、人を絶望に追いやる毒を出し続けているというのも、もう一つの事実なわけです。
「罪悪感という毒を与えすぎる事は、それ自体が悲劇を生む契機ともなりうる」
そういう事です。
65 名前:カゼへぼー゙ら 投稿日:04/03/14 17:50
んで。
まぁ今回の事件の背景なんかは、僕が書いたことも所詮はマスコミ報道の中から拾い上げた情報にすぎないので、
どこまで正確かというと、多分正確では無いハズです。アタリマエながら。
ずいぶんと僕の目線というフィルターによりゆがめられてもいるでしょうし。
だから実際のトコロ分かりません。
ワカラナイ事は、ワカラナイと思っておくのがとりあえず正しい姿勢です。
こういう事件が起きたときにはしゃぐ人たち、2ch的に言えば、“祭り” だす人たちというのは、
そういう意味でまったく何も考えていない、反射行動のように騒いでいるだけなのですが、
そういう人たちはヒステリックに大声を出すので、そういうノイズの方が幅を利かせてしまうのが怖いところです。
>>45で書いたのは、“そういう人たち” の事です。
この板や漫画やらアニメやらの板ではっちゃけてうれしそうあおりスレを立てている人たちや、
それらのスレでうれしそうにおたくたたきをしたり、あるいは 「自分もロリコンだけどこういうのとは違う」 と強弁を繰り返したり。
とりあえず、45で書いた言葉をあなたに向けたことは、お詫びして訂正します。
あなたは感情的な反応もしたかもしれませんが、少なくとも “考える” という姿勢を崩さずに居たのですから、
それはすばらしい事だと思います。
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