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2006年12月17日
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カテゴリ:日々雑記
 肩が痛いだとか腕が痛いだとか背中が痛いだとか首が痛いだとか頭が痛いだとか眠りが浅いけど仕事していると眠いだとか憂鬱だとか日々砂を噛むような人生で嫌になるだとか、そんな事しか書くことがないのかッ!?
 無いですッ!
 無いんじゃしょうがねぇなぁ。

 まぁそんな日々ですよ。
 とりあえず17日までにやっとく事が一段落ついたんですが、他にはどうってこともなく、不明の日々を不明なまま送る毎日ですよ。まぁまだやる事は溜まっているンですけどもね。
 あとはせいぜい、16日に又忘年会に行ったくらいですよ。またか! 何回年を忘れたいと言うのか、デスヨ。

 んで、最近気付いたのですけどね。
 嘘です。
 気付いた、というより、解った、という…のでもなく、まぁ、解っていたことなんだけど、それを言い表す言葉が見つかった、というところなンですが。
 僕は先のことが本当に解らない人間だなぁ、と。
 先のことを考えられないんですな。
 これは、計画性がない、というのも正しいンだけど、それだと印象が違う。
 計画性がない、という言葉には、無軌道に事を起こす人、という含みがあるけれど、僕は事を起こしませんからねぇ。そういう意味では。その時その時に興味をそそられたり何かしらに触発されたりして何かをやることはありますが、せいぜい頭の中で弄くっているモノを一旦アウトプットしておく、程度の事で、そっから先に巧く事が進むわけがないのはその時点で半ば自明なので、事を起こす、といえるほどのモノでもない。
 まぁそれは単に、無計画な人間でありつつ、かつ行動に起こすのが遅い人間、というだけでもあるンですが、とりあえずはそういう話でも無いワケですよ。
 先のことに関して、リアリティをもって考えられないのです。
 物事を実感できるのが、事が起きた後、終わった後になってからで、つまりは物事の変化や、変化に対しての予測という事に関して、鈍い。
 まぁ、事業家に最も向かないタイプですよ。
 解りやすいパターンとしてあるのは、例えばもめ事になっているときの鈍さ。
 恐らく客観的に観るともめ事であろうというときの、その片方の当事者が僕である、と。周りでそれを観ている人間からも、「ああ、揉めているなぁ」 と見えるし、もう片方の当事者も完全にもめ事のつもりで接しているのに、僕だけが気付いていない、という状況。
 これが単純に、相手の心情に対して鈍い、というだけならそれはそれでまたちょっと違うのですよ。
 まず何より、自分の感情の変化に鈍い。
 だから、もめ事になっていることに気がつかないのですよ。
 例えるなら、頭から血をだらだら流していて、周りが 「ちょっと、ねぇ、大丈夫?」 といっているのに、本人はそれがどんな有様か気付いていなくて、 「え? 何が?」 みたいな状況ですよ。
 その怪我自体はえらい怪我だったりするし、最終的にはえらいことになったりするし、なったときには自分自身とぼけても居られないけれど、その時点ではよく分かっていない。
 だから、例えば客観的には、「あー、あの人又もめ事を起こしているよ。気が短い人だなぁ」 という印象になることもあるし、逆に、「あんなもめ事に巻き込まれているのに泰然としていて、肝の据わった人だなぁ」 という印象になったりもする。又 「あれだけの事に遭っていて怒らないなんて、我慢強い人だなぁ」 という印象になったりって事もある。
 どれもそれなりに正しいンでしょうけれども、矢っ張り一番には、周りが思っている程に状況を解っていない、というのが正確なのですよ。
 これが、「いつまでも解っていないままの人」 だと、周りも 「あの人は状況が解らない人だからなぁ」 と言う認識で済むところなのですが、僕の場合その鈍さというのは、遅い、というところにあるので、まぁ、後になると解ったりするわけです。
 ゆっくり解るというのはまた場合によっては、即断即決で結論を出す人より、細かく解っていることと言うのもある。
 もちろんそうじゃないときも多々あります。
 ま、解っているというか、細かく再解釈している、というのでも良いですかねぇ。
 テンポがズレているわけです。
 んで、だから、先の事というのが考えられない。
 たいていの場合そのときそのときに考えている (意識の上に登っている)のは、既に起きてしまったことなワケです。
 Aという出来事が起きて、しばらくたってBという出来事が起きる。因果関係があろうと無かろうと、Bが起きているときに考えているのはAの事で、だからBの事は認識はしていてもそのときの変化そのものは記憶のストックとして保存されるばかりで、その場その場での解釈自体は表面をなでている用になるし、そうなればその先のこととして考えるべきCの事も、Bという現在の状況をきちんと把握していない以上は、巧く考えることが出来なくなる。
 特に、感情的なモノ、感覚的なモノに対してのタイムラグはかなり大きい。
 しばらくたってから、「あ、俺腹立っていたんだ」 みたいになったりってのもしょっちゅうデスあるよ。ええ。
 まぁ、こういう人生をずっと送ってきていると言うことを今考えている時点でそのまんまですよ。
 1体1の対話とかの短いスパンの中でもそうですし、もっと長いスパンの中の事でもそうなっている。
 人生、とかいうスパンでもまぁそうですよ。
 人生設計なんて言うものは、だから僕のにとっては常に曖昧で輪郭が見えないものです。
 願望とか欲望なんてのは、所詮は衝動ですから先のこと、じゃあ無いですよな。せいぜい今のこと、ですよ。そしてその今の願望衝動自体も、なんかぼんやりしているワケです。
 後になって、「ああそうか、あのときは多分、こういう事を望んでいたんだな」 と、解釈される。
 そんな曖昧な土台に建てられる計画なんてのは、まーありゃあしませんし、無理に作ってもずさんな姉歯的手抜き建築になりがちですよ。
 ま、そういう将来に対しての現実味の無さみたいなのは、たいていの人にあるモンではあると思いますよ。
 僕はそれが極端で、かつ解らないときに解らないまま事を起こす、悪く言えば無謀さ、よく言えば積極性に欠けるというだけで、ちゃんと何がどうなるかを解って、リスクの無い申し分のない計画の上でしか行動できないなんて言っていたら、人生も世の中も立ちゆきゃあしねぇですしね。
 勿論だから、僕はままなっていないワケで、そういう意味で僕は、瞬発力と機動力で生きている人というのがいつもうらやましい。うらやんでもどうにかなるワケじゃないので、まぁそれはそれでそんだけの話なんですがね。
 

 そんでもって今回こんなまたぐだった文章を垂れ流しているのはどういう事かというと、風邪を引いたっぽいだとか 肩が痛いだとか腕が痛いだとか背中が痛いだとか首が痛いだとか頭が痛いだとか眠りが浅いけど仕事していると眠いだとか憂鬱だとか日々砂を噛むような人生で嫌になるだとか、そんな事と同じよーな事ですよ!
 あと、のだめのドラマ面白ぇなー、とか。





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最終更新日  2006年12月18日 17時25分26秒
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